55. 戦い - The Battle -

「四位だ」

「やっぱりアイツか」

「十くらいのヤツがやられたら、まず出てくるもんな」


 一歩踏みだした男に視線が集まり、二階でぼそぼそと交わされる会話が耳に入る。周りから四位と呼ばれたその男は、坊主頭で黒人の、身長も体格もアーロンよりひとまわり大きい、屈強な人物だった。


「すみません。このままだと収拾がつかなくなりそうなので、私と組手をしていただけないでしょうか」


 体格どおりの低い声だが、想像とは裏腹に非常に物腰の柔らかい声音だった。

 また戦わなければならないのかと、アーロンは心底うんざりした顔を晒す。そこに相手の態度や人柄は関係なかった。


「ダレル・マッカランと申します。あなたにとっては戦闘の連続で、不公平であることは承知していますし、申し訳ないですが」


 おもねるような言葉と声色。その大仰ともいえる低姿勢が、逆に癇に障った。


 アーロンの中で、パズルのように思考が組み変わっていく。

 先ほどの十三位とやらの言葉を信用するなら、この棟では特に、悪魔憑きとしての実力がものを言う。それは決して、悪いことばかりではないと考えなおす。この中である程度好きに行動したいなら、力を示すことが手っ取り早いということだ。

 意味もなく戦うのは面倒だが、情報収集という目的があるなら、多少骨を折ることに前向きにもなれる。しかも相手は序列第四位らしい。倒せばそれなりの見返りがありそうだ。


「そんなにやりたいなら相手してやるよ。ハンデなんてあってないようなモンだ」


 指を鳴らし首をまわし、アーロンはダレルと名乗った男へ向きなおる。戦う意思を見せたアーロンに、彼はうっすらと微笑んだ。


「それならよかったです。あの、名前をお伺いしても?」


 なんとなく調子が狂う。

 不承不承、アーロンは自分の名前を告げた。そのまま、十メートルほどの距離を保った状態で相対する。だがどちらも動かない。やがて、痺れを切らしたアーロンが口をひらいた。


「……なんだよ、やりたいっつったのはアンタのほうだろ?」

「えぇ、そうなんですが……私は先ほどの彼のように、自分から仕掛けるというのは不得意でして。どうぞ、遠慮なく攻撃してください」


 アーロンは小さく舌を打ち、右手をかざした。


紅火扇フラベッラ


 手のひらから撃ちだされた炎の一閃が、男へ襲いかかる。炎は彼の左足を飲みこんだが、オレンジ色の囚人服を焼き切るにとどまった。布の下から覗いた筋骨隆々の黒肌は、火傷ひとつついていない。


「先ほどから見ていましたが、すごいですね。炎に鎖に、変幻自在だ。なんの悪魔が憑いているのでしょうか」

「答える義理はねぇな」


 代わりの返事は、狙い定めた指先。


いかづちたもと、ウィッチエルムの白鷲しろわし、よすがなき血の渇きに、静かに身を委ねろ」


 バチリと乾いた空気が弾けた。


「Burst 8〝電電矛矢アローボルト〟」


 指先からほとばしる、詠唱の乗った雷の矢は、もはやビームと形容して遜色ない一条の稲妻となり、ダレルの肩を直撃した。が、本来圧倒的な貫通力をもって突き刺さるはずのそれは、オレンジ色の囚人服に穴を開けるだけにとどまり、雷が体表面を這いまわって消滅する。


「頑丈なだけが取り柄でして。あなたの攻撃は通用しないと思いますが、ここでの戦いは降参が許されていないんです。なので最後まで、よろしくお願いします」


 そう言って、ダレルは近くにあったテーブルをつかんだ。岩盤をそのまま削り切りだしたようなそれは、曲線を描く一本の太い脚が床と一体化しており、持ちあげられるようなものではない。しかし、彼が両手でそのテーブルつかみ、バーベルあげのような要領で力を込めると、基幹になっている脚の一番細い部分がボキリとへし折られた。つづいて、足で押さえつけながら丸い天板を真っぷたつに折る。


 まるで発泡スチロールを分解しているかのようなその光景を、素手で引き起こしているということがにわかには信じられなかった。そのままダレルはふたつに割れた半月状の天板を持ちあげ、円盤投げの要領で一回転し、アーロンに向かって投擲した。


 予想以上の速力で飛んできたテーブルの半分を、横っ飛びで回避する。受け身を取り起きあがろうとしたとき、いつのまにかすぐそばで無表情のダレルが拳を振りあげていた。


「――ッ!」


 一撃でも食らったら終わる。

 反射的に身を捩り、問答無用で振りおろされたそれを、ギリギリのところで躱す。

 殴りつけられたコンクリートの床に穴が開き、弾け飛んだ破片がアーロンの身体にピシピシと当たった。


 距離を取り態勢を立てなおそうとする身体と、その首をつかみ取ろうと伸びる腕が肉薄する。


 相手の指が襟にかかるか、かからないかというギリギリのところで、アーロンは腕を除いた全身の力を抜き、ダレルへ向かって構えた両手から〝竜吼炮ドラゴニックハウリング〟を撃ちだした。


 ボッ、ゴォォォォン!


 手の中で圧縮された魔力が爆発し、耳をつんざく轟音と衝撃波がダレルに直撃する。加えて、その衝撃を推進力にアーロンの身体は後方へ吹っ飛んだ。それを追いかけるように、黒い影がヒュッと宙を舞う。


『オイ、なんで銃の錬成しねぇんだ!』

「したらお前が見える」

『べつにいいじゃねぇか、そういうチカラだって思われるだけだろ』

「どう考えても目立つ、あとあと支障になったら面倒だ」

『現時点で充分目立ってるけどな』


 ケッ、と悪態をつくザミュエルを無視し、まっすぐ前を見据えるアーロンの目には、おもむろに立ちあがるダレルの姿が映っていた。


 鼓膜が破れて耳から血が流れたり、肋骨の一本や二本折れてしかるべき一撃だったのだが、そんな様子は微塵も感じられなかった。あのゼロ距離の超近接射撃をまともに食らって、すぐに動けるというのはやはり尋常ではない。


 物理攻撃は一切通用しない、と高らかに宣言せんばかりに、ダレルはゆっくりと足を踏みだし、そして駆けだした。

 彼が懐に飛びこんでくる前に、アーロンはしゃがみこんで床に手を触れる。武骨な手が首の根に届く前に、後方へ飛んだ。


「Assist 40〝刺突四剣クァドラ・スペディオン〟」


 刹那、ダレルの足もとが光り輝いた。地面から伸びる四本の光の剣が、彼を狙い定める。


「ッ!?」


 そのまま突き刺さるはずだった剣は、ダレルの身体に触れた瞬間、ヒビが入り割れて瓦解した。

 この術で彼の動きが止まると目算を立てていたアーロンは、首もとをつかみあげられる。


「が、ァッ……!」

「おとなしくしてください。少しのあいだ眠ってもらうだけです」


 もがくアーロンの頸動脈を圧迫しながら、ダレルが小声で告げる。

 アーロンはその腕をつかみ、その手から魔力を炸裂させた。衝撃がダレルの腕を襲い、甲高い轟音が響き渡る。


「人の首絞めといてッ……おとなしくしろはねぇだろ……!」


 首を絞められていた手が離れた瞬間、アーロンは咳きこみながらも身を翻した。だが、ダレルを大きく怯ませるには至らず、すぐにつづけざまの一発が、アーロンのみぞおち目がけて飛んでくる。咄嗟に突きだした腕にダレルの拳が当たり、みぞおちの直撃こそ免れたが、腕を滑った拳は下腹部へ突き刺さった。

 丸くなった身体は後方へごろごろと転がり、口からは血と胃液の混ざった唾がだらだらと垂れる。


(ク、ソ……馬鹿力が)


胃が身体の隅に追いやられているような不快感が首をもたげた。

吐き気をなんとか喉の奥へ押しこんで、よろよろと立ちあがる。


「Burst 67〝血紋ノ鎗フェルデランス〟」


 これ以上、馬鹿力に付き合ってやる余裕はない。

 血の混ざった唾液を手へ噴きつけ、練りあげた魔力に混ぜた。赤黒い魔力が、アーロンの傍らに巨大な双円錐形のランスを形作る。


「すごい力を感じます。今のあなたの全力ですね」


 その武器を目に、ダレルは嬉しそうに頷いた。


「いいでしょう。それを防ぎきり、私が勝利します」


 彼が構えを取ると同時に、アーロンは槍投げの要領で思いきり腕を振りかぶった。

 赤黒いランスが、一直線にダレルに向かって突進する。彼は一歩も動かず、躱す素振りも見せない。当然のごとく、それを真っ向から受け止めるつもりらしい。


「散れ」

「!」


 ダレルに直撃する寸前で、一振りの巨槍は幾本もの細いスピアに分裂し、四方八方から彼に襲いかかった。


 石畳の床に突き刺さった大量の槍が、瞬く間に砂煙を巻き起こす。

 奪われた視界の中、ダレルの目の前に現れたのは、悪魔のような恐ろしい顔が彫られた装丁の本だった。


『Assist 50〝ゼツ〟』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る