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  • 喪に服すって、昔はかなり長く期間を取っていたと聞いています。
    時の宰相が三年喪に服すことになって、皇帝がそれだと国が回らなくなるからやめさせたりと……。
    それだけ重く捉えられていたんでしょうね。

    ではではノシ

    作者からの返信

    ここはカチコチですわ。

    司馬光(『資治通鑑』という本を書いた人です)という宋代の宰相が書いた文章のようですが、個人的にはやりすぎ、言い過ぎで、むしろちょろまかそうとする人たちに同情したい気もします。

    ただ儒教、中国の考えでは、少なくとも外から入る、礼を整えることは大事なのでしょうね。

    儒教でも、書いてあることをそのままに信じるな、とあることもあり、柔軟な解釈がいるとは思います。

    三年というのは文中にもありますが、2年+1ヶ月(二十五ヶ月)、もしくは2年+3ヶ月(二十七ヶ月)のことなのですが、それでも長いですよね。

    今、杜甫の詩集も、ちびちびゆっくりと読んでいるのですが、考え方は全く違います。

    儒教=中国と見ると、誤るかもしれんな、と思いつつ読んでいます。

    朱熹にせよ、孔子にせよ、ん?、んん?、と思うことはよくあります。

    これはごく一部の人向けの歴史ですし、官吏・儒学者の書いた、考えの押し付けではあります。

    ただだからといって見逃していいわけではなく、親が亡くなったのに、フラフラ遊んでいていいかとか、美味いものを食べて贅沢をしていいのかというと、それをいいというのもまた違うと思うんです。

    要は、適正、「中庸」ともいいますが、場面、場面で、最も相手のことを考える態度をとり(「恕」ともいうのかな…)、真心を尽くして最善の態度を取ること(「忠」といいます)が大事だと捉えられているのだと思います。

    日本人は空気、場面を読みます、また違った感じ方、応用をしてもらえればと思います。

    中国の人は、中国の人の応用をするでしょう、それでいいと思います。


    返事になっていませんが、コメントありがとうございました。

  • 言うべきは言うってところが、深いですね。

    面白かったです。

    ではでは

    作者からの返信

    ここに出ている「瞽瞍」というのは舜という古代の聖帝の父親です、が、継母に唆されてその子である舜を殺そうとしたので有名です。(『孟子』という本に載っています)

    「瞽」というのは目が見えない、「瞍」というのは耳が聞こえないという意味で、「瞽瞍」というのは目も耳も見えないような感覚・理解のない(差別的かもしれませんがそのままで取ります)極悪非道の人物である、という呼び名になります。


    朱熹という人はものすごい厳格な人で、全てのことを自分に引き付けて語ります。

    自分ならできる、人を変えられるとし、自分の誠意で世界を変えられると考えます。


    舜という人は貧しい生活をしてから抜擢されて、皇帝にまでなった人なのですが、父を愛し、家族を愛して、このような自分を殺そうとした父親にまで誠実な態度を貫き通した、それに感じて瞽瞍すら態度を改めたと言われています。

    またその誠実な態度に感動して、多くの人がこの舜を認め、推薦し、慕い、初めは小さな村に住んでいたのが、その場所が集まる人々で最終的に都になったとまで言われています。(もちろん伝説でしょうが)


    ここでは羅仲素という人が、「親が悪いんちゃう、子供の誠実さが必要だ、舜ならできたはずだから」とかなり思い切ったことを言ったのを、陳了翁という人が「せやな、自分の力で、世界が変えられる、自分の誠実さで、全ては変えられるかもしれんな」というふうに言ったのを、朱熹やその弟子が切り取ってのせた部分です。


    朱熹は、自分が聖人になれる、と考えます、てっぺん(聖人)を目指す、だから思い切ったことを言います。

    この当時の宋代の人も、同じように思い切ったことを言っています、互いに考え、議論している、それが宋学というものかもしれません。

    ただ日本では、目上の人に対し、控えるべきという考えもあります、陰徳などの、表に出ない、地道な仏教に基づく考えもある。

    考えさせられる、ただ朱熹は激しい、そういうのが、自分の実感です。


    正直答えになっているかわかりませんが、記しておきます。

    コメントありがとうございます。

  • 『小學句讀』序(8)への応援コメント

    格物致知。
    朱子学や陽明学で出てきますね。
    ちょっと懐かしくなりました。

    面白かったです。

    ではではノシ

    作者からの返信

    中村惕斎先生は高度なことをおっしゃっているのかもしれません。この部分(「格物致知」を論じたところ)はその中でも結構、重要な部分なのですが、読み解いて核心をついていただけて、訳者冥利につきます。

    楽しんでいただければと思います、読んでいただけて光栄です。