帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング

風丸

鼻毛と黒魔術

指名手配犯の横に姉を貼る

 セロハンテープを歯で噛み切り、指名手配犯の男の顔の横に、ペタリと貼り付ける。

 交番の掲示板。指名手配犯の顔は、子どもの頃から一枚も変わっていない。まるでこちらを睨みつけているかのような、人相の悪い男たち。うわ、目が合った。



「こっち見んな」



 思わず毒づいて、私は一歩下がって全体を眺めた。

 凶悪犯たちの並びの中に、満面の笑みを浮かべる私の姉。場違いにも程があるその笑顔は、殺伐とした掲示板の中で、そこだけ花が咲いたように明るい。



「あぁ、無力だ」



 指名手配犯は見つからない。そして私の姉も――。

 交番のガラスに映る自分の顔を見つめ、私は小さく溜息をついた。

 姉の失踪から二年。私はまだ、諦めていない。



「……ちょっと。勝手に貼られちゃ困りますよ」



 背後から呆れたような声がした。振り返ると、交番から警察官が出てきている。制服の胸ポケットには、見覚えのあるボールペン。姉の失踪当時、事情聴取で何度も顔を合わせた巡査だ。



「ほら、ここ目つき悪い人ばっかじゃないですか。ここに姉を飾ったら、華やかな雰囲気になるかなって」


「はぁ……。お気持ちは分かりますがね、第一、ここは『凶悪犯』の欄なんですよ。あなたのお姉さんを犯罪者に仕立て上げないでください」



 私はちぇっ、と舌打ちしたくなるのを堪え、何食わぬ顔で写真を剥がした。

 警官の口調は穏やかだったが、その目の奥にはどこか諦めに近い脱力感がある。まるで、何度も同じ話をしてきた教師のような疲れた目だ。

 それが、何よりも腹立たしかった。彼らにとっては数ある「未解決」の一つでも、私にとっては唯一無二の家族なのだ。



 私の姉――『杠葉翠ゆずりは みどり』が姿を消したのは二年前。

 気づいたきっかけはトークアプリの未読無視だった。

 


『私のアルミ玉いい加減返してちょんまげ』



 これが姉との最後のやりとりだ。こんなふざけた語尾が、履歴の最後として永遠に残るなら最初から送ってなかった!

 いつまで経っても返事がなく、アルミ玉を返したくないがために無視を決め込んでいるのかとも思ったが、実家の両親も「連絡がつかない」と言い出した。

 嫌な予感がして一人暮らしの自宅に押し掛けたところ、部屋はもぬけの空。

 警察に捜索願を出し、両親と共に探偵まで雇ったが、手がかりはゼロ。

 ただ、探偵が聞き込みで集めた証言は、私の心をざわつかせた。

『最近、翠さんは何かにひどく思い悩んでいる様子だった』。行きつけのカフェの店員も、職場の同僚も、異口同音にそう言っていたらしい。ぼんやりとスマホを眺めては深く溜息をつき、時には眉間に皺を寄せて必死に指先を動かしていた、と。

 最後の目撃情報は、宅配業者から荷物を受け取る姿。そこで、姉の記録はプツリと途絶えている。



 二年という月日は、人の希望を風化させるには十分すぎる時間だ。

 周囲は「きっとどこかで元気に生きている」と口にはするが、その声色から、半ば諦めに近い感情を感じられずにはいられない。

 私だけが、まだ諦めきれずにいる。



 ――――――――――――



 在宅ワークを終え、ふうっと息を吐いて背もたれに沈み込む。オフィスチェアの軋む音が、静まり返った部屋に大きく響いた。



『アオたん今日ログインするー?』



 PC画面の右下に、ソシャゲー友達からのチャット通知がポップアップする。

 画面越しとはいえ、私には私なりの「いつものメンバー」がちゃんといる。



 私の名前は杠葉蒼ゆずりは あおい。二十六歳、職業システムエンジニア。

 アクティブで外交的だった姉と違い、私は筋金入りのインドア派だ。子供の頃からゲームやプラモデル作りに没頭し、中学生でプログラミングに目覚めた。専門学校で技術を磨き、SEとして就職。



 親は私のことを心配しているようだが、友人には恵まれているし、こうしてゲームを通じて繋がる仲間もいる。

 仕事面については、自分で言うのもなんだが、腕は悪くない。炎上しかけたプロジェクトを一晩で鎮火させ、クライアントから「次は杠葉さん指名で」と言わしめたこともある。「困ったときの杠葉さん枠」として、チーム内での立ち位置も確立しているつもりだ。



 けれど、コードが書けたところで、どうだと言うのだ。

 最近はAIがコーディングの大半を担うようになり、私の仕事はもっぱらAIが吐き出したコードのレビューと、AIへの指示出しだ。

 モニターに爆速で生成されていくプログラムを見ていると、今まで睡眠時間を削ってキーボードを叩き続けてきた私の努力とはなんだったんだ、と虚しくなる。

 会社の評価面談では「生産性の底上げに貢献している」なんて持ち上げられるが、それは私が優秀なのではなく、AIという優秀な道具の「飼育係」として優秀なだけだ。

 仕事でも、姉の捜索でも。

 結局、私は自分の手では何も解決できない。



「あぁ、無力だ」



 冷蔵庫からビールを取り出し、プシュッと開けて喉に流し込む。炭酸の痛みと冷たさだけが、妙にリアルだった。



 私が姉の捜索を諦めない理由は、二つある。

 一つ目は単純だ。姉のことが好きだから。

 五歳年上の姉は、共働きだった両親に代わり、私にとって母親のような存在だった。少し抜けているけれど、私が風邪をひけばコンビニのおでんを買ってきてくれたし、宿題も見てくれた。教え方は絶望的に下手だったが……。姉の無条件の優しさは、ひねくれ者の私にとって唯一の救いだった。



 そして二つ目の理由は――アルミ玉だ。

 アルミ玉とは――アルミホイルを丸めて、トンカチでカンカンと叩き続ける。何時間も、何日も。形を整え、最後に紙やすりで極限まで磨き上げる。そうして生まれる、完全無欠の銀の球体。

 某動画サイトでその存在を知ったのだが、一時期、私は何かに取り憑かれたようにそれを作り続けていた。

 理想の輝きを求めて、何十個も作り、気に入らないものは全て捨てた。指先が黒く汚れようとも気にならなかった。

 その中で唯一、奇跡的な完成度を誇った一個を姉に見せた時、彼女は「えっ、すごい! これ部屋に飾りたい!」と目を輝かせ、そのまま持ち去ってしまったのだ。

 あれは私の最高傑作だった。私の魂の一部と言ってもいい。

 だから返してほしい。姉がいなくなった今、あのアルミ玉の行方も不透明のままだ。



 姉の住んでいたマンションは既に引き払われ、荷物は距離的にも近い私が一時的に預かっている。

 部屋の隅に積まれた段ボールの山。一通り改めたが、あの中にアルミ玉はなかった。



「……いつか戻ってきた時のために、って思ったけど」



 さすがに二年。部屋のスペースを圧迫する段ボールを眺め、私は残ったビールを飲み干した。アルコールで勢いをつけないと、やる気になれない。



「もう一回、ちゃんと整理するか」



 空き缶をデスクにコンと置き、私は段ボールの一つを開封した。

 ガムテープを剥がすと、埃っぽい空気が舞う。洋服などは経年劣化特有の匂いがした。服の山をかき分けていると、底の方から、ひやりとした板状の感触が指に伝わった。

 姉が使っていたノートPCだ。

 当時、警察や探偵も軽く調べはしたようだが、目立った不審点は見つからなかったと聞いている。だが、プロのSEである私の目は誤魔化せない。解析ツールを使わずとも、身内だからこそ見逃せない違和感が、きっとある。

 そもそも、人のパソコンを覗くのは……。だが、背に腹は代えられない。もしかしたら、失踪の手がかりが残されているかもしれないし、アルミ玉の行方が分かるかもしれない。



 酔いもあり、勢いで電源ケーブルを繋ぎ、起動ボタンを押す。ファンの回る音がして画面が光り、パスワード入力欄が表示された。

 姉ならどうするか。難解な文字列? いいや、そんなタイプじゃない。

 試しに、姉の誕生日を打ち込んでエンターキーを叩く。



 ――ロックが解除されました。



「ちょろすぎだろ……」



 セキュリティ意識の低さに呆れつつ、表示されたデスクトップ画面を見て、息が止まった。

 壁紙に設定されていたのは――私がプログラミングコンテストで優勝した時の写真。

 賞状を持って照れ笑いを浮かべる私と、その横で我が事のようにピースサインをする姉。

 その笑顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。



「……こんなの、ずるいって」



 やっぱり、諦めたくない。

 こみ上げてくる熱いものを堪え、私はマウスを握った。

 人のパソコンを覗くのは怖い。私の知らない誰かとの生々しいやりとりや、あるいは見たくもない趣味嗜好が出てくる可能性がある。

 妙な覚悟を決めてフォルダを漁ったが、そこにあったのは旅行の写真、友達との食事の記録、仕事の資料……。

 拍子抜けするほど健全で、清らかな日常の断片ばかりだった。

 どうやら私の姉は、私の想像以上に清廉潔白だったらしい。疑ってごめん。



「さて、次はこっちか」



 当時、探偵は「SNSやメールに不審な履歴はない」と結論づけた。けれど、奴らはブラウザの検索履歴の「深いところ」までは見ていないはずだ。

 標準のブラウザ履歴は空だった。だが、姉が常用していたクラウドのアカウントと同期設定を、私の自作スクリプトで無理やり紐解くと、隠されていた「裏の履歴」がモニターに溢れ出した。

 私はごくりと唾を飲み込み、表示された文字を読み上げた。

 二年前の日付で、キャッシュが残っている。

 姉が失踪直前に、一体何を調べていたのか。

 事件に巻き込まれた手がかりが、ここにあるかもしれない。私の知らない姉の悩みが、闇が、ここに――。

 私は画面に顔を近づけ、表示された文字を読み上げた。



『彼氏 鼻毛』

『恋人 鼻毛 指摘方法』

『傷つけずに伝える デリケート』

『鼻毛 気にしないメンタル』

『鼻毛 白髪』



 ……私は、姉のPCを静かに閉じた。

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