第35話 傷痕と亡霊①
「何ね、アンタたちもうギブアップ? 軟弱じゃねえ」
リモコンを持ったルスキニアが腰に手を当てる。
「鬼畜かよ……」
「鬼畜ぅ? 誰のこと? ニアちゃん分かんなぁ~い」
ルキオラが小声で言った悪口を耳ざとく聞きつけたルスキニアは、信じられないほどの悪人面で彼の顔を覗き込む。
「もっぺん言ってみぃ? なあ?」
「す、すいません……」
2人のやり取りを見ていたアルデアは、地面に座り込んだまま白い息を吐いた。
厚く空を覆った雲から、積もるともなく細かな雪が降ってきている。
(もう、冬なんだなあ……)
最初にP-D3867と対峙してから4日。
3人は次々繰り出される攻撃をかわし、捕まりそうなところをギリギリで回避し、何とかしてこの鉄の怪物をいなそうと鍛錬を重ねていた。
魔法や武器を駆使し、襲い来る攻撃をひたすら避ける、逃げる、そして、逸らす――
攻撃に転じている暇などなかった。むしろ、やられっぱなしからようやくここまで到達できた、というのが正しい。
今の彼らには、それが限界だった。
「クソっ……どうすりゃいいんだよ……」
ガシャンと剣を投げ出し、地べたに寝そべったルキオラが声を上げる。
「鉄の体に武器なんて、効くわけないわ……」
肩を落としたウルラがナイフを置き、手のひらをさする。
「もう、分かんないよ……」
アルデアは、掴みとってはみたものの、まったく使いこなせなかったスリングショットに視線を落とす。
「ほんに軟弱じゃ。カラクリ相手にそけ体たらく晒しとったら、実戦なんて死にに行くようなもんじゃね」
リモコンについたキーリングに指を通し、くるくると回しながら言うルスキニアに反論できる者はいなかった。
「予備情報もなしに倒せというのは、割と無理があると思いますが……」
ウルラの傍らにしゃがみ、バイタルチェックをするアズキがぼそりと問う。
「倒せなんて言うちょらん。弱点見つけるだけよ。なん~も難しかことなかじゃろ?」
リモコンをポケットにしまったルスキニアは、髪を指に巻き付ける。癖なのだろうか。
「自分を基準に物事を考えるのはあなたの悪い癖です」
アズキの背後で空気が揺れた。
「でもさ、怪異処理なんて予備情報ナシが基本だろ。戦いながら手探り手探りでさ」
聞こえてきたのは、リリィの声だ。
「……何でいるのですか?」
背後から聞こえてきた声に耳をピンと動かしたアズキは、そちらに訝しむような目つきを向ける。
リリィはさも当然と言った声音で「見物?」と答え、ぼりぼりと何か掻くような音が聞こえる。
「スプレー、切れたのでは?」
「量産したに決まってんだろ」
「わざわざ?」
「わざわざ」
2人のやり取りを無視したルスキニアは、腰に手を当てて地べたの3人を見下ろす。
「アンタら、P-D3867の攻撃をさばくことばっか考えちょるじゃね。倒そうって意気が見えん。そいじゃいけんよ。ウィザードは怪異を倒すんが仕事なんじゃから」
ルキオラが「つったって……」とこぼし、アルデアとウルラは顔を見合わせてため息をつく。
「まーあ? せいぜい色々試してみっことじゃ。何でもまずはやってみんと」
ルスキニアはそこまで言うと、手を口元にやって「ちぃなぁみぃに〜」と小声で話し出す。
その所作を、アルデアはどこかで見た気がした。しかし、疲れ果てた頭で思い出すことは到底できなかった。
「この宿題が終わらんかったら、懲罰期間は延長……」
「えーーーー!」ルスキニアの声をかき消さんばかりの大声が響く。
耳を塞いだ彼女はニカッと笑ってみせ、「って言ったら、どうする?」と続けた。
「鬼畜!」
「ひどいです!」
「む、む、無理ぃ……」
三者三様のリアクションに連動するように、ステラが地団駄を踏む。
「きっひひひ、毎度よかリアクションあんがと」
小さな枝を持ったステラが地面に文字を書き始めた。
『にア かイイ ヨり か いい』
文字を見たルスキニアが、「ん~?」と眉を吊り上げる。
「アンタ、字の練習やめたん? どっかの魔法教官みたか字になっちょっど」
その言葉を聞いたルキオラがガバッと体を起こした。
「やっぱそうっすよね! オレもそれ思ってました!」
「確かに、前より書き間違いが増えたよね」
ここ最近のステラの筆談を思い出したアルデアは、ウルラの方をそっと覗い見る。
ウルラはルスキニアに枝を突き付けて威嚇するステラを抱き上げると、わずかに表情を曇らせた。
「なんだか最近、少し変なんです。字もだけど、何か……前より……どう言ったらいいか分からないけど……」
彼女の言葉を聞いたルスキニアは、腕組みをしたまま「へぇ〜、ふ〜ん」と声を漏らす。そして――
「まあ、よか。さ、続きよ続き」
容赦なくリモコンスイッチがONにされた。
――――
P-D3867が動きだし、悲鳴をあげた3人が逃げ惑う中。
金網に寄り掛かったルスキニアは、いつの間にか外に出ていたアズキに問いかける。
「なあ、どう思う?」
何が、とはあえて言わなかった。
しゅる、とカーディガンの前を掻き合わせる音がした。アズキは、逃げ惑う3人を目で追いかけながら低く呟く。
「確実に、儀の影響でしょうね」
「何で魔力継承の影響が使い魔に出んだよ。主はピンピンしてるっつーのに」
リリィの声がして、まっすぐ落ちてきていた細雪の軌道がずれた。
寒そうな呼吸音がして、何もない空気中に、白い息が吐き出される。
「あっらぁん? アンタ知らんの? ウルラとステラの共鳴深度、後期前半よ?」
「はぁ!? マジかよ!?」
彼の素っ頓狂な声音が耳をつんざく。鳩が豆鉄砲を食らったような、という例えが妙にしっくりくる。
「いやだってアイツまだ9だろ!? 大人でも後期まで行ってる奴なんか……」
「そーね。隊長らがせいぜいってとこ。私も中期ド真ん中しかいっちょらん」
雪が体に当たる感触が不愉快だ。ルスキニアは、服の上から二の腕をさする。
「マリオネッタの共鳴者は皆そうでした。あのジェムの本懐は、手足のように動かせる使い魔を量産するところにありますからね」
アズキの息遣いと、耳を動かす微かな音が耳に届く。
「そゆこと。つまり、ステラの様子が変っちゅーことは、連動してウルラの中でも何か起きてると……」
「待てよ。儀をやったのはウルラだけじゃねえんだろ? 何であっちは何ともねえんだ?」
ルスキニアの語尾を、リリィが焦ったように遮る。
「今はまだ現れていないだけ、ということでは?」
アズキの耳がパタタ、と動いて、雪の粒が地面に落ちる。
「これからって? おいおい……アイツら、大丈夫なのか? 」
「さあ。少なくとも、ラルスの診察では異常は見られなかったようですしね。経過観察していくしか――」
そこまで言いかけて、アズキは「あ……」と声を飲む。
飛翔音。ルスキニアが顔をわずかに傾け、右手を上げると、その手の中にP-D3867から発射された黒いものが納まる。
「ま、一応ミルには言うとこうかね。あん人ならもしかしたや何か知っとるかもしれんし」
メキ……黒い金属片に食い込ませた指に、痛いほどの冷たさが刺さる。
「ですね。今回は幸い女狐……いや補佐官も味方にいることですし。密に共有しておくのは、悪くない」
スゥ、と冬の冷気を吸い込んだアズキがぶるりと体を震わせた。
ルスキニアはニッと口角を上げ、手の中にあるそれを粉々に握りつぶした。
――――
夜の寄宿舎。
ダイニングに集まった3人は、夕食のトレイを前にやるせなさに打ちひしがれていた。
「……今日も、倒せなかった……」
苦々しい面持ちで、アルデアがフォークを噛む。
「ほんと……強いわ。P-D3867……」
ウルラがサポーターをつけた手をさするのを見たアルデアは、おずおずと問いかける。
「傷、痛むの……?」
傷というのは、魔力継承の儀をしたときにナイフでつけたものだ。
「うん……。あの後、簡易治癒薬で治してもらったんだけどね……やっぱり、ナイフをずっと握ってると痛くなっちゃって……」
「そっか……」
「アルデアはどう?」
「私は大丈夫だよ。何でか分からないけど、教官が医療部に連れて行ってくれた時にはもう治ってたし」
「ほら」と広げてみせた手の平には、うっすらと痕が残っているだけだった。
「え……? なんで?」
ウルラは信じられないような顔でサポーターを外すと、自身の手の平をアルデアに見せる。
そこには、血豆のような赤黒い一本線が走っていた。
「治癒薬使ってもこれなのよ? どうしてそんなに早く治ったの?」
その問いに答えようとしたアルデアを、「あのさぁ」という声が遮る。
「こないだからずっと考えてたんだけど、P-D3867ってなんか、おかしくね?」
2人が話す横でずっと何か考え込んでいる様子だったルキオラが、独り言のように話し出す。
「おかしいって?」
「P-D3867のP-Dって、つまり『植物型散布段階』ってことだろ? テキストだと、怪異は体のどっかに、新しい種を撒くための花を咲かせるようになるってことになってんだ。でも、P-D3867の頭の花、開いてなかった……」
アルデアの頭に、あの気味の悪いカラクリ機体が思い浮かぶ。
「確かに。花っていうより、体から直接ボンボン飛ばしてきたね」
「技術部じゃ本物を再現しきれなくて、仕方なくそうなったとかじゃないの?」
そう言ってスープカップに口をつけたウルラに、ルキオラは「いや」と首を振る。
「……アニキが物作りで妥協するなんてありえねえ。あんなんでも、そういうとこは手ぇ抜かない人だからな」
彼は、器から煮魚をすくいとったフォークを持ったまま、2人の顔を見つめた。
「オレのジェム『シーディー』は、植物操作魔法だ。」
「そんなのとっくの昔に知ってるわよ。ね、アルデア」
呆れたように同意を求めて来たウルラに、アルデアはぎくりと肩を震わせる。
「……ちゃんと聞いたの……初めて」
「え……なんで……」
『言ってないの?』か、『聞いてないの?』か、何とも言えない表情を浮かべたウルラは、アルデアとルキオラを交互に見る。
煮魚を口に入れたルキオラは、「聞かれなかったから……」ともごもご言い訳をして話し出した。
「と、とにかく! オレは植物を生やしまくったり好きなように動かしたりってのができんだよ」
「ああ、もしかしてミリカさん、だから……」
アルデアは、食堂でミリカがしていた話をぼんやり思い出す。
「多分そう。植物使いのオレだから気付けることがあるって、あの人は言いたかったんだと思う。だから、ずっと考えてたんだ」
いつになく沈んだ調子のルキオラは、空になったコップを手で弄びながら言葉を紡いだ。
「どんな形か……攻撃形態か……だっけ?」
コップの表面を指でなぞりながら、ウルラが続ける。
「あと、何が好きで何が嫌いかっていうのもだったね」
次いで言ったアルデアは、コップに残ったミルクを飲み干す。
「すげえヤなこと考えちゃったんだけどさ……あれってもしかして……」
ルキオラが言いかけた時、窓の外で轟音が鳴り響いた。直後、ダイニングを照らしていた電気がふっと消えた。
「わっ! 停電!?」
思わず声を上げたアルデアに、ウルラがひしと抱き着いてくる。石鹸だろうか、彼女の髪から立ち上る花のような香りが鼻をくすぐった。
「雷……怖い……」
暗闇に沈んだダイニング。予備光源として設置された光石の誘導灯がぼんやりと光り、少し離れたところで食事していた上級生たちのざわめきが聞こえる。
アルデアは身をすくめるウルラの背を撫で、「びっくりしたね」と声をかけた。
2人の様子を気にも留めず鉛筆を取り出したステラは、ノートに何かを書き出す。そして――
『もシカし て?』
誘導灯の明かりに透かすように、ちぎったノートが差し出された。せっかく『?』マークを書けるようになったというのに、それ以外の文字はガタガタと崩れてしまっている。
「え?」
雷に驚いて言葉を失ったルキオラに、ステラは再度紙切れを突きつける。
我に返ったルキオラは「ああ……えっと」と呼吸を整え、フォークを置いて話し出した。
「植物はさ……次の種を撒いたら枯れるんだよ。それはお前らだって分かるだろ?」
彼の手が、指先をあたためるかのように、すり合わされる。
「散布フェーズが終わったら、怪異も同じようになるはずなんだ……でも……」
そこまで言って、ルキオラは少し言いよどむ。
「いや、分かんねえよ? 間違ってるかもだし……自信あるわけじゃないし……」
何を取り繕おうとしているのか――テーブルを人差し指と中指で交互に打った彼は、アルデアとウルラの方をちらりと見て口を開いた。
「P-D3867は、開花も散布もしない、枯れもしない。無限に『殖えれた』怪異、だったんじゃないか……って……」
歯切れの悪い言葉尻は、轟音にかき消された。
上級生たちがどやどやと部屋へ逃げ帰っていく物音がして、ダイニングに静寂が降りてくる。
「無限……に……」
アルデアの喉を通った声は、いやに掠れていた。背筋がひやりとするのはきっと冬のせいだけではないだろう。
手の平に触れるウルラの体温だけが、唯一確かなものとしてそこにあるように感じた。
誰も言葉を継げない薄闇の中、カラン、と音がした。
3人が振り向くと、そこには、カンテラを持った人影が見えた。
ぼんやりとした明かりの中に浮かび上がるのは、見慣れた白いエプロンと、ワンピース。
「セダム……さん……?」
アルデアの呼びかけに、返答はない。誘導灯の、カンテラの淡い光は、その人の顔を照らすにはあまりにも頼りなかった。
また轟音がして、カーテンの隙間から稲光がこぼれる。
刹那、3人は短く息を飲む。
黒いマッシュボブに縁どられた、見慣れた顔。
青白く照らし出された面貌は
氷のように冷たかった――
次回第35話『傷痕と亡霊②』
12月12日(金曜日)18時公開予定。
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