第32話 魔力継承の儀

 夜。またしても寄宿舎を抜け出した4人は、ルクスの教室に集まっていた。

 真っ暗な教室。いつもなら黒板の前にぶら下がっているコウモリも、さすがにいなくなっていた。

「夜の教室って初めて。なんか、ソワソワするね」

 アルデアは暗闇に沈んだあたりを見渡しながら、落ち着きなく服の裾を弄んでいる。

「何とか……バレずに来れたな」

 ひそめた声で話したルキオラがふぅ、と息をつく。

「ごめんね。重かったでしょ」

 椅子に座ったウルラが、手をもじもじさせて言った。

「別に。お前一人くらい余裕だし」

 返事は、そっけない。彼は扉のガラス窓から教室の外を覗き見る。

「それより、早く終わらせようぜ。医療部の見回り時間まであと20分だぞ」

 カタリ、と音がして、宙に浮いた鉛筆が躍る。窓からさす月明かり、紙面に綴られたのは、たった一言――

『わかってる』


――――


 時間は昼に戻る。

 ウルラはスケッチブックに書き写した『魔力継承の儀』について、2人に説明した。

 『満月の夜、月光のよく当たる場所に儀式用の魔法紋を刻み、

 その中心で魔力を与える者、与えられる者がそれぞれ魔法紋に血を垂らす。

 そして2人で呪文を唱え、口づけを交わす』

 そこまで説明した彼女は、口を閉じて呪文の文字を指で示す。誤発を避けるため、呪文の類はむやみに口に出すなとミルヴァスから教わっているからだ。

「……ファリタ? イシュポル?」

 見慣れない言葉の羅列に目を白黒させるアルデアの横で、ルキオラは訝しむような表情を浮かべる。

「それ……やって大丈夫なやつなのか……?」

「ファリタもイシュポルも、辞典には載ってなかったわ。」

 不安を吐き出すように、ウルラはスケッチブックに視線を落とした。

「だから、正直どんな呪文なのか……わたしも分からない」

 不穏な空気が漂い始める教室内に、鉛筆の音――

『でも やるしか ない まんげつ こんや』

「え!? そうなの!?」

 驚きの声を上げるアルデアに、ステラは文字を紡ぐ。

『きのうので みまわり ふえる はず』

「確かに。あの感じで警戒されてないってことねえだろうしな」

「次の満月を待っていられない、ってことね……」

 ルキオラとウルラが、静かにステラの言葉尻をすくった。

「じゃあ、やるの? 今夜……」

 ごくりと唾をのんだアルデアに、ウルラは「でも……」とスカートを握りしめる。

「アルデアは……ほんとにいいの? どうなるか、分からないのよ?」

 彼女の震える声を聞いたアルデアは、少しだけ下を向く。

「……分からないけど……大丈夫だよきっと。多分、死んじゃったりとかじゃないんでしょ? 多分だけど」

 静かな教室に、小さなため息がこぼれ落ちる。ルキオラだ。

「ったく、そういうとこがノーテンキなんだよ……」

 ガシガシと頭をかいたルキオラは、独り言のように話し出した。

「とりあえず、巡回の時間ぐらいは知っときたいよな。後はこの儀式をどこでやるか……」

 頬杖をついた彼は、ステラに向かって言い放つ。

「お前、迷彩でそのあたり探って来いよ。できんだろ?」

 勢いよく立ち上がり、敬礼のような仕草をしたステラは、いそいそと服を脱ぎ始める。律儀に後ろを向いたルキオラは、「ここまで来たらやるしかねえだろ」と誰にともなく吐き捨てるように言った。

「そうだよ。そうだよね。ここまできたんだもん。やろうよ!」

 ウルラの肩をポンと叩き、アルデアが笑いかけてくる。なんだかその笑顔がいやに胸に刺さる、気がした。

 口の端だけ引き上げて「うん」と小さく言ったウルラは、彼女から目をそらして口を開く。ずっと気になっていたことだ。

「それと、えと……アルデアは…… 」

 言い淀んだウルラに、アルデアは「ん?」と首を傾げた。顔が熱くなるのを感じたウルラは視線を逸らし、おずおずと言葉を続ける。

「その……キ、キスしたこと、あるの?」

 ブーーーッと吹き出す音。2人がそちらを見ると、背を向けたルキオラがせき込み始める。

「何でもねえよ!」

――何も言っていない。

 蹲ったその耳は、後ろから見てもはっきり分かるほど真っ赤に染まっていた。


――――


「一回教室に集まって、そっから屋上に行くっていうので良かったんだよな?」

 ルキオラの問いにウルラはしっかりと頷く。

「ステラ、屋上の鍵は手に入ったのよね?」

『ぬかりなく』

 カチャ、と何かが抜けるような音。何もない空間から現れたのは、鍵だ。

「ん? ステラ、それ今どこから……」

「じゃ、行くぞ」

 戸惑ったように首をかしげるアルデアをスルーしたルキオラは、ウルラの前に後ろ向きにしゃがんで「ほらよ」と声をかけた。

「ほんとに……大丈夫?」

「大丈夫っつってんだろ。早く掴まれっつの」

 ぶっきらぼうに言った彼の肩に手をかけたウルラは、「ごめんね」とその背に体を預ける。

 ルキオラはゆっくりと立ち上がって、ウルラを背負い直した。

「その謝り癖、やめろよな」

「さ、2人とも行こう!」

「うん……」と言ったウルラの声は、3人分の足音と共に闇に溶けていった。

 教室を出た3人は、屋上へ通じる階段前にある扉まで移動した。アルデアがステラから受け取った鍵で扉を開けると、その先は階段になっていた。

「ここ、来たの初めてかも」

「わたしも……」

 上へ続く階段は真っ暗で、廊下の誘導灯がほのかに差し込む扉部分以外は何も見えなかった。

 暗いのは夜だから当たり前と言えば当たり前なのだが、それにしても――

「なんだか…気味悪い感じがする……」

 アルデアがブラウスの上から腕をさする。

「ビビってんなよ。ほら、進むぞ」

 そんな彼女には目もくれず、ルキオラは背中のウルラを再び背負い直して階段を登り始める。

「あ、待ってよ」

 そっと扉を閉めたアルデアは、彼の後を慌てて追いかけた。

 階段の先、2つ目の鍵で扉を開けると、吹き荒ぶ風がごうごうと音を立てて3人の髪や服をはためかせた。

 風が止み、ウルラが目を開けると、雲一つない星空に、満月が煌々と光を放っているのが見える。

 屋上の真ん中に進み出たルキオラが身をかがめ、アルデアが彼の背中からウルラを抱きかかえるようにして冷たい地面に座らせる。

「じゃオレ、ドアんとこで見張りしてるから。見回り来ないうちに終わらせろよ」

「うん。ありがとう」

 眩しそうに月を見上げて言ったルキオラが扉をくぐり、しんと静寂が降りてくる。

 恐らくステラも彼について行ったのだろう。屋上に取り残された2人は、しばし非現実的なまでに明るい月明かりに見とれ、そして――

「それじゃあ、始めようか……」

「うん……」

 ウルラはタルシアを開け、中から魔法紋を模写した紙とナイフを取り出す。

「この魔法紋の真ん中に、お互いの血を――」

 手の平に当てがったナイフを、軽く引く。冷たい熱感が走り、熱を追いかけるようにじわりとした痛みが広がる。ナイフの刃先を伝う液体が月に黒く照らし出されて、ああ、気色が悪い。

「大丈夫?」

 目を閉じ、眉をひそめたウルラを、アルデアは心配そうに見ていた。

「うん……。平気」

 こんなの、痛くないわ。ウルラはナイフについた液体を薄紙で拭う。

 お薬の副作用で体中が痛くなった時とか、あったもの。彼女が思い出していたのは、入院中のことだ。注射や採血で何度も針を刺されたこともあったし。それに比べたら、何でもないの。

 ウルラにとってその痛みは、日常の延長でしかなかった。

「アルデアも……はい」

「う、うん……」

 アルデア、怖いのかしら。ウルラからナイフを受け取る手は、微かに震えていた。

 わたしがしたように切っ先を手の平に当てる彼女だが、できないわよね……。だって、痛みに慣れていない彼女にとって、ナイフは、怖いものね。

「ごめん……今……」

 ナイフを持ったまま固まったアルデアの手を、わたしはそっと両手で包んだ。

「いっ……!」

 短い悲鳴を上げて、アルデアは手を引っ込めた。わたしの手に残ったナイフに、つっと赤が伝う。

「ごめんね」

 ああ、きれい。同じ月の下で見てるのに、わたしのはどうしてこんなにきれいじゃないのかしら。

「う、ううん。大丈夫。ここに、垂らせばいいんだよね」

 アルデアが手の平を魔法紋にかざす。ぽた、ぽた、と落ちたそれが魔法紋を書いた紙に吸い込まれていく。まるで鉱石で作った絵の具みたい。あれは……何ていったかしら。

 赤を吸い込んだ魔法紋が、ぽうっと緑色に光り出した。光は、ペンで書いた線を辿るように広がっていく。

「わ……すごい……」

「アルデア、呪文を」

「そ、そうだね」

 あの鉱石の名前が、どうしても思い出せない。魔法紋に手をかざしたアルデアが口を開くのを、わたしはぼんやり見ていた。

「ジェム スピンドラの共鳴者たるアルデア・ヘロディアスの名のもとに、傅いて申し上げる。ファリタの一片、我より糧となりて、この者にイシュポルを与えたまえ」

 魔法紋の真ん中から、光の粒が立ち上ってきた。とてもきれい。

 わたしはアルデアと同じように魔法紋に手をかざした。アルデアの赤の上に、ぽた、と色がにじむ。

 緑色の光を追いかけるみたいに、今度はオレンジの光が広がっていく。

「ジェム マリオネッタの共鳴者たるウルラ・ノクチュアの名のもとに、傅いて申し上げる。ファリタの一片、我より糧となりて、この者よりイシュポルを分け与えられることを許したまえ」

 魔法紋を覆いつくした緑の光に、オレンジの光が重なる。

 光の粒はさっきよりもたくさん舞い上がって、わたしたちの周りをキラキラと飛び回った。

「きれい……」

「えと……ウルラ」

「ん?」

 光に見とれてたわたしが顔を上げると、すごく近いところにエメラルドの瞳があった。よく晴れた日に干したシーツみたいな、アイロンをかけたばかりのブラウスみたいな――そんな匂いがして、唇に柔らかいものが当たった。

 あたたかくて、ふわふわして、世界が溶けたみたいな、不思議な――

 目を閉じたわたしの頭の中に、風景が浮かび上がる。穏やかな青い空、あたり一面に広がるリンゴの木、鈴なりに身をつけた枝の向こう側に、白い影。こっちに手を振ってる。あれは……誰かしら……。

 顔は、見えない。けれど、その口元は何か、言ってるみたい。

 リンゴが、ひとつ、落ちる。

 風が吹いて、白いワンピースがはためく。糸がほどけるように、消えていく、消えて――

 無意識だった。枝の向こうのその人に、わたしは手を伸ばした。

 その瞬間、世界が、暗くなる。包まれてる。

 目元に被さる誰かの手の感触、冷たい光、息遣い。

『触れて、しまったね――』

 両手に何かが絡みついたような、気がした。

「ウルラ、どうしたの……?」

 ハッと顔を上げると、アルデアが心配そうにわたしの顔を覗き込んでた。慌てて自分の手を見るけど、そこには何もない。

 あたりでキラキラしてた光はとっくになくなっていて、来た時と同じ、月の光だけがわたしたちを照らしてた。

「ウルラ……?」

 何か言わなきゃと思ったのに、「糸が……」ってしか、言えなかった。

 曲げて、伸ばした指の隙間から、魔法紋を書いた紙が見えた。

 描き写してあった魔法紋はまっさらになっていて、アルデアとわたしの血だけがシミになって残ってる。

 どっちも、同じ、赤。

 ああ、思い出した。あの鉱石の名前。

 シナバーだ――


――――


 同時刻。屋上へ行くドアの前で見張りをしていたルキオラの傍ら、カタリと空気が動く。ステラが立ち上がったのだろう。

「誰か来たか?」

 緊張に体を強ばらせたルキオラは、背後のすりガラスから差す月光の中、鉛筆が静かに動くのを見た。

 床に直接刻まれていく筆跡に、彼の心臓はざわりとした寒気を覚える。

「お前……ステラ……なんだよな」

 そこにあったのは――

『まザった マざった』

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