変化しているのは私じゃなくて
「里中さん、何を見ているの?」
「え?」
先輩といっしょの帰宅途中。
どうせ会話なんて無いと油断していた私に、突然質問が飛んできた。
「何って……人、ですかね」
「人……あの大人の人を見ていたの?」
私の視線の先では、スーツを着たサラリーマンが自販機でコーヒーを買っていた。
「喉が渇いているの?」
「そういうわけじゃないんです。羨んでたって意味では、間違ってないですけど」
「?」
「大人って自由でいいなーって。子供の方が自由だって言う人もいますけど。自由に使える時間の長さは、確かに子供の方が長いんでしょうけど。でも、子供はああやって好きな時に飲み物を買えないじゃないですか」
大人は会社にスマホも財布も持っていける。
子供は学校にスマホも財布も持ってはいけない。
大人は休憩時間にスマホを触れる。
子供は休憩時間にスマホを触るのは許されない。
大人は道の途中で買い物ができる。
子供は登下校中には手元にお金が無い。
「例えばスマホだって、授業中にイジってるのは問題ですけど、それ以外の時間だったら使ってたって問題ないと思うんです。重要なのは使用方法であって、持ち込み自体を禁止するのは違うんじゃないかなって。そしたら――」
(学校での一人の時間も、少しは楽になるのに……)
「……」
先輩は何も言わず、じっと私のことを見つめていた。
私の主張に同調することもなく、にこりともしていない。
(やばっ、ちょっと喋りすぎたかも……)
心の底に溜まっていた不満は発散先を探していたようで、先輩からの不意打ち質問で簡単に口から飛び出してしまった。
人に愚痴を聞かせるなんて、それは雑談に付き合ってもらう以上のわがままだ。
そんなの、親しい間柄でしか許されっこない。
また先輩に気を遣わせてしまうだろうか。
そう思った矢先に、先輩は――
「それは違うと思うわ」
先輩は、正論をぶつけてきた。
「大人と違って、学生は貴重品をいつでも持ち歩けるわけじゃないわ。例えば体育の時とか。もしも財布を持ち込んだとして、里中さんは財布を教室に放置して安心して外に行ける?」
「それは……で、でも、それだったら学校にロッカーを用意してくれればいいじゃないですか」
「そうね。それはその通りだわ。でも私たちの通っている中学には個人で管理できるロッカーなんて無いのが現実で、私たちはそんな学校を選んで入学したのよ」
「っ、だ、だったら、体育の時は教師が貴重品をまとめて管理するとか――」
「それは、子供の自由の為に大人に負担を強いることよ。簡単なことではないわ」
「……結局、ちゃんと情報を集めないままに入学する学校を選んだ私が悪いってことですか?」
「里中さんを責めているわけじゃないわ。ただ、スマホや財布の持ち込みが許可されている中学が存在するのも事実よ。でも、そういう学校はまた別の制約があったりするのでしょうけど……」
「……」
「……楽しくない話をしてしまったわね」
「いえ、先輩の言うことは何も間違ってないですから。むしろタメになるお話が聞けて嬉しかったです!」
笑顔を見せたつもりだったけれど、先輩の表情を見る限り、私は上手く笑えていないようだ。
「……ごめんなさい」
「どうして先輩が謝るんですか。謝らなきゃいけないのは、碌に考えもしないで文句を垂れた私のほうですよ」
「ごめんなさい……ほんとうに……」
先輩の言っていることは正しい。
多分、きっと。
少なくとも、私よりは。
でも、私にとっては面白くない話だった。
「里中さん。好きな飲み物は何?」
「え?」
次の日の放課後。
慣れてきた先輩との無言帰宅の途中で、それはあまりにも唐突だった。
「……CCレモンです」
「そう、炭酸が好きなのね。私は炭酸って苦手なの」
「そうなんですね」
「……」
「……」
(なんなの……?)
実は先輩も無言が気まずかったりしていたのだろうか。
(もしかして、この無言って次は私が話題を提供する番ってこと……? でも、そんな急に話題なんて――)
「……ちょっとここで待っててね」
そう言うと、先輩は私を置いて歩いて行ってしまった。
「先輩?」
先輩の向かった先。
そこには自販機があって――
「えっ?」
ガシャコンという音が自販機からすると、先輩はその手にペットボトルを持って私の元へと戻って来た。
「もらってくれる?」
「これ……今買ったんですか?」
先輩は無言でコクン、と頷いた。
「でも、だって、学校にお金を持ってくるのは禁止で、先輩だって昨日……」
つい昨日、私に貴重品の持ち込み禁止について説いていた先輩が。
今日、学校にお金を持ち込んで、下校途中にジュースを買っている。
「……里中さんが、喜んでくれると思ったから」
それは人の宿題を手伝うのとはわけが違う。
明確に禁止されていることを、先輩は私の為にやったと言っているのだ。
「余計なお世話だったかしら……」
昨日だって、私はジュースが飲みたかったわけではない。
今だって、別に喉が渇いているわけじゃない。
それでも――
「いえ、そんなことないです! ありがとうございます、先輩。私、本当に嬉しいです!」
「良かった……!」
大げさに、ちょっとわざとらしさが透けてるんじゃないかって不安になるくらいに私は喜んでみせて。
先輩はそんな私を見て、大きく顔を綻ばせた。
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