第38話「温もり」
「あ……あぁ……」
ファシムのうめき声が弱々しく響く。まるで破壊されたコアと体の痛みが連動しているように、苦しそうにもがいている。
「あっ……」
すると、ファシムの輪郭を覆うように白い光が奴を包み込み、足先から空中へ溶けるように消え始めた。先日オードブル地方を襲ったモンスターの大群を倒した時と、同じ消滅の仕方をしている。
「敗北……信じられぬ結果だ」
ファシムは地面に伏したまま落胆する。とてつもなく手強い相手だった。私達は何とか生き残ったけど、テムスのギルドメンバーはどれだけ殺されただろう。そして今、敵が倒され、その命がこの世から消えようとしている。
「いや、当然の結果よ。大勢の命を奪った極悪人なんだから」
だけど、私は堂々とファシムに吐き捨てた。奴がやってきたことは決して許されることではない。人間の命は尊いものだ。それを奪おうとするものなら、誰が相手であろうと許さない。
人が死ぬ瞬間を、私はこの世界で何度も見てきた。だからこそ、命の重みを充分に理解できたのだ。
「……そうか。でも、負けるというのは悔しいものだな。これが幻覚であってほしいと請う自分に驚いている」
ファシムは満更でもないような笑みを浮かべている。自分が今まで犯してきた罪を、そしてようやく迎える死を受け入れている様子から、敵ながら同情してしまいたくなる。
でも、誰かを傷付けてきたことは、決して許してはいけないのだ。
「お主らにイワーノフ様の野望が食い止められるか?」
「……」
私は何も返せなかった。ファシムはあくまでイワーノフの一味の幹部に過ぎない。今回はたまたま運良く生き延びられただけかもしれない。まだまだ弱い私達に、果たして奴らに完全に打ち勝つことは可能なのだろうか。
「……できる」
そんな中、透井君が弱々しくも声を張り上げた。
「やってやる。イワーノフを倒して、この国を包み込むお前らの漆黒の煙を一掃してやるさ」
「そうか。やれるものなら、やってみるがいい……」
スッ
それだけ言い残し、ファシムは完全に消え失せた。そこには奴が着ていたボロボロの和服が残されていた。激しい戦闘を行った後とは思えない、恐ろしすぎるくらいの静寂だった。
「勝っ……たぁ……」
私はその場にぐったりと脱力し、膝をつく。今までの疲労が、消えたファシムの体に吸い取られたように存在を忘れていた。しかし、唐突に体に覆い被さり、全身の傷が重く感じる。2週間分の筋肉痛を一気に抱えているような痛みだ。
「うっ……」
「透井君!」
透井君が右腹を押さえて呻き声を上げる。私は誰よりも早く反応し、彼に駆け寄る。ファシムが最後の悪あがきのために投げ付けた短刀が、彼の右腹を出血させる。今は引き抜いてハンカチを押さえている。
「大丈夫?」
「大丈夫だ……急所は外れてる」
一般人だったら動くこともままならないほどの傷でも、透井君は少々息を切らすだけで耐えている。確かにみぞおちからは外れているけど、彼の悲痛な表情が私にまで痛みを感じさせる。
「ぐっ……」
「本当に大丈夫?」
「あぁ……腹は平気だが、ちょっと寒気がな……」
透井君の言葉を聞いて、初めて彼の手足が小刻みに震えていることに気付いた。腹に短刀が刺さった痛みより、体の寒気の方が気になるって……どういう感覚なんだか。
それでも、彼が寒気を訴えることは少なくない。氷の魔法を使いこなすようになってから、手足や首元が凍えるらしい。今回も酷使していたし、相当しんどい思いをしていることだろう。
「……」
彼が体に寒気を感じると同時に、私の胸元に温もりを感じた。ジャージの裏にこっそりと隠していて、今日の依頼を達成した後に渡そうと思っていたプレゼント。私の胸をくすぐるように存在感を醸し出す。
「透井君」
「ん?」
ファサッ
私はマフラーを透井君の首にゆっくりと巻いた。彼の白髪のように雪を彷彿とさせる白い手編みのマフラーだ。不器用な私の手によって編まれたから、ところどころ既にほつれて糸がピョコンと出てしまっている。
「え、これ……」
「作った」
「作った? 夢さんが?」
「う、うん……」
透井君がマフラーに手を当てて驚く。そりゃ、私のような女子力の欠片もないオタク女子が手編みのマフラーをプレゼントなど、らしくない行為に及んだとなると驚きもするだろう。私自身だって、今驚いている。なんでこんなことしてるんだろうって。
でも、その答えは今、この鼓動が止まらない心臓が教えてくれているのだろう。
「夢さん……」
透井君は私の頭に手を置いた。
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
透井君が微笑みかけた途端、私の頬は真っ赤に染まった。鏡を見なくても分かるくらい、私の体温が急激に上昇しているのを感じる。心臓の鼓動が先程よりテンポを上げて高鳴る。
「ったく、だからイチャイチャすんなっての!」
テムスが生き残ったギルドメンバーに手当てをしてもらいながら呟く。それにしても、透井君のとろけてしまうようなイケメンフェイス、本当にカッコ良すぎる。流石ユキテル君の生き写しだ。きっと並大抵の女子なら、あまりのカッコ良さに興奮して鼻血を出しているだろう。
「ちょっ、夢さん鼻血!」
「あっ……」
私も並大抵の女子だった。
* * * * * * *
「痛っ……もう……戦闘はゴリゴリでござる……」
「生きててよかったね……」
町に戻ってある程度の治療を受け、透井達はジゲンホールに戻る。過去最高級に激しく、命懸けの戦いを繰り広げ、心身共に疲弊しきっている。鉄のように重く硬い体を動かし、のろのろと歩く。路地裏に形成されたジゲンホールを見つけ、向こう側へ向かう。
「……!」
すると、一番最後を歩いていた香李は、一人の少女の存在に気が付いた。積み上げられた樽の影に、うつ向いて泣いている少女がいる。人気のない場所で一人涙を流すとは、どう考えても非常事態だ。
しかも、少女の顔には特別見覚えがあった。ルオース地方でモンスターの襲撃を受けた際に、姉をモンスターに殺された妹だ。エトニック地方に移ったらしいが、姉を殺された悲しみから立ち直れていないようだ。
「香李ちゃん、行くよ~」
「あ、うん……」
一瞬判断を迷った香李だが、今自分の体を襲う痛みが勝ってしまった。今はとにかく体を休めたい。少女に声をかけたい気持ちを抑え、香李は夢の後を付いていく。ジゲンホールのゆらめく光は、まるで香李の迷いを写しているようだった。
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