第2話

部屋から出られなくて、ずっと引きこもっていた。


夕餉も食べに行けなかった。


後からこっそりお義母さまが食事を運んできてくれて、それはちゃんと食べたけど、膳はそのまま廊下に出しておいた。


夜になるのが怖かった。


この襖の向こうから現れるのが、もう今までと同じ人だとは思えない。


晋太郎さんの布団は普通に敷いて、私のはうんと遠くに離した隅っこに敷いた。


衝立は自分のすぐ脇に立てる。


布団に潜って震えながら時間を過ごしていても、その夜晋太郎さんが部屋に来ることはなかった。


あの人はまた、奥の部屋に閉じ籠もるようになってしまった。


夜も寝所へやってこない。


食事にも来ない。


お祖母さまが食事を運び、勤めに出る時は下男を伴い支度をさせ、さっさと出て行ってしまう。


いつ帰ってきたのかも気づかないくらい静かに戻ってきて、夜は独り奥の部屋で休む。


お義母さまに呼ばれた。


「晋太郎のことで、話があります」


義母の部屋で向かい合って座ると、お義母さまは深くため息をついた。


「晋太郎の噂は、ご存じですよね」


「……。はい」


「あの子はまだ、珠代さんのことを忘れられないでいるのです」


子供のいない坂本家には、跡取りが必要だ。


晋太郎さんは一人子。


健康で若い嫁をというのが、この家の望みだった。


父親同士が知り合いだった縁もあり、私はこの家に嫁ぐことになった。


「晋太郎のことで困ったことがあれば、すぐに相談してください。どんなことでも話は聞きます。ですがあなたも、努力は怠らぬようお願いします」


「はい……」


望まれて嫁に来た、望まれない妻だという覚悟はしてきた。


だから大丈夫。


こんな事情でもなければ、私がこれほど格上の家に嫁げることなんてありえない。


誰の目からみても、破格の良縁だった。


反対だなんて、出来るわけがない。


分かってる。


私がしっかりしないといけないってこと。


義母に言われて、盆に載せた茶菓子とともに奥へ向かう。


話はつけてきたから、仲直りをしてこいとの仰せだ。


「失礼します」


北の間の引き戸を開ける。


返事はない。


見るとその人は、静かに庭を眺めていた。


この部屋は晋太郎さんの中にある珠代さまとの思い出を、大切に守っている場所だったのだ。


私の抜いた草は、その大切な思い出の花の芽だったのだ。


その芽は今やびっしりと顔を出し、細く柔らかな茎と葉を、懸命に空へ向かい伸ばしている。


「ずいぶんと芽が伸びましたね」


「このままにしておいてください」


盆を置き差し出す。


湯気だけがゆっくりと立ち上った。


「庭の世話に関しては、全て私がやります」


「申し訳ございませんでした」


両手の指先をきっちりとそろえて前につき、丁寧に頭を下げる。


額を床につけたまま、じっとその人の言葉を待った。


「……飲んだら、自分で運んでおきます。あなたはもう戻りなさい」


恐る恐る頭を上げても、まだじっと庭を向いたままだった。


その横顔を見つめる。


ピクリとも動かないその姿に、私は立ち上がった。


日の当たる、暖かな廊下を戻る。


ふわりと舞い込んだそよ風は、確実に春の空気を運んでいるのに、床板の冷たさだけは変わらない。


足は鉛のように重かった。


「ちょっと志乃さん。こっちにいらっしゃい」


障子が開いて、お義母さまが手招きをしている。


部屋に入ると、お祖母さまも一緒に座っていた。

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