第八話の4

 イャノバの意識が巨人を走らせた。ハンバスが右腕を上げると、光線が放たれる。イャノバはそれを避けてみせた。腕の向けられた方向を見て、撃たれる前に回避していた。光線は短く、矢継ぎ早に撃たれたが、アキノバは三発目を抜ける頃には神獣の懐へ潜り込んでいた。

 左手による牽制の一撃を、ハンバスは上げていた右腕で打ち下ろした。右手の攻撃は、ハンバスに胴を蹴り上げられたことで中断される。足が強力な磁石のように固定されて、その巨体が吹き飛ぶことはなかった。ハンバスは蹴り足を奥へ戻し、半身になりながら今度は左腕を向けた。

 衝撃に伸びた体が再び自由を得るのに、時間がかかった。閃光が白い巨人に直撃し、破裂音があった。

『ぐぅぅ……!』

 猛烈な衝撃だった。レッドカイザーは悪寒がして、足裏の接着を解除する。体が吹き飛んでしまうが、雨風を受けるようにしたことで空中で不安定な挙動をとり、連続で放たれた光線の射線から外れると速やかに減速し地に落ちた。

 イャノバは胸のあたりを巨人の手で覆った。レッドカイザーもエーテルによるダメージを感じてはいるが、イャノバほど鮮烈ではない。イャノバは立ち直るまでに時間がかかった。

(いまの一撃。私が体を飛ばさなければ、至近距離で延々照射されていただろう)

 “器”のエーテルが全身を満たす限り、体が失われることはない。しかし、その衝撃にイャノバがどこまで耐えられるかの懸念が今生まれてしまった。強すぎる攻撃を受けた時、もしイャノバの意識が途切れるようなことがあれば、現界を維持することはできるのか。体は動かないのか。

(いや、ここはイャノバを信じなければ。彼の信じる”アキノバ”として)

 レッドカイザーは、はるか遠くから名前を呼ばれたような奇妙な錯覚があった。そして雑念に耳をふさぎ、英霊アキノバとしてイャノバを鼓舞した。

『イャノバ、立て! おまえの力なくして、どうして里が守れるのか。ウタカを、ウボクを、イャソクを、家父や大巫女や里長を、お前が守らず誰が守るのだ!』

 イャノバはしばらく静かだったが、やがてゆっくりと立ち上がった。まっすぐ背を伸ばし、雨と風に惜しげもなく身を晒した。

『行くぞ、アキノバ』

 今度はゆっくりと神獣へ近づいていった。その意図が、レッドカイザーには分かる。動きに緩急をつけて、正面から奇襲をかけるのだ。イャノバの元々の得意技で、この巨体でも、空気の抵抗を無視できるのだから依然使える強力な戦法だ。もちろん今から試すものは決定打にならない。二度ほど試し、相手が動きに順応できないか、慣れるまでにまだかかると判断すれば、いよいよエーテルを集中した一撃を撃ち出す。

 レッドカイザーの強みは、エーテル特性を相手に知られ辛いことだ。そして、非力だと思われること。攻撃の一つ二つ当たったところでどうということはないと意識付けられれば、それはそのまま武器となる。

(ハンバスは先程、イャノバの攻撃を二つともいなした。その手応えから非力さは伝わっているはず……)

 だが、ハンバスの佇まいにはまるで隙がなかった。相手の一撃をそれこそ全てが必殺だと信じているような鉄壁ぶり。ただ立っているだけに見えるが、攻勢はまるで感じず防御に徹しきっている。

 一方イャノバの動きは、いかにも攻撃を加えたくなるような誘惑を放っている。並足ながら攻勢に振り切っているゆえに隙だらけで、その実イャノバの動体視力は敵の一挙手一投足を逃さない。これぞ機と見れば瞬く間に喉笛に喰らいついて見せる野獣の技だ。

 ハンバスは何もしなかった。次に起こる何事かをしっかりと見定める腹積もりでいることは明らかだった。イャノバはうかつに手を出さず、結局、自分の腕を伸ばせば相手に触れられるところまで接近した。

 刹那の後にイャノバは呼吸の裏をかいて神速の打撃を加えた。ハンバスは何も反応できないが、当然応えた様子もない。イャノバはそのまま拳を撃ち続けた。ここまで接近させたのが悪いとばかりに両腕を交互に伸ばし、相手の右腕が動けば左腕の方へ、左腕が動けば右腕の方へと回り、時には完全に背後をとって連打を繰り返した。

 レッドカイザーはここで、エーテルの集中を実行すればいつでもトドメを刺せる状態になった。

(行けるか? 今か?)

 レッドカイザーがいよいよと見定めたときだった。

 ハンバスの動きが静止した。

 レッドカイザーはこの瞬間、体に降りしきる雨音が遠くに聞こえた気がした。イャノバも同様の錯覚を覚えたようだった。

 光線が閃いた。神獣の胸の高さで、発射の起点ごとぐるりと体を回転したのだ。イャノバはこれを超自然的な感覚で察知し、膝を落として回避した。光線は周囲の山岩に一筋の切れ目をつけ、赤く溶けたものが血のように滴った。

 光線は、手以外からも照射できるのだ。足元の大地が神獣に吸収されていく。

 神獣は背後を見ないまま、アキノバに光線を撃った。イャノバは撃ち始めを見切ったものの、連続照射による攻撃は流れるように巨人を追い、その体を細かく斬りつけるよう幾度となく掠める。

 雨が強くなってきていた。嵐だ。光線は蒸気を生み、それが光の筋を乱して照射源の視認が困難になった。イャノバは懸命にかわし続けるが、被弾する時間は長くなっていく。

 光線に切れ目があった。イャノバは羽虫が炎へ飛び込むように、そこで攻勢へ出てしまう。

『まずい、イャノバ!』

 光線がアキノバの足を撃った。勢いを失った一瞬に、ハンバスの右腕が横へ振るわれた。巨体が宙を舞うが、すぐに減速して着地する。

『イャノバ、大丈夫かっ、しっかりしろ!』

『ウッ、ぐぅ……』

 レッドカイザーはハンバスの次手を見ようとした。思った以上に遠い。ハンバスはもうアキノバを”見定めた”のだろう、本気となったからにはイャノバはもう近づけないかも知れない。

(……いや、待て、これほど下がってしまったということは!)

『イャノバ、後ろを見ろ!』

『え、な』

 振り返ると、近くに”家”が見えた。里の外縁に触れてしまっている。ここまで前線が下がってしまったのだ。

『そんな……! あ、アキノバ、早くやつを……』

 イャノバは立ち上がり、神獣へ向かって走り始めた。そこには一切の策がなかった。イャノバは闘志ではなく焦燥と責務に急き立てられていた。戦士は、獣はその本能の牙を抜かれてしまい、最も愚かな行動として体を突き動かしてしまった。

 暗い空が刹那とも満たない時に白く染まった。落雷が神獣の威容を黒く浮かび上がらせる。

 光線が縦一筋に走り、アキノバに直撃した。イャノバはこれに膝をついてしまった。

 すぐに横一閃の光があった。白い巨人を撫でながら地中深くまで穿たれ、森が破壊と炎に包まれた。溶解した地盤に木々が飲み込まれ、土砂は灼熱し、死の川となる。

『そ、そんな、里が……!』

『イャノバしっかりしろ! これ以上被害を出さないためにも』

『あの家……』

『なに?』

『あの家は……ウボクの……』

 豪雨の最中で、もはや助かりようのない火炎にさらされた“家”がひとつあった。イャノバの意識はそこにじっと捕らえられて、他の何も見えてはいなかった。逃げようとする森の獣、待ち受ける運命に抗おうとする、家のものたち。その一つ一つが見えていて、イャノバにはそれらにすぐにでも救いの手を差し伸べることができると感じられた。

 イャノバは巨人を、“家”の方へと歩かせた。

『イャノバ!』

 無防備な背中に強い衝撃があった。体から力が失われていき、巨人は倒れ伏した。

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