第33話

 三人は、夜の森に逃げた。


 彼らを追ってくるものはいなかった。


 きっとリシャの仲間たちは、王を殺した喜びで沸いているのだろう。だが、ヒューイたちは誰も喜びを感じてはいなかった。


 シルメは、ユーファを背負って森の中を歩いた。普段から大剣を背負っているシルメにとって、ユーファの体重など微々たる負担だった。


 問題なのは、ユーファだった。


 ユーファは歩けなかった。


 兵士から受けた暴行が原因だったのだ。シルメの背中で揺れを感じるだけでも、ユーファは辛そうだった。ヒューイは、それに対して何もできなかった。


 シルメの足が止まった。


「川だ……」


 シルメは、ユーファを地面に下ろした。ユーファは、その振動にも顔をゆがめる。ヒューイは、ユーファを支えるのを手伝った。


「この川で体を洗える、ユーファ」


 シルメは、ユーファに語りかける。


「……ヒューイ、ユーファを手伝ってくれ」


 名指しで呼ばれたヒューイは驚いた。


「そういうのは、シルメ君がやるべきでしょう」


 シルメは、ユーファの婚約者である。


 だから、水浴びの世話はシルメがやるべきだと思った。


「俺は、見張りをしているよ。俺の方が夜目が効くから」


 そう言われてしまえば、ヒューイは従うしかなかった。


ユーファに肩を貸し、ヒューイは共に水に入っていく。冷たい水にヒューイは一瞬怯んだが、ユーファは恐れることなく進んでいく。腰まで浸るほどの深さまでくると、ユーファの体から赤い水が流れ出てきた。ヒューイは、ぎょっとする。


「ユーファ君、血が……」


「ああ、切れていたのね」


 ユーファは、茫然と呟いた。


 ヒューイの肩を借りながら、ユーファは服の上から体を清める。赤い血はどんどん濃くなっていき、ヒューイは心配になってきた。ふらり、とユーファの体が大きく傾いだ。


「ユーファ君!」


 思わずヒューイは、ユーファを抱きとめる。


 荒いユーファの呼吸に、ヒューイは心臓が高鳴った。


だが、ユーファはヒューイの腕を拒絶した。両手でヒューイの腕を押し返し、全身全霊でヒューイを拒絶する。その抵抗は、微々たるものだった。少なくとも、ヒューイにとっては。


「……もう嫌よ……」


 ユーファは、ヒューイの腕の中で呟いた。


「女が嫌だ……もう嫌!」


 一際強い力で、ユーファはヒューイを拒絶する。それでも鍛えたヒューイにとっては、抵抗の力は小さい。


「私は、もう女でいることが……嫌なの」


 ユーファは、ヒューイの腕に噛みついた。


さすがにヒューイは、ユーファを支えていた腕を緩めた。痛みからではなかった。弱弱しいユーファが、あまりにも哀れだったからだ。


「いやぁ……」


 ユーファは、一人で川を進んでいく。


 ヒューイは茫然としていたが、やがてはっとしてユーファを追いかける。


「ユーファ君、危ないですよ!」


 ヒューイはユーファを呼び止めるが、彼女の歩みは止まらない。ヒューイは唇を噛みながらも、ユーファに追いついた。そして、彼女を後ろから抱きとめる。


「ユーファ君、落ち着いてください!」


「いや!」


 川の中で、ユーファが暴れる。


ヒューイは、そんな彼女をおさえる。


「落ち着いて……落ち着いてください」


 ヒューイは、叫んでしまいたかった。


 すべては自分が悪かったのだ、と。


「やめて……ヒューイ、放してよ!」


「離しません。離しませんから……」


 二人が暴れるたびに、川の水が飛ぶ。その飛沫を浴びながら、ヒューイは泣いていた。ユーファを放してしまえば、ヒューイ自身が壊れてしまうような気がした。


 ばしゃり、と二人の体が川に沈む。


 ユーファが、足を滑らせたのだ。その上に、ヒューイが伸し掛かる。水の中にユーファの体が沈み、ヒューイの腕がユーファを閉じ込める檻となった。


 ユーファの口から、大きな空気の泡が漏れる。


 呼吸ができなくて苦しいはずなのに、ユーファは暴れることはなかった。


 まるで、このまま水の中で一生を終えることを望んでいるみたいに。


 その光景は、まるで額縁に嵌った絵画のように美しかった。


 ヒューイは、その光景に見惚れた。


 彼女に目を――心を奪われたのはこれで三度目のことだった。


 気が付けば、ヒューイは聞かれることのない言葉を発していた。


「ユーファ君……私は君のことが――……ずっと」


 ばしゃり、と水音がした。

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