episode 4 優雅水ミザリーの憂鬱

「ついに、来たわ…あの日以来のB県K市。W市とはやはり空気が違うわね。あの人がいるからかしら。えっと……ミザリーさんは……」


「よっ! カルチェっ!」


 柱の影からとびっきりの笑顔で飛び出してきた美女。優雅水ミザリーとの一か月ぶりの再会であった。


「来ましたよ! ミザリーさんっ。ちゃんと卒業してきました」


「オッケー! 待ってたよ。じゃあ、私の家に行こうかぁ」


 2人はミザリーの住むマンションに向かい歩き出した。


 この一か月間、カルチェとミザリーはLINEでのやり取りを重ねていた。おかげで都田家にいる間の苦痛はだいぶ和らいでいたのだった。


 カルチェの中でミザリーの存在はもう欠かせないものになっていた。


 精神的支柱…そのものだった。


 駅からさほど遠くない10階建てのマンションの7階に、ミザリーは住んでいた。


「本当によろしいんですか?」


「まぁ、お金が貯まったら好きな時に出て行ってくれていいよっ。それまではここで寝泊まりしてくれて構わないよ。住民票だの転居届だのはそれからでもいいんじゃない?」


「ありがとうございます。しばらくお世話になります」


 カルチェは荷物を置き、部屋を見渡した。




 白……白……白……




 カーテンがグレー以外はほぼ白で統一されたスタイリッシュな部屋だった。


 うっすらと香る高級そうな香水の香りが、カルチェの胸を更に高鳴らせた。


 そんな部屋だからこそ目立っていた……テーブルの上に置かれた、薬の入った白い紙袋。


蛇沼へびぬまクリニック】

井戸いどがみミサ 殿]

 精神安定剤 1日 一錠 


「ミザリーさん、お薬……飲んでらっしゃるんですか……?」


「あはは。驚いた? 精神安定剤。こう見えて実はナイーブなんだよ私。なんてね。仕事の疲れもあるよ。まぁ、それだけでもないけど。あっ、本名も見られちゃったね。その『井戸上ミサ』ってのが私の本名。ねっ? 暗そうな名前でしょ?」


「そんなことは……美しいお名前だと私は思いますけど」


「あら。嬉しい。美しいだなんて初めて言われたよ。井戸上ミサも捨てたもんじゃないね」


「当たり前ですよ。私、優雅水ミザリーよりも好きかも知れないです」


「おいおい。勘弁してよ(笑)」


「あっ、ミザリーさん。私は源氏名、宮古田カルチェでいきます」


 そう言ってLINEの画面に名前を打って見せた。


「そうかっ。aquamarine の宮古田カルチェ……いい感じだ! あっ、今日お前の会いたがっていた、メルティーちゃんにも会わせてあげるよ」


「野苺さんでしたね」


「実はNo.1がこないだ私と入れ替わったんだ。だからその辺はあまり言わないでやって。本人はま〜ったく気にはしてないけど。頼むね」


「そうなんですかっ! ミザリーさん、すごい……。分かりました」


「一応、店長にカルチェの事は話してある。この後、面接も受けてもらうけど、やる気さえあれば大丈夫だからっ。あとは笑顔も大事だね。せっかく可愛くてもブスっとしてちゃあ始まらないからさ。私が思うにカルチェのキャラは案外ウケると思うんだよね」


「私のキャラ……?」


「そうそう! そのしゃべり方とか、あと将棋の知識も役に立つだろうね。実はカルチェをaquamarineにって思ったのは、私の指名のお客さんの中にめちゃくちゃ『将棋好きな社長さん』がいるんだよ。まぁ、とりあえず将棋の事を勉強してみたけど、全くそのお客さんの望むレベルでは話せないし、結局、将棋の話は少しで終わっちゃう。やっぱりカルチェは将棋の話は得意なの?」


「得意……なのかは分かりませんけど、棋界きかいの事なら大抵の事は話せます」


「そうっ! じゃあ、またそのお客さんが来た時はヘルプで席に付いてもらうからっ!頼むよっ」


「ヘルプ? 助ければいいのですね!」


「そうそうっ。うまくいけばえだきゃくにも繋がるよ!」


「枝……?」


「まぁ、いいさっ。追い追いねっ! じゃあカルチェ、さっそくこないだ言ってた美容院に行こうか。髪、染めたいって言ってたもんねっ。予約は入れてあるからさ」


「はい!……どんな感じが良いでしょうか……?」


「いきなりド派手も如何いかがなものかと思うから……まずはアッシュブラウンでいいんじゃないかなぁ? うん。可愛さ倍増ばいぞうしそうだね。最強のライバルを今、私は自分で作り出そうとしているのかも知れない…なんてっ! あははっ」


「アッシュブラウン……」

(そ、そんなブラウンがあるのね……)


 宮古田カルチェ、初ヘアカラー。ドキドキが止まらない。










 ミザリー行きつけの美容院『13サーティーン』。マンションを出て、徒歩2〜3分で到着した。


「本当にミザリーさん、職場もですけど全部、家の近くですね」


「そのほうが楽じゃんっ!」


「まぁ、そうですね」

 

 美容院に入るとミザリーは、店長らしき人物にカルチェの事を伝えると


「かわいくしてもらいなよっ!」


 そう言って帰って行った。


「ミザリーの秘蔵っ子って聞いてるわよぉ。バッチリ可愛くしてあげるから♡じゃあ、こっちの椅子へどうぞっ! カルチェちゃんっ!」


「あっ、はいっ!」

(こ、これで見た目も宮古田カルチェになってしまうのね。あら? この方……男性でらっしゃるのになんだか女性っぽい口調と仕草だわ。セクシャルマイノリティの方ね……きっと)


「じゃあ、始めるわねっ」


「お願いします」


 カットを始めて暫くすると、店長の壱咲いっさが気になる事を言ってきた。


「ねぇ、カルチェちゃん……少しお願いがあるんだけど……ミザリーの事で」


「なんですか? ミザリーさんの事ですか?」


「そう。あの子ね……最近、彼氏ができたみたいなのよ」


「ええっ!? 彼氏っ? じゃ、じゃあ私なんかがあの家にいてはっ……」


「いや。いいのよ。いてくれて。どうも、あの男は胡散うさんくさい。下手にミザリーの家に入り浸りになられても困るわ。だから、カルチェちゃんにはミザリーとその男を監視していてほしいのよ。できる範囲でいいわ。……私見たのよ……ミザリーがその男にお金を渡したところ」


「お金っ?」


「ミザリーってすごく華やかに見えるけど実は恋とかってあまり経験ないのよねぇ。だから心配なのよ……」


「そ、そうなんですか? あんな美人のミザリーさんがっ?」


「あはっ。カルチェ、あなたも相当恋してないわねぇ。可愛いのに。ミザリーと似た匂いがするわ。だから、あなたも気をつけなさい。近づいてくる男はやめなさい。あなたが自分から知りたい……と思えるような男に恋をしなさいよ」


「は、はい……」

(そんな男……いるのかしら? それよりもミザリーさんが……まさかそんな事になってるなんて)


「優雅水ミザリーは野苺メルティーと共に aquamarine の二枚看板。なにかあったら大変な損失よ。だからお願いね! 見守っててあげて」


「分かりましたっ! 私の命の恩人ですから、ちゃんと見てますっ!」


「ありがとう……じゃあ、合格という事で…」


「へっ?」


「どうも〜! aquamarine 店長の壱咲で〜す♡」


「えぇっ!?」


「美容師もやってるのっ! がんばってよぉ〜! 可愛くしゃうからっ♡」


「は、はい〜……」

(面接されてたわけね……。びっくりしたわ……でも合格できた。よかった)


 そして……


 2時間程でついに完成した。




「どう? 感想は?」


「じ、自分とは……思えないです」


 鏡に映る自分の姿に、今までの都田千恵の暗く重い雰囲気は微塵もなかった。


 卓越したカットと見事なカラーリングで、まがう事なく


『宮古田カルチェ』


 がそこに生まれていた。


「まっ、今日でも明日でもミザリーと一緒にaquamarine に来て働いてくれたらいいから。接客や仕事の内容は大体あの子が教えてくれるから。まっ、分からない時はなんでもボーイの男の子に聞けばいいわ」


「はい。ありがとうございます」


「じゃあ、カルチェよろしくね!」


「よろしくお願いします!」


 カルチェはミザリーの家に帰りながら考えていた。さっきの壱咲の話だ。



(ミザリーさんの彼氏……お金って一体何の為に? ギャ、ギャンブルかしら……パチンコとかかしら? ま、まさかそれで精神安定剤を?)



 ピンポーン………


 ガチャ!



「おかえり! カルチェっ! おおー! 可愛くなったじゃんっ! 可愛いいよっ!」


「そ、そうですか?」


「合格って言われた?」


「あっ、言われました! びっくりしましたよ!aquamarine の店長だったんですねっ! 先に言って下さいよ」


「言ってたら緊張したでしょ?」


「た、確かに……」


 ピロリン、ピロリン、ピロリン……


 ミザリーのスマホの着信が鳴った。



 カルチェは嫌な予感がした。


「あっ、もしもし! うん。分かった。待っててねっ!」


「どうしたんですか?」


「あー、ちょっと行ってくる。すぐに戻るよっ!」


「はい……」

(例の男なのかしら……)


 ミザリーはバッグを持って急いで出て行った。カルチェはベランダに出て下を見てみた。


 すると、1人の男がいた。


 スカジャンを着た、指輪とピアスをたくさん付けている男。煙草を吸いながら人を待っている様子だった。


「まさか……あれ?」


 暫くすると、その男に駆け寄っていく女がいた。


 そしてバッグから財布を取り出すと、数枚の一万円札を渡した。


 すると、その男は女の耳元でなにかを囁いて頭をポンポンと優しく撫でて去って行った。


 女は笑顔で男に手を振っている。


 あの綺麗なチェリーレッドの髪が少し冷たさの和らいだ風に悲しげになびいていた。


「ミザリーさん……なんで?」


 カルチェの胸騒ぎは日に日に増していく事となる。

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