第15章 狼

 美化は是露にメッセージ送り、返事を待つのみだった。


「我ながら邪羅様で釣るのは良い作戦だったと思うんだけどなぁ……」


 美化は桜のKIRIKABUの新しいグッズが発売されれば必ず購入していた。


 中には物が届くまで、どのメンバーのグッズが入っているのか分からない、といったサプライズ方式のグッズもある。


 美化の推しメン西丘にしおか愛朱あいすのグッズに混じって、他のメンバーのグッズが入っていたりする事はよくあった。


 もちろんその中に、是露の推しメン弾劾だんがい邪羅じゃらのグッズもあった。


 サプライズ方式のグッズの中にはたまにサイン入りの物もあるので、ファンは中身が分からなくてもどうしても買ってしまうのだ。


「邪羅様のサイン入りチェキ……」


 美化はそれを引き出しから取り出した。


 押しメンではないものの、桜のKIRIKABUのメンバーは全員好きなので、弾劾邪羅のサイン入りチェキも、美化にとって宝物であることに変わりはなかった。


「仕方ないっ! 是露先生にならあげても惜しくないか。邪羅愛すごいし」


 少なくても是露からの返信は、午前の診療が終わる12時30分以降。


「返事……お昼に来るか……夜に来るか……ただ待ってても疲れるし……アニメでも見ようっと」


 美化は見れずに溜まっていた深夜アニメを見始めた。


「やばい……最高っ。神回だわ!」


「おいおい! そりゃなくない!?」


「あーよかった……」


「どうなんの! これ〜?」


 美化はアニメを見ながら独り言を言うタイプである。


 1話、2話、3話……


 続けざまに見ていると、時刻は12時30分になろうとしていた。


「お昼……食べようかな」


 1階に降りて祖母が作ってくれてあった朝食を温める。


「今朝は豚汁だったんだ♡」


 バッチリ温めていただくことにした。


 そして、ガスレンジの火を止める。


「うわぁ♡ おいしそぉ〜!」


 本来、朝食だった豚汁とご飯をテーブルにのせ、いつもの席に腰かけた。


 するとテレビから素人ののど自慢番組が聞こえてきた。


「好きだね〜おばあちゃん。のど自慢」


「私も本当は出てみたいけど、絶対緊張してうまく歌えないからね〜。見てるだけで満足よ。出ている気分は味わえるから」


 祖母は歌がうまかった。


 それは近所のカラオケに一緒に行ったこともあるのでよく知っていた。


「そういや、最近カラオケ行ってないなぁ〜……。豚汁うんまっ!」

(是露先生もいい声だし、歌うまそうだな♡ いやいや……今はそれどころではないっ!)


 美化は昼食を済ませ、祖母と一緒にのど自慢を見てから部屋に戻った。


「さて返事は? 来てるかな……?」


 ゆっくりスマホを見ると……


「来てる!!」


 是露からの返事が来ていた。


「なになに……?」


[明日は出かける予定があるけど、その前でよければ俺も美化ちゃんに会いたいです]


「よし……会える」


[何時ごろ行っていいですか?]ピコッ☆


 ピコッ☆[朝10時頃でもいいかなぁ?]


「10時ね。何の用事があるんだろう?そっちの方が気になるう……」


[全然平気です!じゃぁ明日10時ごろ伺いますっ!]ピコッ☆


 ピコッ☆[わかった♪待ってるね!]


「決まった……決まってしまった。明日10時……ふぅっ」


[午後のお仕事も頑張ってくださいね!]ピコッ☆


 ピコッ☆[ありがとう!明日を楽しみにがんばります♪」


「任務完了! おいおいっ……任務ってっ! ツラいなぁ……」


 自分で自分にツッコミを入れてベッドに倒れ込んだ。


「はあ……明日、是露先生に……これ大麻ですか? なんて聞くのか。まじで怖い……」


『好きな人に会えるのに怖い』


 こんな感覚できれば味わいたくない。しかも初恋で。


「聞いた途端、是露先生が豹変したらどうすんの……? しかもカルチェさん嘘をつくかもしれないから葉っぱ持って来いって。それもかなりやばいミッションだし。普通に本当のZだったら、それを少し持ってるだけでも確か犯罪なんじゃ? 大麻取締法違反? だったよね? あーもうっ!」


 美化は明日のことを考えすぎてぐったりと疲れてしまった。













 そして日曜日の朝、美化は是露に会いに家を出た。


 是露の住むCherry blossomの場所は、ハッキリ覚えていた。8階…807……椿原。


 1週間前にあった胸の高鳴りはなく、不安と緊張のみが体を、心を……包み込んでいた。



 ピンポーン♪



 インターホンを押すと、10秒ほどして玄関のドアがゆっくり開いた。



 ギィィィイィ……


「美化ちゃん……いらっしゃい。待ってたよ。入って……」


 なんだかこの前会った時より、是露の顔色が悪い気がした。


「お、お邪魔します……」


 入ってすぐに感じた……。煙のような臭い。今までに嗅いだ事がない臭いだった。


「あれ……? なんか変わった臭いしますね……」


 美化は恐る恐る是露に聞いた。


「そう? どうぞ……部屋入って……暖かいから……」


「は、はい……」


 部屋に入って驚いた。なぜなら、この前とは全く違う部屋になっていたからだ。


 ゲームもなければ桜のKIRIKABUのグッズもない。


 ただ部屋の中央にガラスのローテーブルがあり、その上には無造作に乾燥した葉っぱとパイプが置かれていた。


「先生……ゲーム……それと……桜の……グッズは?」


「あーあれ? もういらんでしょ? 美化たんに信用してもらうために急遽用意した桜のぉ……KIRIKABU? もう忘れちゃったよ! 一夜漬けだったからさ、ハハハハッ!」


「えっ?」


「美化たんっ♡ 今日は気持ちいいことしようね♡ こないだの続きだよっ。ハグだけで我慢するのマジ大変だったよ! 今日はイカせてもらうからね♡」


「えっ、えっ?……ちょっ……」


「そういえばぁ……この前すごく気にしてたみたいだけど……これ?」


 そう言って是露はテーブルの上の乾燥した葉っぱをつまんで見せた。


「…………!!」


 美化は声が出ない!


「言ってくれれば吸わせてあげたのにぃぃ。……Zぉぉお!!」


(…………! やっぱりそうだったんだ!! Zだった!! マジでやばい! 顔が別人だ! あれ? 動かない! 体が! あれ? ど、どうして!? やめてっ!!)











「うわぁぁあーーーん!!」




 美化は、怯えた声をあげて目を覚ました。



「……はぁ、はぁ……夢……? よかった………ぁ……」


 悪夢を見るのも仕方のないことだった。


 なぜなら今、17歳の少女の双肩そうけんに重くのしかかる問題は、あまりにも黒く、ゆがんでいたからだ。


 本来信じ、頼るべき存在である椿原是露と影山映莉。その2人を同時に猜疑さいぎしんを持って見なくてはならなくなってしまった。そのストレスは並大抵ではない。


 10年以上にわたり将棋というゲームの中で鍛えあげられてきた美化の精神力でさえ、悲鳴をあげるぐらいに。



「合谷……」



 ふと、呟いた合谷……。


 それは是露が連絡先を渡す際に美化に教えた万能のツボの名前だった。


「確か、肩こりだけじゃなくて精神安定にもいいって言ってたよね……」


 美化は左手の親指で右手の合谷をギュウっとと押した。


(やっぱり痛いなぁ。でもなんか落ち着く……)


 気のせいでも何でもよかった……美化はざわついた胸の鼓動をとにかく取り除きたかった。


「是露先生が大麻なんてやってませんように……」




 美化は神に祈りながら安らかな眠りに落ちていった。







 ……目が覚めたのは、午後の3時だった。合谷のおかげか美化は落ち着きを取り戻していた。


「そうだ! 気晴らしにカラオケにでも行っちゃお!」


 渕山家はみんなカラオケ好きだった。


 しかし最近は行けてなかった。


「もう1年ぐらい行ってないかも? よーし! 1人カラオケで弾けますか〜!」


 美化は行きつけのカラオケ「メルヘン」に出かけることに決めた。


「おばあちゃーん。……あっ……」


 祖母はこたつの座椅子で眠っていた。起こさないように、美化は静かに玄関を開け、外に出た。


「出発進行〜っ!」


 自転車にまたがりペダルを踏み込む。久々のカラオケに心が弾む。


 メルヘンには5分ほどで到着した。


 そして白い扉を開けて中に入った。


「いらっしゃいませ……あっ! 久しぶりですね!」


 店員のお姉さんが美化を覚えていた。


「どうも〜」


「今日はお1人なんですねっ」


「はい! ちょっとストレス発散に!」


「じゃあ、たっぷり発散してってくださいね!」


 美化は受付を済ませ、ドリンクバーのコーラを持ち、207の部屋へ。


 隣からは男性客の歌声が響いている。


「おぉ! おぉ! 歌ってる歌ってる。負けないぞぉ!」


 美化は次々と歌った。


 桜のKIRIKABUを始め、最近の流行曲、懐メロ、演歌に至るまで……美化のレパートリーは非常に多い。


「はぁ〜! 楽しいっ! 1人カラオケも悪くないねっ!」


 3杯目のコーラをがぶっと飲み干し、メルヘンを後にした。もう辺りは真っ暗になっていた。


 カラオケで火照ほてった顔に、冷たい風が気持ちよかった。


「さて、帰りますか〜」


 美化が自転車に乗り、自宅の方へ向かおうとした時だった。


 チラッと自宅とは反対方向にシャッターの閉まった1軒の店が見えたのだ。


「……? こんな店あった?」


 美化はその店を一瞬見ただけで、それほど気にすることなく自宅方向にハンドルを切った。ただ見えた看板には……


『狼』


 と言う文字があったことだけは頭に残った。






 帰宅すると祖母と母、特に母の笑い声が家中に響いていた。


「なんだ? なになにっ!?」


 美化は眉間にしわを寄せながらリビングに向かう。


「はあー、おっかしっ!!……あっ、美化っち! おかえりまんぼっ!」


 妙なテンションの母がティッシュで涙を拭きながら言った。


「ただいま。何笑ってんの?」


「今日はゲラステのスペシャルよ♪」


「あーそうなんだー」


 ゲラステとは母のお気に入りのお笑い番組である。


「今1人カラオケ行ってきたんだ!」


「あーそうだったの? いいなぁ。最近行ってなかったもんね! メルヘンチック〜!」


「また、今度、行こうよ。3人で」


 と、言った瞬間、CMがあけ、母はクルッと美化に背を向け、テレビの方を向いた。


 母はよく言っていた。


 お笑いは人を笑顔にするアートだと、芸人を心から尊敬すると、再婚するなら芸人がいいと。


「美化、牛丼買ってきてやったから食べなよ」


 母がテレビを見ながら言った。


「あっ! 牛丼だ! ちょうど食べたい気分だったしっ!」


 美化はテーブルの上に置かれた牛丼に気づくと気分が上がった。


 そして牛丼を食べながら一緒にゲラステを見て笑った。


 牛丼がおいしい……テレビが面白い……こんな当たり前がなんて幸せなんだと……


 砂漠を彷徨さまよい、瀕死ひんしで帰ってきた人は、多分これ以上にすべてから幸せを感じ取れるんだろうな……と思った。


 美化は家族に囲まれ幸せを感じ今、自分は砂漠の中のオアシスにいるんだと……思えてならなかった。


「はぁ……砂漠か。だだっ広い……。先の見えない……はぁあ」


 つい、声が出てしまった。


「なにそれ? 美化っち面白いんですけどぉ!」


 母はゲラステに夢中で、なんでも面白く脳内で変換されているようだった。


 娘の悲痛な叫びでさえも。



「にゃははははっ!」



 だんだん母の笑いにむかついてきた美化は、牛丼を食べ終えると風呂の底の栓をして、湯をはるボタンを押した。


 そして2階の部屋へと戻った。


 机の上の影山映莉のスマホが、美化を出迎えた。


「影山……」


 影山映莉に直接事情を聞くまで、井戸上ミサの話は素直に受け入れる気分にはなれなかった。


 それほどまでに美化の中で影山映莉とは絶対的存在だった。


 しばらくして風呂の溜まったメロディーが聞こえた。


 1階に降りると、リビングには母の独特な笑い声が未だに響いていた。


「にゃははっ! 大自然ヤバいっ! ふ、腹筋がっ……! にゃはっ!」


 そんな母をジロリとにらんで、風呂へ向かう。そして少しのはる方の、ヒノキの香りの固形の入浴剤をお風呂へ投げ入れた。



 ポッチャンっ!しゅわわわぁぁ……



 それに続けて美化も風呂に浸かった。


「はぁ〜、てやんでいっ!」


 少し熱めの42度に設定されていた為、自然と江戸っ子になってしまった。


「ふぅ……カラオケ楽しかったなぁ。にしてもあの店……狼って。何の店だったんだろう? ちゃんと見ればよかった。さすがに狼は売らないべ?」


 そう言うと美化は歌を歌いだした。


 カラオケでも思った。歌っている時は結構辛いことを忘れていられる。


 何なら前向きになれると。


 歌にはやはり不思議な力があるんだなと、つくづく思った。












 翌朝。若干の疲れとともに目覚めた。


「カラオケ、はしゃぎすぎたかな?」


 美化は昨日メルヘンで歌って踊っていた。あまり普段から運動しない為、ふくらはぎが筋肉痛になっていた。


 その筋肉をモーニングルーティーンのストレッチで入念に伸ばす。


「いててぇ〜」


 とはいえ美化、決して運動音痴というわけではない。


 走れば50m7秒2。


 走り幅跳びは5m近く跳ぶ時もある。


 ハンドボールも投げれば20mは飛ぶ。


 ただ運動に打ち込む……というのは、美化の中で、ない……選択だった。


「はぁ。よし!」


 まだ残る筋肉痛とともに1階へ。







「美化、本当にこれでいいの?」


「うん!」


「じゃあ、お湯を沸かすね」


 いつも朝食を取るテーブルの上にはカップ麺がのっていた。是露と初めて食べた、あの胡麻味噌ラーメンだ。


 実は昨日、宮古田カルチェの家からの帰り、KITAURAに寄って買ってきたのだった。


 そして祖母に伝えておいた。


 明日の朝はこれを食べると。その時、側にいた母は特に何も言わなかった。


 縁起を担ぐでもないが、出発前にあの時の幸せな気持ちを少しでも胸に持っておきたかった。


「いただきます……」


 ズルズルッ……ズルズルッ。

(はぁ。是露先生。おいしいよ♡教えてくれてありがとう)


「カップラーメンなんてめずらしい。友達にでも教えてもらったの?」


「えっ? あーそんなとこっ。食べたことなかったし、試しにね」


 祖母の当然の質問に軽やかに答え、食事と心の充電を同時に済ませた。


 ……そして時刻は9時30分を回った。


「行きますかっ」


 ヘアコロンを髪に馴染ませ、リュックを背負う。弾劾邪羅のサイン入りチェキも忘れずにコートのポケットに入れた。


 そして、宮古田カルチェ、金城ルウラ、井戸上ミサに



[昨日はありがとうございました。是露先生のとこ行ってきます]


 と、LINEを送った。


「ひとりじゃないっ……!」


 そう自分に言い聞かせて、美化は力強く玄関を開けたのだった。

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