第6話 つらいとき会いたい人(前)

 その日は珍しくミサキはおらず、おれは一人でミスコンの参加者と打ち合わせしていた。彼女たちはそれぞれ自分が大学で一番の美人だと主張しようとしているだけあって、みんな美人だった。

 そもそも女が苦手なおれは、できるだけミサキについてきて欲しいと前日まで泣きながら頼み込んでいたのだが、その日はどうしても外せない別の用事があるといってきてくれなかった。

 おれが冷房の調整を明らかにミスった講義室は、すでにそこまで暑くない外からやってきた参加者たちを容赦なく冷やしていたが、そんなことは関係なくおれの心胆が一番冷えていた。

 女は顔が良ければ良いほど苦手だ。ミサキは綺麗な顔でも、友達だからけっこう平気なのだが。

「え、えと、それじゃ活動期間についての説明はこのぐらいで、みなさんの主な活動内容になるSNSのプロモーション活動なんですが……」

 参加者たちは一人でいる女子もいれば、彼氏らしい男に付き添われているものもあった。

「あのー、いちいち投稿内容を確認してもらわなきゃいけないってめんどくさくないですかー?」

「えっ」

 その女たちのうち一人が不意に声を上げた。するとざわざわと声が集まり、その中にはやんわりとした同意の声が滲み出ている。

「いやー、そうは言っても……大学で公式にやるミスコンですから、さすがに問題とか起きるとまずいし」

「うちらが問題起こすってことー?」

 声を上げた参加者が半笑いしながらも反論して、ちょっと険悪な雰囲気になってくる。

「そういうわけじゃなくて……えっと、万が一ってことの場合があるから!」

 おれがなんとか言い繕うと、いちおう場の空気は収まった。そのあとはギリギリ無事に説明を終えて、それぞれの参加者に運営側で用意したアカウントのIDとパスワードと配ってから打ち合わせを解散した。

 冷や汗をかきながら、涼しくなってきた夕方の校舎の外へ出る。脇にある自販機で炭酸飲料を買おうとすると、女の声がした。

「ヤスくん、頑張ってるね」

 死ぬほど久しぶりに聴いた声だった。

「あ! 栞先輩」

 文学少女先輩は軽く手を振って笑い、おれの買おうとした自販機に小銭を入れる。

「好きなの押して?」

「えっ、いいっすよそんなの!」

「いいから。押して」

 おれはちらちらと先輩を見つつも、本当はバカみたいな色をしたヘンなドデカミンみたいな安いやつを買おうと思ったのだが、ちょっと見栄を張ってコーラのボタンを押した。

「ヤスくん、なんか変わったね。初めて研究室で会ったときはちょっと暗い子なのかなって思ったけど」

「そ、そーっすか?」

 リア充を目指して明るく振る舞っていたつもりだったが、やはりおれの才能は隠せなかったか(?)。

「うん。なんか、明るくなった。月並みな言い方だけどさ。おもしろい子だなって思ってたけど、いまは、うーん……そうだね。いい子だな、って思う。いろいろ頑張ってるところ見るとね」

 おれは嬉しさのあまり先輩に隠れてちょっとガッツポーズした。文学少女先輩は自分の分のミルクティーも買って、自販機の横の壁に寄りかかるおれの隣に来て飲み始めた。

 どぎまぎしたおれは思わず口走る。

「せ、先輩も、なんか最近キレーになりましたよね。やっぱミスコンに向けてがんばってるんすか」

「うん。友達に勧められてよくわかんないまま出ることになったけど、どうせ出るなら、ちゃんとがんばって一番になりたいしさ」

 そう言う先輩の横顔は、何故だか少しだけ切なげだった。

 何か悲しいことがあったのかな、それならおれに話してくれてもいいのに、と思ったが、おれは言えなかった。



 その日はミサキがいなかったから一人でファミレスに行くのも食費の問題から憚られ、おれは珍しくひさしぶりに早い時間の寮に帰ってきた。

 疲れに任せてたまりに荷物を放り投げ、座椅子に座り込むと、そこにはギャンブル先輩、寮長、バンド先輩の三人がいつものごとく鎮座していた。

「──来たな、ヤス」

「え? なんすかこれ」

 おれはその雰囲気の異様さにようやく気づき、身構える。その場はまるで決闘の場のような、命と命のやり取りのような冷たい緊張感が充満していた。

「ヤス、俺は気付いたんだ。わかったんだよ」

 と、ギャンブル先輩。

「えっ、何に?」

「俺はもう、卓上の命の削り合い──命を賭けた闇の闘牌ゲームでしか、生を実感できなくなってしまったんだ」

「は?」

 ギャンブル先輩の目は、完全にイっちゃっていた。

「そういうことなんだよヤス。細けえこたぁいいから、卓に着けよ」

 寮長もなにか不穏な雰囲気を出している。バンド先輩だけは怯えた様子でキョロキョロしている。

 そこにはいつもの灰皿は脇にどかされ、いつものこたつテーブル(夏は布団がどかされている)に、麻雀牌が散らばった大きなラッシャーが敷かれていた。

「えっ、麻雀打つってことすか? 流れがわかんないんすけど……」

「うるせえッ!!」

「ヒッ!?」

 ギャンブル先輩が珍しく声を荒げて、おれは思わず身をすくめた。

「勝負ごとに、言葉は要らねェ……とにかく、賽子を振るぞ。そうしたらもう、俺たちはそれぞれが一人の玄人ばいにんだ」

「ちょっと古い麻雀漫画とか読んだんすか」

 とにかく、おれは無理やり卓に着かされて、すぐにゲーム始まった。麻雀のルールとかうろ覚えでめちゃくちゃ不安だった。

「俺が起家だぜ」

 寮長が東家の席に座り、おれたちはそれぞれ握った風牌の席に座った。賽子を振って、積んだ山を取り出す。ドラは親のダブ東。おれの配牌はピンフ系の軽い手だった。

(……うーん、親の高打点は心配だけど自分の手牌は良い。先制リーチで軽く和了アガって、親番を流すか)

 配牌がそもそも二向聴リャンシャンテンで、おれは順調にツモが効いて三巡目には聴牌していた。待ちは一四索イースーソー。場にはまだ一枚も出ていない牌だった。

 しかし余剰牌は親のドラである東。これを切るのは躊躇われるが、聴牌である以上は仕方がない。

立直リーチ!」

 おれは高らかにそう宣言すると、河に東を切って曲げた。早い立直で、対応できまい。どうだ、という顔で周囲を見回すと、寮長はくつくつと笑っていた。

「お前、甘いな。ヤス」

「な、なにがおかしい!?」

「その打牌が甘いっつってんだよォ! ──カン!」

「か、カンだとぉ!?」

 寮長は自風、かつ場風である東を大明槓ダイミンカンしたのだ。

 嶺上リンシャン牌をツモった寮長はそれでもまだ不敵にニヤニヤと笑う。

「まだだ──カンッ!」

 さらに宣言される暗槓で、晒された牌は一索イーソー。なんと、おれの待ち牌である。一瞬にしておれの待ち牌が半分になってしまった。

「な、なんだとォッ!?」

「さらにカンッ!!」

 晒された牌はまたしてもおれの待ち牌、四索スーソー。こんなにも有利だと思われたおれの先制立直は、この瞬間完全に勝ち目のないものへと変わってしまった。

「フフ……ヤス、お前のツモ番だぞ」

 おれの上家である寮長は、すでに打牌を済ませておれのツモを待っている。和了アガリの目がなく、ただ寮長の和了牌をツモ切りさせられるだけの機械となってしまったおれは、項垂れながらものろのろと摸打モータを行った。

 その牌は、生牌ションパイの白。当然のごとく、寮長のロン牌である。

「ロン──ホンイツトイトイサンアンコサンカンツダブトンドラ4は親の14翻100符、数え役満48000点だな」

「だんっだよそれ!! スタバの注文じゃねえんだからさあ!?」

「払えよ、ヤス。お前は負けたんだ」

 おれは点棒を全部払って、麻雀はトビ終了した。

 ギャンブル先輩はもはやゲームが始まる前の熱のこもった目が嘘のような冷め切った目になって、これだからバカヅキは嫌だ、と言って閉店前のパチンコ屋に走って行った。



 次の日、珍しい連絡を受けておれは近くの書店に併設されたスタバに向かった。その書店は寮から少し下ったところにあり、ホームセンター、スーパーと並んでいることから、寮生の暮らしを支える三つの柱として重宝されるひとつである。

 スタバに着くとすでに、待ち人来たりという顔で明るく笑うおなじみの顔があった。一瞬いつもと同じに笑っている、と思ったが、なんとなくおれは不安に思った。

「よう。なんかやなことでもあった?」

「え、やだなー、景気の悪いこと言って。べつにないですよ」

「そっか。おれスタバって初めてなんだけど、注文の仕方わかんないから教えてくれよ」

「ええ、スタバ行ったことないのにひとにスタバのグッズプレゼントしたんですか?」

「いいじゃん! 今日も持ってきてくれてるくらい気に入ってくれてるじゃん!? てかありがとね本当、まだ使ってくれてるの嬉しいわ」

「ま、まあそりゃ使いますよ。かわいいし、環境保護のためって言われたらね」

「それってそのためなの?」

「らしいですよ。知りませんけど」

 ミサキはバッグからタンブラーを取り出すと、おれを促してカウンターに並んだ。

 実をいえばこの本屋に漫画買いに来たりしたとき、ミサキがスタバで友達らしき数人の女の子となにかまたクリームだらけの飲み物を飲んでいるのを見たことはあったのだが、彼女がおれを呼び出してお茶しましょう、なんて言ってくるのは珍しいことだった。

「抹茶クリームフラペチーノをトールで。リストレットショットとエクストラホイップ、あ、パウダーも。ノンファットミルクでお願いします」

「はい……何点ですか?」

「何点? なに言ってんですかヤスさん」

 危ない。点数申告かと思って身構えてしまった。昨日の寮長のバカヅキで点棒を搾り取られた記憶がフラッシュバックした。

「ごめんなんでもないわ。ミサキがおれのぶん頼んでくれよ。お金はいちおうあるからお任せで」

 ミサキは笑って頷くとテキパキと注文を済ませた。さして待つこともなく、飲み物を受け取ったおれたちは二階の席に移った。

「あのさ、お前のそれどういう意味だったんだ? リストレット……とか、めっちゃ長かったけど」

「ああ、前半のはオプションのオーダーですよ。リストレットショットっていうのはエスプレッソで、あんまり苦くないやつ。エクストラパウダーと、ホイップはわかりますよね」

「そのヤバそうな粉のかかったクリームの塊だろ?」

「だから、無脂肪乳ノンファットで調節してるんです」

「なんか無駄な足掻きって感じで美しいな」

「うっさいですよヤスさん」

 運命カロリーを受け入れるほかないというのに、オフとかゼロとかそういう言葉に踊らされている女子というのは、なんか哀愁があっていい。

「おれのやつは?」

「甘いの得意かわかんなかったので、無難にソイラテにしときました」

「おー、ありがとう」

 飲んでみると、豆乳の味がしてうまかった。

「そういや昨日は何してたんだ? 用事って言ってたから仕方ないけど、ミスコンの打ち合わせけっこうヒヤヒヤしたんだよ」

「あー、ごめんなさい。ちょっと実家に帰ってて」

「え、夏休みも終わったのに帰省?」

「まーそんなとこですよ」

「へえ、なにしてたの」

「うーん……」

 ミサキはちょっと笑ってはぐらかした。

「……ヤスさんは、ここでちょっとした、そのー、なんていうんですか? 優しい嘘みたいなの、つかれてやんわり、無事に、平和に話が終わるのと」ミサキは右に箱みたいなろくろみたいなジェスチャーでやわらかい丸をつくってみせてから、「ちょっとマジ話みたいなのされて、わりにちょーっと、重い……っていうか、ヘンな雰囲気になるの、どっちがいいですか?」

 左側にぐちゃぐちゃっと、手のひらで空気をかき混ぜるような仕草で、選択肢を示した。

「もし嘘ついてほしいって言ったら?」

「昨日はひさしぶりにお母さんに会って一人暮らしのお説教とかされてましたよ、もー、一人で大丈夫だよって言ってるのに、親ってなんであんなにうるさいんでしょうね?」

「……」

 おれがちょっと考えて黙ると、ミサキは寂しそうに笑った。

「……やっぱり、ずるいですかね。こういう言い方」

 相変わらず笑っていたけど彼女の目は少しだけ泣いているように見えた。おれはそのことがとても嫌で、行き場のない怒りでいっぱいになった。

「うーん……おれはあんまりわかんないけどさ、ずるくてもいいんじゃねえかな」

「ずるくても、いいことはないでしょ?」

 彼女は祈るようにそう言う。

「いいじゃん。友達にさ、たまにずるいことしても。世の中ずるいことばっかだけどさ、それは知らん人が知らん人にずるして、自分ばっか得するからダメなんだと思うんだよな。おれは、友達にはずるしていいと思うんだよ。だって友達はさ、それだけですげえ嬉しいからさ」

「……なに言ってるかわかんないですよ」

「あーごめん! なんか、おれもよくわかんなくなってきた!」

 でも、わかりました。と言って彼女は話し出した。

「お父さんが、入院したらしい、って急に連絡があって。じつはそこそこ売れてる作家なんですけど、締切でいつも無理してるから、過労でしょう、ってお医者さん言ってました……そう、会ったらほんとになんでもなくて! ピンピンしてて。だから、全然心配ないんですけど」

「心配だろ、そりゃ」

「うーん……えへ、まあそうですね。だから、ちょっと暗い気持ちになって、友達に会いたいなって」

「おう」

 ぶっきらぼうに答えたけど、本当を言えばかなり嬉しかった。嬉しがるのもヘンな話だったが、頼られるのは嬉しいと思った。

 話し終えるとミサキはケロッとした様子で、お腹すいたからなんか食べに行きましょうか、と言って空になったタンブラーをしまった。

 おれも紙の容器を、環境に悪くてごめんなさい、と言いながら捨てて、店の外に出た。

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