一章

第4話 友達に好きな人とかバレるとハズいって

 寮のたまりには今日もどうしようもない奴らが集まっている。土日の休みのほとんどをこの掃きだめゴミ溜めまるでだめで過ごすおれたちは、いつしか自分たちとゴミの見分けがつかなくなっていた。

 おれ、ギャンブル先輩、外国人寮長、そしてバンド先輩である。バンド先輩はなんかちょっとだけ久しぶりな気がするが、それは彼がおれたちの中でもわりとほんの少しだけバンド活動の分活動的だからだろう。

「そういえば先輩たちっていま彼女いるんですか? 寮長にはセフレしかいないってのは聞いたことありますけど」

 おれの暇を潰すためだけの話題が投げやりに飛び出して、先輩たちは面倒くさそうにしながらもそれよりほかにやることがないので渋々食いついてくる。

「セフレしかいない、彼女がいないってのじゃなくて彼女がほしくないんだよなあ。めんどくせえじゃん」

「めんどくさくないでしょ!! てか、仮にめんどくさいとしてもそこがいいんでしょ?」

「なんかヤス、わかったような口利きやがってムカついてきたな。殺すか」

「ギャンブル先輩やめて! いつもの仏頂面で言われるとマジに聞こえるから!!」

「俺が真剣マジでなかったことなど一度たりともないが?」

 結局のところわちゃわちゃする。

「ああでもそういや、前ギャンブルには彼女いたよな。あの子はどうしたの?」

「あー、キャンパス変わって自然消滅した」

「じゃあ別の学部の子だったんすね」

 ギャンブル先輩は頷く。うちの大学はキャンパスごとに立地が違って、最初の一年間は同じキャンパスなのだが、二年以降は別の場所に移るため、学生が一斉に引っ越すのである。

「まあ、いい子だったよ。普通に好きだったし」

「なんかお前から感情ありそうな発言が出てくると寒気がするな。お前は期待値だけで生きてるもんだと思ってた」

「ふざけんな、寮長。お前も殺す」

 また寮長とギャンブル先輩がわちゃわちゃしている。飽きないのかな、いい加減(自分を棚にあげた発言)。

「バンド先輩はどうなんですか?」

「えー……俺はね、まあ哲学科で沼る前にいたよ」

「えっ、そうなの?」

「初耳だわ」

 ギャンブル先輩と寮長がわちゃるのをやめて食いついてきた。

「どんな子だったんです?」

「ふつーの子だったけどねえ……いわゆるバンド内恋愛でさ、結局あーだこーだ揉めて、あんまりいい思い出ないわ」

「ありがちな話」

「つまんねえ話だなバンドォ!」

「二人ともやめなさいよ! 可哀想でしょうが!」

「それが一番傷つくだろ……」

 バンド先輩はちょっと落ち込んでいた。

「その失恋の傷心の時期に哲学科の振り分けあってさ、当時の俺めちゃくちゃ病んでたから、最初はすげえのめり込んだんだよ。哲学に」

「哲学者になる気だったのか」

「お前には似合わないだろ、バンド?」

「いや、本当にね……で、結局闇が最悪まで深まったところで大学行けなくなって、バンド活動とバイトの二重生活が続いて、無事留年しました」

「ありがちな人生」

「つまんねえ人生だなバンドォ!」

「やめろって!!」

 バンド先輩はそれでも笑っていた。この人はちょっと優しすぎると思う。

「それで精神的に修行が必要だなって思って、いろいろ試したよ。ハウツー本を読み漁ってみたり、宗教にハマろうとしてみたり、男に抱かれてみたり……」

「え!?」

「エ」

「え」

 おれたちは完全にその瞬間、硬直した。

「バンド、お前……」

「嘘だろッ、バンドォ……!」

「バンド先輩……」

「え、なに、どうしたのみんな」

 おれたちはめちゃくちゃ笑いを堪えていた。

「それはヤバい」

「お前にそんな面白い経験があったなんて本当に信じられない、最高だよバンド!」

「やめろってお前ら! バンド先輩、ちゃんとした恋愛ならどうこう言う気ないですけど、そんな人生なにごとも経験みたいなノリで男の人とするのはどうかと思います」

「だからそれが一番傷つくだろって!!」

 やってみた結果、やっぱりバンド先輩はゲイではなかったらしい。



 委員長から来たメッセージはとにかく愛想がよくて、初仕事の内容についてと、最初の仕事にも関わらず自分がついて教えられないことについての謝罪が書かれてあった。

 初仕事には例のおれの同期の文化祭委員の子がついてくれるらしい、というよりむしろその子がメインで仕事をするのにおれが付き添って仕事を覚えるという感じらしい。

 ということで、おれは待ち合わせ場所である生協の前で人を待っていた。名前を教えられたが寮以外にといえばあのノートの女の子しか知らないおれにとっては、人の名前など無関係な情報の羅列でしかなかった(何?)。

「あ、あなたがヤスくんですか? 委員長からの連絡で、今日から新しい子が来るって……」

 その声に振り返ると、そこには知った顔があった。

「え!? あ、きみってあの!?」

「わ、ですよね! 知ってる人だなって、今思った」

 彼女は紛れもなく、他でもない、おれの友達(だと思いたい)である、ノートの女の子だった。



「ありがとうございます。それじゃあ、次の回収の際は一緒に補充のチケットも持ってくるので、よろしくお願いします」

 生協での仕事は文化祭でのステージイベントの席チケットの取り置きと、販売数の確認であった。それなりの大金を扱うことになるのだから、一大学生の活動としては責任の重いものだろうとおれは思った。

 彼女はなんでもないような顔をしてその仕事を終えると、おれに向き直って親切に一から手順を教えてくれた。

 さすがに文化祭委員の中で何年もかけてシステム化されたものらしく、間違いの起きないように考えられた手順だった。

「ふう、こんな感じですかね。ヤスくんは覚えられそうですか? ……って、初めて名前知りました。こんなきっかけで名前知ることになるなんて思いませんでしたよ」

 あっけらかんと笑う彼女は明るい。ラインのメッセージの印象と同じで、話しやすくてちょっと軽くて、でも丁寧さを失わない絶妙なリア充感だ。

「おれも……っていうか、ごめん。そういえば委員長のライン読み流してたから、おれのほうがきみの名前知らないや」

「えー! 業務連絡流し読みしちゃだめでしょ? なんか失礼だなあ、ヤスさん」

 ぷんぷん、という擬音語(?)が一番似合うようなかわいらしい怒り方で怒って見せたあと、彼女は軽く自己紹介してくれた。

「ミサキさんって名前はラインで知ってたけど、まさか同じ文学部だったとは……」

「というか、もしかしてヤスくんって本当に他人に興味ないんですか? 私ですら学部の最初のガイダンスとかで、ヤスくんのこと見たような覚えあるのに」

「……ごめんなさい」

「いいですよっ、というか、むしろおもしろい話すきっかけになってよかったじゃないですか」

 おれが伏せていた目を上げて、

「確かに?」

「うそ、まだ反省しててくださいよ!」

「マジでごめん」

 また下げた。

 ミサキはけらけらと笑っておれを見ていた。おれはなんとなくリア充な彼女と話して、自分もリア充に近付けたような気がして嬉しかった。

「ヤスくんはなんで文化祭委員やろうと思ったんですか? けっこう大変な仕事なのに」

「えーっと……」

 ここでも嘘をつくのは簡単だったけど、なんとなくそれは嫌だった。

「まあ、たいした理由じゃないんだけどさ」

「そのたいしたことない理由を教えてくださいよ」

「じゃ、じゃあさ、ミサキ、さんはなんで委員やってるのさ」

「えー、私のはたいした理由じゃないですから」

 誤魔化し、失敗。

「……いやー、まあ。文化祭、成功させたくてさ。ある人が、文化祭に出るらしいんだけど、それを一番いい形で成功させてあげたいんだよね」

「へえ……」

 いちおう、嘘はついてない。たぶん。

「好きな人?」

「へえっ?」

 変な声が出た。

「へーえー、ヤスくん、好きな人いるんですね?」

「イヤベツニスキジャナイケドサー!」

 思わず不意をつかれて声が裏返る。

 ミサキはニヤッと笑って、ひっかかった、という顔をした。

「好きな人いるんですか、には、いないって言わなきゃだめでしょ? 好きじゃないーなんて言ったら、いるのばればれですよ」

「なっ……」

 おれの完敗らしかった。

「ま、深くは聞きませんけどねっ。私情もいいですけど、ていうかだいたいみんなの私情が集まって、おっきな楽しいことになってる、っていうか。そういうのが文化祭みたいなお祭りごとだと思いますし」

「おおー、いいこと言うね。ミサキ、さん」

「ミサキでいいですよ。これから一緒に委員の仕事する同僚なんですから」

 並んで歩いていたミサキは、悔し紛れに彼女をいじろうとするおれを振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。

「でも、色恋にかまけて仕事サボったら許しませんからね、ヤスさん?」

「……ハイ」

 この子には敵わないかもしれない、と思った瞬間だった。



 おれは講義中に一枚の紙っぺらを前にしてウンウン唸っていた。といっても、授業に使うレジュメとかではない。むろん唸りをあげて穴が開くまでレジュメを見つめるほど授業に熱中するおれではない(?)。

 その紙はリストだった。文化祭のステージに使うためにレンタルする予定の備品と、その費用のリストである。

 仕事としてはたいして複雑なものではなく、レンタル業者の出してきた予算書とこちらの使用予定の備品リストとを照らし合わせて、不備がないか確かめるだけのものである。

 だが、生来の集中力の無さ、進学校の高校をドロップアウトしただけあっての根気のなさが祟って、まったく作業を進められない。

 しょせんおれがチェックしたものを委員長や責任ある立場の委員が最終確認するのだが、さすがにミスがあっては申し訳が立たないのである。

 そんなこんなで工業機械のようにウンウン唸っていると、前の席からそっと机に紙が置かれた。

 反射的に目をやると、


 授業中にほかの仕事しない! また留年しそうになっても助けてあげませんよ ミサキ


 と書いてある。

 目の前の女の子の後ろ姿はいつもと変わりなく、ノートを見てもそこには変わらず丹念な書き込みがしてあった。

 おれはしぶしぶリストをファイルにしまって、途中から講義ノートを取り始めた。



 学生部屋に行くと、今日も文学少女先輩はいない。かわりにブンガク先輩がいた。どうやら今日は研究が忙しいらしく、ガリガリと音が聞こえるほどの勢いの鉛筆で原稿用紙に何か書きつけている。

 今日び研究者もパソコンで論文を書くと聞いているが、ブンガク先輩はいまだに原稿用紙と鉛筆で書くスタイルらしい。本当にいつの人なんだよ。

「やあ、ヤスくん。調子はどうだらう。ぼくの紹介した仕事は気に入ったかい」

 おれに気が付いたらしく、顔を上げたブンガク先輩の頬は少しこけていた。

「おかげさまでなんとか、っていうか、ブンガク先輩のほうは大丈夫ですか? なんかめちゃくちゃ痩せたような……」

 ふだんは恵比寿さまのようなふくよかな様子で、文学の神様だと言われても信じるようなブンガク先輩が、こんなにやつれているところは初めて見た。

「いや、少々仕事が溜まってしまってゐる。だがこれだけ仕事があるとゐふのは、かへって幸福しあわせでせう。ヤスくんもさう思ふだらう?」

 いつもの変な喋りかたがさらに悪化しているような気がしておれは自分の頬が引き攣るのを感じた。

「ヤスくんの気になってゐるだらう栞くんは、残念だが今日もゐない。だが、ぼくでよければ話し相手になろう」

「そんなに忙しいのにいいんですか?」

「大丈夫、ぼくは書きながら話せる。何事も息をしながらできるのと同じやうにね。仕事をすることなどは、息をするのと、生きるのと同じことだ。ぼくの言はうと思ふのは、だから苦しいし、疲れるし、死にさうになるんだといふことだね」

「やっぱりダメじゃないですか……無理しないで、おれのことはいいから頑張ってくださいよ。というか休んでください」

 ブンガク先輩は今にも死にそうだった。

嗚呼ああ毎時いつもなら、その栞くんが、ぼくの原稿を手伝って呉れたり、食事の世話を焼いて呉れたものだが。しかし甘えてばかりといふのも、不甲斐ないものだ。ぼくも好い加減、一人でやらなければ」

 そういうと、またブンガク先輩は学生部屋の奥まったところへすごすごと引き下がっていった。

 それにしても、文学少女先輩がブンガク先輩の世話を焼いていたとは。意外というか意外でもないというか。

 やっぱり面倒見のいい優しくて美しい最高の先輩だったということだ。おれが彼女を好きになったのは間違いではなかったのだ、と誇らしかった。

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