03 今、なすべきこと
「お父様っ……お母様っ……!」
黒い煙が立ち込める中を彷徨いながら、私はその名を呼び続けた。
あちこちで炎が燃え、家具を、絵を、人を――私が生きてきた証全てを、溶かしてゆく。
どうして?どうしてこんなことに?
問いかけ、そして己を責め立てる。
私は、何もできなかった。
突如現れた、獅子の如き怪物。それは屋敷を燃やし、命を奪った。
数多の命を犠牲にして、私はその脅威から逃がされた。
しかし今、その犠牲すらも無意味と化そうとしている。
煙を吸いすぎたのか、傷を負ったせいか。身体が思うように動かない。力なく倒れ込み、それでも前へ進もうとあがく。
だけど、もはや手遅れ。視界が歪み、ぼやけてゆく。そして光を失い、深い深い、闇の中へと落ちてゆく。
そんな時――
『汝、力を求めるか?』
暗闇の中で、声が聞こえた。男性とも女性ともつかない、威厳を帯びた声。
今わの際の幻聴にしては、あまりにもはっきりとしている。
前を向き、その主を見る。それは、黒いもやでできた剣で――
「私、は……」
声を絞り出し、手を伸ばす。私の答えは――
※
「――っ、はっ!?」
上体を跳ね上げて、私は目を開いた。あがる息を抑えつつ、周囲を見渡す。
そこは、見知らぬ部屋だった。
レンガで覆われた壁に、無造作に敷かれた藁。眼前に広がる鉄格子に、前で繋がれた両手。
どう考えても異常な光景に、汗が一筋、流れて落ちる。
「あの……」
後ろでしたか細い声に、私は振り向いた。
そこには、少女がいた。衣服はあちこち汚れ、髪はつやを失っている。
「よかった、目が覚めたんですね」そう笑いかける彼女だけれど、その裏に抱く哀しみは隠しきれていなかった。
私は問う。「ここは一体」と。
彼女は答える。「人売りの隠れ家です」と。
それを聞いて、ようやく状況が呑み込めた。
帰り道、突如現れた二人組の男性に組み伏せられ――私は意識を失った。
そしてここへと連れてこられてしまったのだ。『商品』として。
「そう……ですか」
返し、目を閉じる。脳裏によぎるのは、幼き頃の記憶。
何とか一命をとりとめたものの、住む場所も何もかも失い、私はただ彷徨うばかりの日々を送っていた。
時に残飯をあさり、雨水を口にして飢えをしのいだこともある。
そんな日常を繰り返しているうち、私は捕らえられた。
ちょうど、今のように。
没落した良家の一人娘――そんな私が彼らにとって、どれだけ貴重な『商品』であるかは想像がつく。
私はこれから起こる出来事を思い浮かべ、涙を流した。
どのような辱めを受けたとしても、それはどうでもいい。
しかしお父様、お母様、屋敷の者たち――皆が命を捨ててまで私を逃がした結末がこれであるのなら、あまりにもその魂が浮かばれないではないか。
結論だけ言えば、その未来が訪れることはなかった。
その数日後、組織はある人物に検挙され、構成員が皆捕まったためだ。
そして私はその人物――バイセンという名の男性に保護され、今に至る。
結局私自身は、何もしていない。ただ、周囲に助けられるばかり。
己の無力さに悔しくなり、腹を立てた。
そう思い、拳を握りしめていると――
「ひっ!」
少女が怯えた声を上げた。その原因は、近づく足音。
私は鉄格子の外へと目をやり、見据える。
すると、一人の男性がやってきた。いかにも荒くれ、と言う風貌の彼は、彼女へ向けて言い放つ。
「時間だぜ」、と。
それを聞いて、私は察した。きっとこの少女は私が来るまでの間、凌辱を受ける日々を送っていたのだろう。
思う。彼女は、ありえたかもしれない私の姿だ、と。
そして、同時にある結論に達した。
今私がなすべきこと。それはただ一つ。
「お待ちなさい」
「ああ?」
口をはさむ私を、邪魔をするなと言わんばかりに睨む男。
その威圧に屈することなく、私は続けた。
「彼女に手出しすることは許しません。……代わりに、私を使いなさい」
「へぇ、自分から言い出すとはねぇ。なら、お望み通り」
にやにやと下卑た笑いを浮かべ、鍵を開けて私を連れ出す男。
その様子に驚き、私を見つめる少女。
私は微笑んで、それに応えた。
今度は――私が誰かを助ける番だ。
※
「ヒヒヒ……」
「ゲヘヘ……」
不気味な笑いを上げてうろつく複数人の男たち。
私は四肢を拘束され、台に張り付けられていた。
「さぁて、どうしてやろうかなぁ、っと!」
そう言いながら、一人の男が乱暴に服を掴み、引き裂く。
あらわになる下着に、湧く男たち。
「ほーう、いい体してるじゃねぇか」
「ああ……だが胸がないのが惜しいなぁ」
「なぁに、それはそれで楽しめるってもんよ」
口々に人の身体を評価する、呆れた男たち。そんな彼らを、きっと睨む。
そんな時だった。
ドアが開き、誰かが入ってきた。
「……っ!?」
その姿に、私は驚く。
「きひひ、皆、楽しんでるぅー?」
少女の声で笑うそれが、怪物の姿をしていたためだ。
一言で表すなら、『吸血鬼』。その怪物は、私へと歩み寄ると――
「この娘が新しいおもちゃ?」
「ぐへへ、そうですボス。なんとこいつ、自分から言い出したんですぜ」
「ふーん」
話を聞きながら、彼女は私の顎を撫で、見つめる。
私は負けじと、睨み返す。
そんな私を見て、彼女は。
「……へぇ、そんな顔しちゃうんだ。余裕だねー」
わずかな怒気を孕んだ声で、そう言った。
「んじゃ、わからせてあげないとね?」
そして立ち去りつつ振り向き、指を鳴らした。
それに反応し、私の前へと集い始める男たち。
「みんな、あとは好きにしちゃっていいよ」
降りた許しに、沸き起こる歓喜の声。
男たちが皆、待ってましたと言わんばかりに服へ手をかけ始めた――その時。
「たたた、大変ですっ!」
そんな雰囲気に似つかわしくないほどに慌てた声を上げながら、一人の男が部屋へと駆けこんできた。
「なーにぃ?こっちは今からお楽しみなんだけどぉ」
不満を隠そうともしない問いかけに、男は続ける。
「侵入者です!」と。
そして、そのわずか数秒後。
「おおぅらぁっ!」
「ぎゃん!」
叫びが聞こえたかと思うと、男が蹴り飛ばされた。埃が舞い、その場の皆が煙たそうに眼を覆う。
「そこまでっすよ……って、ハイヴァンド!?」
怪物の姿に戸惑いつつも、そう言い放つのは青年。それは、私のよく知る人だった。
そう、彼の名は――
「助けに来ましたよ、センパーイ!」
ジン・レクスウオード。私の信じた、『騎士』――!
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