バケモノセカイ[Season2]【リバイバル版】

渡貫とゐち

第1話 食糧について


 人間は生物との生存競争に負けた。食物連鎖のピラミッド、その最下層へ押し込まれ、喰らう者から喰われる者へ成り下がる。

 進化した生物の支配が百年続き、人間は喰われ、命の危機を感じ続ける日々を過ごしていた。


 だが、百年の間、なにもしなかった人間たちではなかった。

 生き残るために、その本能は、人間という種を進化させる。

 半球を覆う、広大な大陸に棲む生物へ反撃するための『力』を得た。

 最弱の存在が下剋上を叩き付けることで、生存競争に波紋が広がる。


 弱肉強食の世界は、かろうじて『人間』の参加を認めるようになった。

 順列が入れ替わる激しい競争が、自然界で白熱してくる。

 高見の見物のままではいられない。

 ただの愉快犯ではない。

 全てをひっくり返そうという、やり返しが本気だと、生物は理解する。


 だが、たかが人間。

 軽く弾けば終わる弱い存在。

 どうしたところで、敗北の二文字など刻めるわけがないと生物たちは嘲笑し、見下し、なめている。その余裕の表情が覆ることは、決してなかった。


 ――はずだった。



 人間の枠から飛び出した人間を『ハンター』と呼び。

 世界を支配する生物たちを――『バケモノ』と呼ぶ。



 努力をし続け、力を得て。

 しかし人間という枠の中に留まる者を、『エリート』と呼び。

 天才を越え、人間すらも越えてしまった者は、これもまた――『バケモノ』と呼ばれる。



 強者は存在を、『バケモノ』へ変える。

 そうなってはもう、二度と人間へは戻れない。



 小船の上で膝を抱えるように座り、……ずーん、と頭上に黒い線をたくさん出して落ち込んでいる少女がいた。

 美しい白髪を持ち、日の光を反射して、どの角度からでも輝いているように見える。


 そして、百年前はごく普通に、一般的に使用されていた学生服を着用していた。今は全身、ずぶ濡れで、びしょびしょになっている。

 着替えは用意していないし、内側にはなにも着ていないので、この学生服ブレザーを脱ぐわけにはいかなかった。


 少女が視線を上げる。小船の上には彼女しかおらず、誰に向けた視線かは分からなかったが、数秒すると、大量の魚が小船の上にどさりと落ちてくる。

 同時、海から上がってくる人物。


 上半身が裸で、片手で米俵を持つように、小さな少女を抱えている少年がいた。

 彼は小船に置いていた鰐皮で作られた銀色のパーカーを肌の上に重ねる。

 ずぶ濡れの体を拭く気もないらしい。

 拭くという感覚が、彼にはないのだった。


「ほら、ウリア。今日の食糧。これで足りるだろ?」

「ママ、頑張って獲ってきたから……元気、出して」


 抱えられていた少女が、小船に足を下ろしてウリアと呼ばれた少女に近づく。

 屈んで、視線を合わせてくれた。そんな姿に、思わず笑顔がこぼれる。


「うん。元気出たよ。私が不機嫌なのはブルゥのせいじゃないから安心して」

「? 不機嫌だったのか?」


 ぴちぴちと跳ねている数十匹以上の魚たち。

 少年が数匹、指でつまんで口に放り投げた。

 口内から、バリバリと骨を砕く音。

 内臓は取っていないし、洗ってもいないのだが、彼は躊躇いなく口へ運ぶ。


 性格もあるかもしれないが、そういう生活習慣に慣れていなければこんな食べ方、普通はできない。少女ウリアはのん気に食事をする少年へ、なぜいま、自分が不機嫌なのか、その理由と原因を突きつける。


「元はと言えば――ギンっ! あんたがあの大量の食糧を全部っ、数日で食べ切ったからでしょうが!」


 自給自足。

 得ることができれば、いくつでも食べられる。

 だが、得ることができなければ、生きるのに必要な食事をすることができない。

 どこか、人が用意してくれた食糧に頼っていたウリアは、自らが動き、自らの命を戦闘以外で守るというのは、あまりしたことがない体験だった。


 サバイバルは、どちらかと言えば不得意だった。持ってきた装備が少ないのならば、その間に目的を達成させるし、別の案を探し出す。

 しかし今みたいに、なんの予備もなく、持ち物もなくなり、休まずに動かなければ詰んでしまう状況はウリアらしくない。


 これは自然界で強かに育った者の生き方だ。

 目の前の少年・ギンのような――。

 大ざっぱで頑丈な、無知で強く、人間の枠から飛び出した者の特徴である。


「仕方ねえだろ、だって腹、減るんだもんよ」


「……小船の上でのんびりと休んでいればいいものを、退屈だからって海に飛び込んで、激しい運動をするからでしょうが!」


 数日前、小船を出発させた島の民に、大量の食糧を貰った。中身は三人で生活して、一か月は生活できるくらいの量だった。しかし、蓋を開けてみれば数日で全てが消え失せていた。

 主に原因は、目の前の少年――ギンが一人で、十人前以上も食べていたからである。


 目立たないが、ブルゥもギンにつられて、たくさん食べていた。彼女はいま、育ち盛りなのでまだ分かるし、たくさん食べるのを推奨したいくらいだが、ギンのことは目を瞑れない。

 いくら運動量が桁違いと言えるほどに、戦闘の貢献度が高くとも、だ。


「なくなっちまったもんは仕方ねえだろ」

「そうだけど……、あんたにだけは言われたくないわね!」

「ママ、わたしも、たくさん食べちゃって……」


 ブルゥが、しゅんと顔を俯かせる。

 ウリアが慌てて、


「ブルゥはいいの! ブルゥはたくさん食べなきゃいけないの! 人間一人が一日に必要な食糧なんて、大体が決まっていて、みんな同じなんだから。私と同じくらいでも生きていけるのよ、ギンは。それなのに私の十倍以上も食べたら、そりゃ食糧なんてすぐに底をつくわよ!」


「そうイライラすんなって」

「あんたのせいなのよ! あと、お腹が空いているからね!」


 テーブル、ではなく、ないので仕方なく、——ばん! と小船の床に手の平を叩き付けるウリア……、一緒にぴちぴちと跳ねる魚たち。


 ギンが食糧を獲ってきてくれる――それはいいのだが、衛生的に、どうなのか、という問題がウリアの中にある。

 現場で食糧を獲り、食べることに、これでもハンターなので抵抗はもちろんないが……、ただしきちんと手入れをしている場合である。


 内臓を取り、綺麗に洗って、火を通す。

 最低限、ここまですれば安全に口へ運べる。


 潔癖症とかではなく、もしも雑菌や毒があった場合、物理的なバケモノの攻撃よりも死へ近づく速度は早い。ギンは今のところ、毒の影響を受けてはいないが……。

 彼の体が頑丈なだけかもしれないので、信用はできない。

 ブルゥもギンに付き合って同じ量を食べているが、問題はない。のだが……、彼女はそもそも『人間ではない』ので、やはり人間が食べても大丈夫、という確信の材料にはならない。


 このパーティ、まともな人間はウリアだけである。

 なのでウリアは、獲ってきた食糧に手をつけることができず、今のところ断食状態だった。

 経験があるので今のところは大丈夫だが、ギンの一挙一動に、いちいち苛立ってしまうという弊害が出ているところを見ると、あまり良い状態ではない。


「いつから食ってない? そろそろ一口でも腹に入れておいた方がいいぞ。食べないのが一番体に悪い。毒があってもちょっとだけ、体調が悪くなるくらいだろ」

「……毒があっても、という前提をまずなくそうよ」


 知っている種類の魚ならば食べられるのだが――。

 食べようと思えるのだが、ウリアの手が、なかなか出ない。


「いつもどうしてるんだよ。こういう状況になったことがないってわけでもないんだろ?」

「そりゃ、そうよ。……道具を持っていれば、もちろんできるけど、今は手ぶらでなにも持っていないでしょ。だから調理なんてできないし、作業もなにもできたもんじゃないわ……」


「その弓と矢で」

「切れても火は起こせないでしょ。起こせても小船の上じゃ、船体が燃えて沈没するに決まってるわ」

「……ウリアがこの魚を食べるって言えば、全部が解決なんだけどなあ」


 ウリアだって分かっている。わがままを言わず、好き嫌いせずに、この場にあるものを食べれば空腹は解消され、苛立ちもなくなるはずだ。

 だが、ウリアにも譲れないものがある。

 ――だって生の魚は、大の苦手なのだ。

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