第6話 エピローグ
「うへぇ~」
翌朝……いや、もう昼か。嵐のような一日が過ぎ、打って変わって穏やかな休日。顔を洗いリビングへ行くと、色々と散乱していることに気づく。帰るなり脱ぎ散らかした衣服、ダンス道具、そして、生まれて初めて手にした賞状。それと、トロフィーを撮ったスマホを神棚に持っていき、母の遺影の前に置いてしばらく手を合わせた。
さて、と。洗濯機を回しながら、散らかった物を片づける。
舞衣はもういない。彼女がいた形跡はなく、貸した部屋も以前より綺麗に整理されていて
「洗濯日和だな」
洗濯ばさみに挟まれて規則的に並ぶタオル。一日で何枚も使ったけど、ダンスの試合ってダイエットになるよな。その後のドンチャン騒ぎでアルコール補給したらチャラだけど。
試合で着た白いシャツの襟が茶色に汚れている。これはドーランの跡。あれだけ激しい運動をすれば化粧は崩れ、茶色の汚れが沈着してしまう。うーん、これは落ちないかも。
「ま、いっか。ダンス用のシャツにしよう」
パンパンと音を立ててシャツを広げ、物干し竿に干す。
一台のトラックと黒塗りの高級車が敷地に入って来た。隣が資材置き場だから駐車場か何かと間違えたのだろう。誘導をしようと近づくとセダンの助手席のドアが開き、誰かが下りようとする。濃いスモークフィルムで全容は見えないが、見覚えのある美脚と包帯。
「今から洗濯物を干すなんて、お寝坊さんね」
「汐里? おは……こんにちは。どうしたの?」
汐里が、まだ慣れていない松葉杖を使いながら、よちよちとこっちへやって来る。今日うちに来るなんて聞いていないが、なぜだ? まさか土地買収による強制退去じゃないよな。こいつとんでもない令嬢だし。
「あら? 聞いてないのかしら?」
「は?」
どうにも話が噛み合わない。
「しおりん!」
今度は舞衣が、キキ―ッと急ブレーキ音がスニーカーから聞こえてくる勢いで現れた。勢いそのままにこっちに来るかと思いきや、スマホと俺の家の郵便ポストを照らし合わせている。
「も、もしかして!?」
「そうよ。その荷物は二階の空きの八畳間にお願い」
「「かしこまりました!」」
口をわなわなさせる舞衣と、てきぱきと指示出しする汐里。やたらと手際の良い海野家の使用人が荷物を俺の家に運び込む。
「おい、汐里」
「なにかしら?」
「お前、まさか今から合宿始める気じゃ――」
もう、それしか思い当たらない。三日前、ルンバ強化合宿に汐里は参加したがったが、彼女の疲労を理由に俺は拒んだ。試合は終わったばかりだが、合宿に参加できなかった悔しさ、そして昨日の試合で途中棄権した悔しさから押しかけて来たんだ。左脚はまだ痛々しいが、昨日の準決勝でも負傷後に踊ろうとしたことを思えば……。
「そんなことしないわよ」
「へ? そうなの? なんだぁ、俺はてっきり――」
「引っ越してきたの。よろしくね、お隣さん」
「引っ越しか。じゃ、ケガしてるし俺も手伝わなきゃ……って、なんですとぉっ!?」
近所に響きわたる絶叫。俺の叫びを見たら、ムンクも描き直すかもしれない。
「お、お前、間違ってるぞ! それはお隣さんじゃなくってルームシェア。同居だってば!」
「一つ屋根の下ってことね♪」
なんでルンルンしてるんだよ。しかも、大会翌日に引っ越しって手際良すぎだろ!?
「お前……正気か?」
そう尋ねるも、汐里は迷いなど一切ない、今日の空のような晴れ晴れとした微笑を浮かべる。俺が唖然としていると、埒が明かんとばかりに舞衣が割って入った。
「しおりん、冷静になった方がいいって」
「二人とも失礼ね。私は至極冷静よ」
プルプルと震える舞衣、狼狽する俺。確かに、一番冷静なのは汐里なのだが。
「しおりんの家は豪邸だから、ここだと苦労するよ?」
「そういう苦労も二人っきりなら、なんだか楽しそうじゃない」
「ふ、二人っきり!? で、でも、家政婦さんいなくなったら、生活大変だよ?」
「心配ないわ。私、ロンドンにいたときに自炊しているもの」
「よ、夜道とか危ないし?」
聞けば聞くほど舞衣の目が泳いでいく。
「それならここに紳士がいるじゃない。部活も、帰り道の食材探しも、家でも一緒。これ以上のセキュリティはないわ」
「ッ! で、でもさぁ。ほら、蒼くん、紳士である前に男の子だから。そうそう! 蒼くん、この前私の下着、わしっと握り締めてたんだよ。脱衣所に置いた下着、凹んでたもん」
「んなことするかっ! 俺は日頃から紳士だぞ!」
舞衣が何度も風呂に入るから、替えのバスタオルを脱衣籠に置こうとした。そしたら、双丘豊かなピンキーがパフってこんばんはしたからコートを女性の肩にかけてあげるように、ピンキーをタオルで包み込んであげたんだ。ほら紳士。
それはそうと、舞衣がしどろもどろになっている。やはり俺がなんとかせねば。
「汐里、大家さんは本当にオッケーしたのか?」
「ええ。同じ部員なら安心ね、って」
「安心じゃないだろ!」
「フフ……どうして? 蒼樹が守ってくれるのでしょ」
「ッ!」
こういうやりとりを待ってましたと言わんばかりに汐里は妖艶な笑みを浮かべる。
「そ、そりゃ守るよ。でも、その……守るべき奴が、自分の理性を守れなくなったら……」
遠回しに言うが、それも彼女の思う壺だった。
「そのときは……どうしようかしら、ね?」
汐里は人差し指を艶やかな唇に当て、熱を帯びた瞳でウインク。俺は撃沈した。
「蒼くんティッシュ! 鼻血プウしてるぅ!」
あ~、ダメだこりゃ。正直、舞衣と三日三晩いたときも衝動を堪えるのがきつかった。それでも試合前だったから邪念に支配されず、野獣と化す体力もなかった。
だが、今度は訳が違う。実質無期限。俺は彩葉さん一筋だが、舞衣も汐里も十分に魅力的。ルームシェア&四六時中一緒に踊ったら理性を保つ自信なんてない。
誘惑に打ち勝つ方法は……? 差し当たっては、もっとダンスに夢中になることか。
「俺と練習する時間の確保だよな。わざわざここを選んだのって」
「そうよ。だって私、もう負けたくない。次に優勝して最後に蒼樹と踊るのは私よ」
なぜか松葉杖を外して舞衣を見下ろす汐里。
「しおりんがいくらダンスが上手でも負けない。蒼くんとそれを一度踊ったのは私だから」
普段は温厚な舞衣が汐里を直視して、珍しく挑発に乗る。
互いを見据えるが、二人とも負けず嫌いなんだよな。
これなら多少は誘惑に耐えられるか。それと、もう一つ――バランスを保つ。
「舞衣も、自由に出入りしていいよな?」
「当たり前じゃない。たった三人の同期だもの」
それを聞いて舞衣は表情を和らげ、つぶらな瞳をパチクリさせている。
「ねえ、しおりん。ここのダンスフロアは狭いし床は軋むけど、とてもいい場所なんだよ」
「そうね。だって――――ここはオナーダンスに一番近い場所だから」
梅雨の合間の恵まれた晴天。
南風に揺られ、物干し竿に吊られた洗濯物が空気を大きく吸い込む。
襟元が少し茶色くなった白いワイシャツが、気持ち良さそうにワルツを踊っていた。
オナーダンスは君と ~駆け出し紳士のエスコート~ 春風 吹 @toshiki1975
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