第9話 お嬢様と魔法の授業

「魔法と呪いの違いは、どこにあると思う?」


呪いの森から塔の中へ場所を移した師弟たちは、ステラの用意してくれたお茶とお茶菓子で一息ついてから勉強をはじめた。千尋はともかく、ソフィアはちょっとばかり精神的に疲れていたので。ちなみに今日のお茶菓子はタルトタタンだ。なおギードは心に軽めの外傷を負ったため、客間で寝ている。

真面目に考え込んでいる千尋は、つい先ほどどえらい心霊現象に襲われて逆に制圧したばかりとも思えない、たいへん可憐で無害そうな顔で小首を傾げた。


「そうですね……。どちらも不思議な力ですけれど、呪いは人に危害を加えることを主目的としたもの、なのではありませんか?」


弟子の答えに師匠はこっくり頷き、杖をくるりと回した。空中にきらきらと光る花が生まれ、千尋の頭上へと降り注ぐ。


「正解! だいたいはそういう認識で大丈夫よ~。呪いはとってもこわいの!

呪いというのは、人間や一部の魔物などの知的生命体が持つ負の感情と、なんらかのエネルギーが結びつき、周囲に危害を加える状態になったもののことを言うわ。

ここの森に住んでいる悪霊達なんかは、分かりやすい例ね。彼ら自身を呪いと表現することもあるし、彼らが人間に何らかの攻撃をしている状態を、呪われている、と表現したりするわ。

あのスノードロップのネックレスのように、人に悪い影響を与える物についても、呪いだと言えるわね。

もちろん魔法だって、使い方によってはたくさんの被害を出すこともあるから、扱いには注意が必要よ~!

ただし呪いは対象や規模があまり定まっていないのに対して、魔法はそうでないことが多いわね。これについては、呪いは発生の時点で明確な制御をされていない場合が多く、魔法は逆に、何をどうしてどんな現象を起こしたいのか、を考えてから使われる場合が多いからよ。

とはいえ、チヒロが無意識に使っている呪いをはね除ける魔法のように、例外はいろいろあるのだけれどね」


お師匠様の話してくれる内容を、千尋はふむふむと頷きながら、学校で使うはずだったノートへきちんとメモしていく。少々想定外の新生活ではあるものの、これもまあ学生生活と言えなくもないのかもしれない。

ところでこの日本産文房具の中で、ソフィアは消しゴムだけは魔法の力で解析し、近い品質の物を再現して増やしてくれた。おかげで千尋は消費を気にせず消しゴムを使えるのだが、どうにも鉛筆やノートは、そういうわけにはいかなかったのだ。


「魔法に限らずなんでもそうだけれど、この世に永遠に残るものというのはそうそう無いわ。というわけで魔法だって消えてしまうの。

結界や加護の魔法のような、エネルギーとしてだけ存在するものは、工夫しないと真っ先に消えてしまうわね。反対に物質を作り出す魔法で出されたものは、強固なら強固なほどなかなか消えづらいの。たとえば、夜道でこわーい狼の群れに襲われたからって、自分の周りを硬い岩で覆っちゃったりすると、うっかり閉じ込められることもあるわ。岩でえぐれた地面も、岩が消えたからって戻ったりはしないわよ。

召喚で呼んだものも勝手に消えたりしないから、気をつけて。送り返す魔法もセットで覚えないと、大変なことになるからね~」


ということで、仮に魔法で作り出したノートに鉛筆で文字を書けば、魔法が消えるのと同時にそれらも消えてしまう。しかし、ごく普通の鉛筆で書かれた文字を魔法の消しゴムで消した場合、消しゴムは消えたとしても、消された文字が復活するようなことはない。この特性のおかげで消しゴムだけが量産されることになったのである。ただし市場に混乱を招かないよう、売ることはできない。魔法使いの生活にも色々なルールがあるのだ。


「というふうに、魔法というのは基本的な知識が無いと、使う力だけが大きくても失敗することもあるの。だから千尋は魔法を実践するときは、私の監督下でだけにしましょうね。あ、呪いを弾く魔法は自動で出ちゃうみたいだから、そこはOKよ」

「わかりました、お師匠様! 魔法にはたくさん種類があるのですね? まず覚えておかなければいけないのは、どんな魔法なのですか?」

「一番先に覚えるのは、身を守るための守護の魔法ね。それから、魔物除けや悪霊除けの加護の魔法よ。守護の魔法を一番先に覚える理由は明確よね。加護の魔法は、魔法使いの基本的なお仕事に関わってくるものだからよ~」

「あら、それでは、心して覚えますわ!」

「そうそう、その意気よ! それじゃ、ちょっと場所を移しましょうか。渡した鍵は持ってる?」

「はい、ここに。けれどまだ、使い方は聞いていませんの」

「バタバタしてたからねえ」


千尋はワンピースのポケットから、クリスタルの飾りが付いた鍵を取り出した。ソフィアはそれを受け取って、空中に無造作に差し込み、くるりと回す。

するとその場所を起点として、くるりと光の筋が走った。それは鍵穴を、ドアノブを、そして扉自体を描いていき、そしてその軌跡通りに一枚の扉が出現する。


「はい、こんなかんじ!」

「すごい! 魔法みたい!」


魔法である。

ごく普通の扉と同じようにドアノブを捻れば開くそこを通り、二人は薄暗い物置のような部屋へと入っていった。といっても、普通の物置ではない。そこかしこにある木箱や缶などのありきたりな荷物を照らしているのは、壁に下げられた奇妙なランプだった。中にろうそくが入ってすらいないのに、それはぼんやりとした明かりを放っている。


「すてき! これも魔法みたい!」

「魔法よぉ~」


当然魔法である。

何せここは魔法使いの店、その裏口から直通の倉庫なのだから。目と口を丸くしてきょろきょろしている千尋の手を優しく引き、ソフィアは店舗の中へと案内してやる。

そこにあるのは、ありとあらゆる奇妙で不思議な道具達だ。宝石のような美しい砂の入った砂時計、空中をゆらゆらと飛び回る金属製の蝶、刀身に複雑な文様が彫られたナイフに、いかにも怪しげな水晶玉。一見するとごく普通に見えるティーセットや刺繍入りのハンカチなども並んでいて、なんだか非常に品揃えに節操のない雑貨屋のようにも見える。

表通りに繋がるのだろう扉は閉まったままだったが、壁の一部がショーケースのようになり、どうやらここにお金を置いて品物を取っていけるようになっているらしかった。


「そこのいつでも買えるようにに並べてあるのが、魔法使いがそうでない人たちに売っている護符よ。これを売って、あるいはお金がない人たちには物々交換をして配るのは、魔法使いにとってとても大事な仕事なの。まあ、他に便利な道具も売っているけれど」


ショーケースを覗き込む千尋の横で、ソフィアがそこに並ぶ商品を指差す。木彫りのアミュレットや小さなベル、お香など、並んでいる護符は用途や使用状況に合わせて種類があるようだ。

ふむふむと熱心に商品を見つめ、千尋は再びノート片手に質問をする。


「お師匠様、それでは、魔法使いは人を守る商品を売るのが主な仕事なのですか?」

「ちょっと合っていて、ちょっと違うわ。魔法使いはね、そもそもその土地を守るためにいるの」

「土地を?」

「そうよぉ。人間の王侯貴族が土地を所有しているのとはまた違った理由で、魔法使いは土地の管理と調整をしているわ。人間が魔獣や悪霊に襲われないよう守るのもその仕事のひとつ。その逆で、人間が動物を捕りすぎたり、自然を開発しすぎてしまわないよう守ってもいるの。

そのために各地に塔があって、そこには管理者の魔法使い、塔主がいるわ。私は常磐の塔の塔主よ。そして千尋、あなたは深淵の塔の塔主」


そう言われて、千尋はぱちぱちと瞬きをする。そういえば、次期塔主、なんて言われたことがあるのを思いだした。


「それじゃあ……。このお店に並ぶ商品は、本来は私が用意しなければならないのですね?」

「そうね。塔主不在の間は、周囲の他の地域の塔主や私が持ち回りで管理していたけれど、本来であればそう。

けれどね、今回はちょっと勝手が違ったのよねえ」


ソフィアは頬に片手を当てて、可愛らしくこてりと首を傾げる。勝手の違う塔主である千尋も、きょとんと同じ向きに首を傾げた。その仕草にうふふと和やかに笑い、ソフィアが千尋を店内のテーブルセットまで連れて行く。柔らかい布の張られた椅子に座り、ソフィアは宝石の杖をしゃらりと揺らした。


「塔主は基本的に、みんな弟子を取るの。そして魔法使いとなった弟子の中でも見込みのあるものを、次の塔主に指名するわ。

けれど深淵の塔は別よ。あそこは元々曰く付きの土地なの。周囲の土地から悪いものを集めてしまう場所で、淀みきると熟練の魔法使いでも扱いが難しい。あそこに住みたがる魔法使いは少ないわ。あの場所はね、塔が魔法使いを選ぶのよ」

「あの塔が、ですか?」

「ええそう。先代も、塔に選ばれてあの場所に住んだの。でもね、いままでの塔主は、全員他の場所で修行をした魔法使いだったわ」

「まあ。それでは私のように、塔主になってから魔法使いの勉強を始めたかたは、いらっしゃらないのですね」

「そうなのよねえ。……けれど、あなたには魔法が扱えずとも、あの森に住み着いたものと渡り合える力があるわ。だから選ばれたのでしょうね」


しみじみと自分を見つめるソフィアの視線に、千尋はただおっとりと微笑み返す。

ただの少女が年季の入った悪霊を、数分もかからず会話だけで、無害な幽霊に変えてしまう。これがどれだけ異様で珍しいことか。

千尋は普通に生きているだけで、怪異に勝利してしまう特異体質と精神を持っているのだ。深淵の塔が別世界に手を伸ばしてでも彼女を連れて来たのは、当然と言えば当然だった。

しかしそれで困ったのは、世界を管理する魔法使い達だ。

管理するとはいっても、彼らに人間社会での地位や権力はそれほど無い。仕事内容を喧伝してもいないので、なんだかよく分からないけれど不思議な力が使える人、くらいにしか思われていないことも多い。それでもそうできる力があるが故に、周囲を整え、様々な存在にとって生きやすい環境を整えるのが魔法使い達の生き方だ。まあ例のネックレスの魔法使いのように、はみ出し者も居るのだが。

危険な地域を魔法使い見習いになりたての、年端も行かない少女に任せる。しかもその少女は異世界から塔の力で召喚されたらしい。

これは由々しき事態だ。土地がうまく管理されるかも問題だが、なにより少女がちょっと不憫すぎた。なにせ場所が場所なのだから。

そのため深淵の塔には、先代塔主と親交の深かったソフィアが派遣されたのだ。


「まあもちろん、わたしが個人的に気になったから、というのが大きいのだけれどねえ」


ソフィアはそう言って話を締めた。千尋は自分がどうやら微妙な状況にあると知り、神妙に頷く。


「そうでしたの……。では、私はなるべく急いで勉強をして、魔法使いとして独り立ちしなければいけないのですね」


少女の責任感に溢れる瞳の輝きに、お師匠様は優しく微笑んだ。ちょっとだいぶクセの強い子ではあるものの、この子はなんて可愛い弟子なのでしょう。そんな思いを新たにしている。


「そうね。けれど急ぐにしたって限度があるから、魔法使いの協会の偉い人たちは、こう考えたの。あの森を鎮めることと、魔法使いの護符を作れること。とりあえずそれができれば当分よしということにしましょう、ってね」


深淵の塔に主人が居なければ、森の呪いはますます強くなる。当然魔法使いのお偉いさん達とて何度か森を清めに来ているが、それも焼け石に水だった。あの森はそれはもうどうしようもない悪霊吸引装置なのだ。局地的にバグったような勢いで延々悪化し続ける環境をマシにするためには、魔法使い未満のなりたての塔主に頑張ってもらうしかない。

そのためなら多少の異例は飲み込むしかない、と協会は決定した。

そしてもう一つ、異例の措置がとられたのである。

ソフィアは千尋と正面から向き合い、その星空のような瞳を覗き込んだ。


「チヒロ、ギードにネックレスを使わせようとした犯人が分かったと言ったら、あなたはどうする?」


真剣な眼差しでそう尋ねられる、千尋は自分の心を今一度見つめ直すことにした。ギードの供養のためにと、彼を唆した人間を探そうとしていた。それはいったいどうしてか。悪い魔法使いを見つけたところで、ギードは生き返らないと思っていたのに、そこになんの必要を感じたのか。まあギードは霊体で元気いっぱいに復活したのだがそれはともかく。


「私……、悪い魔法使いさんに、もうギードさんにしたようなことを、しないでほしいんです。ギードさんは優しいから、もしネックレスを使ってしまっていたなら、きっと後悔して悲しんだと思うもの。私だって悲しかった。

こわい道具を人に使わせようとするなんて、いけないことだわ」


純朴な善意と良心だけを胸にそう言う千尋の、なんといとけなく眩しいことか。人が悲しむことをしてはいけない。それだけが彼女の主張なのだ。

その性質に少々の問題を抱えてはいるものの、千尋は優しく、勇敢だ。それを改めて知り、ソフィアはしっかりと頷いた。


「そうね。そのとおりだわ。

……魔法協会は、まだ魔法使いではないあなたに深淵の塔を任せるにあたって、ひとつ試験を用意しました。チヒロ、あなたには、今回の事件に関わった魔法使い捕縛をしてもらいます。

もちろん、一人でやれなんて言わないわ。私も協力するし、魔法使い以外の人に協力を頼んでもいい。情報をしっかり聞いて、わたしから学んで、あなたが捕縛の作戦を立てるの。成功すればその実績をもって、協会はあなたに、魔法使いに相当する、という見解を出す予定よ」


魔法使いではない少女に、魔法使いが治める必要のある土地を任せなければならない。この問題に悩んだ魔法使いの偉い方々は、その少女がまだ魔法使いとして未熟であっても、問題解決能力があるから任せられるのだ、という方便を使うことにした。

これは完全に言い訳だ。しかしかといって千尋を地球へ送り返したところで、塔は再び彼女を呼ぶし、この地はふさわしい人間以外には手に余る。対外的な言い訳も含めた、苦肉の策だった。

もちろん千尋がこれを断れば、魔法使い達は別の策を考えなければならない。一人の少女を無理矢理塔に縛り付けてやろう、などという冷酷さは、幸いなことに偉い魔法使いの方々の多数派意見ではなかった。

もちろん、千尋にはそんな心配は必要ない。

気高く優しいお嬢様は、胸を張って頷いた。


「わかりました! 私、頑張ります!

とりあえずおばけの皆さんに大勢協力してもらって、悪い魔法使いさんを懲らしめるのはどうでしょう!」

「採用~~~!!」


こうして邪知暴虐のオーバーキル大作戦が始動したのである。

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