第8話 お嬢様VS呪いの森

日雇い肉体労働者相互扶助組合、通称体力ギルドの資料室で、アベルはルートヴィヒを見つけた。

常に騎士らしく快活な同僚は、棚の上からファイルを取るだけの動作もやたら背筋が伸びて姿勢が良い。


「調べものか?」


急にアベルが声をかけても驚かないのは、足音で誰が来ているかに気付いていたからだろう。


「ああ、チヒロ嬢が住む鎮魂の森について調べていたんだ。ずいぶん前からあるし怖い噂は聞くけれど、そういえば全く行った事が無いと思ってね。

それと、騎士団のほうに色々聞いてみたんだが、別件で捕まったコソ泥が面白い話をしていてな。

最近王都のほうで、呪いの指輪だとか絵画だとか、そういったいわくつきの品の情報を集めている集団がいるそうだ」

「ああ、俺のほうでも、最近そういう物やめずらしい魔獣の情報を買ってくれる奴がいるって話は聞いてる」

「なんだ、君も知っていたのか。組合長にはもう報告したのかい?」

「した」

「じゃあ魔法使い殿にも連絡は行っているのかな。ところでアベルはなにを調べに来たんだい」

「んー、ちょっと、魔法使いがらみの依頼って、これまでどんなのがあったのかと思って」


言いながら書架を眺めるアベルに、ルートヴィヒが爽やかに笑いかける。


「そうか。しかしめずらしいな、君がそんなに熱心に仕事をしているなんて。普段は依頼が終わったら次の日は絶対休むだろう」

「あー……、なんて言うか、気になってさ」


普段の低燃費で素っ気ない同僚らしくない様子に、案外噂好きのルートヴィヒは笑顔を深め、うきうきと相手の腕を肘で小突いた。


「なんだ、本当にめずらしいな! どういう風の吹き回しだ?」

「いや、言葉にするとなると難しいんだけれど……。

あのチヒロって子、なんだか目を離しちゃいけない気がするんだよなぁ。悪い意味で」

「うむ、そうか! 君のその言葉を飾らない点は美徳だと私は思うが、お嬢さん相手にそういうことは言わない方が良いぞ?」

「なんだよ、いいだろ別に本人に聞かれてるわけじゃないんだから……」


げんなりと肩を落とすアベルに笑い、ルートヴィヒは壁際の椅子に座ってファイルを広げる。

とじられている紙は全体的に古く、擦り切れて読めない箇所も所々にある。

読み進めるうち表情が険しくなっていく同僚に、アベルは恐る恐る声をかけた。


「何書いてあるんだよそれ」

「ああ、……以前の管理者人である魔法使いが亡くなって、はっきりした所有者が居なくなっていた時期に、一度あの森に調査隊を送ったという記録があってな。どうなったか知りたいか?」

「知りたくない」

「そうか。三名ずつ二組を送って、結果は一名軽傷三名重傷二名行方不明だそうだ。戻ってきた人間も軽症の者以外まともな会話が出来ないほどに錯乱していて、調書もほぼ取れていない」

「なんで喋った?? ねえ」

「ひたすら意味のないうわごとを繰り返したり、暗くなると叫びだすので、一晩中明かりが絶やせず大変だったらしいぞ」

「聞いてる?」

「唯一まともに会話が可能だった人間から聞いた話によると、集団で行動していたが気が付いたら全員と離れ離れになり、恐ろしくて即座に引き返したらしい。

森での探索に長けた狩人だったそうだから、それが幸いして戻れたのかもしれないな。しかし……、あの森で一体何があったのだろう。恐ろしいな」

「俺は今お前が怖いけどな?」


全く情報を掴めない正体不明の何かに襲われるというのは、ある意味ではドラゴンに襲われるよりも恐ろしいことかもしれない。

そんな場所へ平気で赴く魔法使いという人々の底知れなさと、そんな恐ろしい場所で暮らすことになった少女への心配で、ルートヴィヒはその精悍な顔に険しい表情を浮かべた。

あとアベルは今日も雑に扱われた。


◇◇◇


若干空気の重い白亜の塔の中。ソフィアは千尋が持つ麻袋の中に手を入れた。


「まずこのピンクの石。とても弱いけれど、呪いがかかっているの。ちょっと運が悪くなる程度だからそれほど問題はないわ。

それでね、チヒロ、ちょっとこの袋の中を見ないように手を入れて、一つだけ取り出してくれるかしら」


ソフィアが小石を麻袋に戻してから、千尋は言われた通り袋に手を入れ、小石を取り出す。

白い指先に摘まれているのは、先程ソフィアが呪われていると説明したピンクの石だ。


「もう一回お願いね」


再び同じように取り出した小石は、またしてもピンク。それから合計五回、十数粒の小石の中から同じものを取り出した千尋に、ソフィアは表情を曇らせて申告した。


「チヒロ、あなた、やっぱり呪いを引き寄せる体質みたい」

「まあ、そんな体質があるのですね」


驚きつつも、千尋は困りも怖がりもせず小首を傾げる。


「それでねえ、今度はこのサイコロを振って欲しいの。とりあえずまた五回くらい」


いつものようにどこからともなく取り出された赤い六面のサイコロを、千尋はころりとテーブルに転がす。

出た目は六、六、三、四、五。

ピンクの小石とサイコロを回収し、ソフィアはううんと唸って天を仰いだ。


「今のサイコロ、一しか出ない呪いがかかってるのよ。

つまりね、チヒロ。あなたは呪いを引き寄せる体質だけれど、呪いを跳ねのける魔法を無意識に使えているの。

あのネックレスの効果でエネルギーが活性化されたときに、なんて言うかこう、目覚めちゃったみたいね」

「そうでしたの。不便なのか便利なのか分からないのね、私って」


ころころと笑ってそう言う当事者の千尋よりも、よほど心配そうな顔をしたユーリアが、おそるおそる挙手をした。


「師匠、それは……。大丈夫なのですか? チヒロの住居はあの森ですが……」

「それなのよね」


絶賛心霊スポットの森に住む呪われ体質の美少女。どう考えてもタダで済むはずがない。

師匠と姉弟子から可哀想なものを見る目で見られても、千尋は動じずにこりと微笑むだけだ。


「そういえば、あの森、とっても危険なのですよね?

それなら私のその、呪いを跳ねのける魔法がどれくらい効くのか、試してみるのはどうかしら」


こともなげにそう言ってのける魔法の力にガチで目覚めし美少女に、ソフィアはしばらく悩んだ後、難しい顔で頷いた。

確かに千尋の提案は手っ取り早くはあるのだ。それに、あの塔に住んでいる以上、いつまでも森に住む各種生物や生きていないアレソレを避けて過ごせるわけがない。


「……仕方ないわね。それじゃあ私とステラの監督下で、どれくらい呪いが効かないのか調べましょうか。吸引体質が問題ないくらいなら、安心だものね。

あ、ユーリアはお留守番で自主訓練よろしく」

「それは構いませんが……。師匠、本当に大丈夫なのですか?」

「まあ、逃げるだけならステラと私が居ればどうとでもなるわ」


依然険しい表情の二人の前で、千尋はごく純粋に、森を散策できることに喜ぶのだった。


という話の翌日。

しっかり休んでステラ特製の朝食を食べ、体調万全元気いっぱいな千尋と対照的に、危険な森に主人を連れて入るステラは緊張と心配から手を胸の前で組んでは解き、組んでは解きとそわそわしている。

ソフィアもほぼ一般人と変わらないなりたての弟子を、悪霊と妖怪と呪いと悪質な魔獣の坩堝のような森に突撃させるとあって、普段のふわふわっぷりは鳴りを潜めて神妙な顔だ。

そして巻き込まれたギードは完全にうろたえていた。


「ねえこれ俺要る? 全然必要無くないすか? 一般人幽霊代表っすよ?」

「だってあなたすごく感知能力に優れてるみたいだから。いいじゃない~。ステラはこういうことには無敵だし私だってタイマンならどのおばけにも負けないわよお?

家主の可愛い可愛い女の子のお手伝いをするのが嫌なのぉ?」

「嫌ですけど!?」


新陳代謝の無い身で器用に冷や汗を流すギードの肩に、黒い華奢な手がそっと置かれる。

小首をかしげて申し訳なさそうにギードを見上げるステラには、どうかよろしければご一緒してくださいませんか、という主旨の控え目な気持ちしかない。だが如何せんギードとは竜と蝿ほどに力量差があるので、この視線はほぼ脅迫に近いと言っても過言ではなかった。


「アッ、ハイ、ウス、ご一緒させていただきます……」


即座にへたれた可哀想な一般成人幽霊の精神状態には取り合わず、美貌の魔女は無邪気に手を叩く。


「あらあ! 良かった! チヒロ~、ギードも一緒に来てくれるって!」

「まあ、嬉しいです! 私、頑張りますね!」


そんなわけで呪いの森突入パーティは、呪われ体質のお嬢様、お嬢様大好き人外メイド、ふわふわ美人無茶ぶり魔法使い、ビビリ故に索敵が強い幽霊の四人になったのだった。

数日前に森に来たときと同じように、ソフィアが木立の前で杖を振る。すると木が左右に分かれ、成人二人程度なら並んで通れそうな道がすっと森の中へ通った。


「一応言っておくけれど、この道は歩きやすくしただけで、呪い避けの効果はぜーんぜん無いからねぇ? チヒロ、もう無理って思ったらすぐ言うのよお? 私も危険だと判断したら、すぐ塔に戻すからね」

「はい、お師匠様!」


良い子のお返事をする千尋の本日の服装は、森歩きということで歩きやすいシャツとジャケット、膝丈のキュロットスカートに厚手のタイツ、丈夫な編み上げブーツだ。

一切気負いなく千尋が森へと足を踏み入れた瞬間、ギードがひ、とか細い悲鳴を上げた。

その時の感覚を、ギードはおそらく一生忘れられない。いや一生はすでに終えているわけだけれど、まあそれくらいのインパクトだった。

現在の時刻は午前九時。十分に日が昇り明るい時間帯だ。

だというのに、一歩足を踏み入れた途端、森の中はまるで夜のような暗闇に覆われた。


「まずいですよこれ! すごい勢いで集まってきてますって!」


今の一行は、千尋以外が外敵から認識されないよう結界の中にいる。つまり幽霊だとか怪異だとか妖怪だとかいう存在からは、呪い誘因体質の少女が一人で森にやってきたように見えているのだ。


「あらあら、予想以上ね。でもここで帰っちゃ意味が無いのよ」


しっかりと握られたソフィアの杖には、今は持ち手部分に千尋の髪がひと房巻きつけられている。千尋の体の一部を事前に持っておくことによって繋がりを強化し、一瞬で彼女を安全な場所へ引き込めるよう準備してあるのだ。

これと同じく、ステラも千尋の髪をひと房持っている。まだ契約して日の浅い両者の繋がりをこれで一時的に深くすることで、千尋に危険が迫った際の反応速度と精度を底上げするためだ。

そんなわけで万全の体制をとってはいるものの、森の環境はもはや異界と言っても過言ではない状態になっていた。

暗闇の中、木陰や草の影から、何百という目が得物を見定めるべく千尋へ視線を向けている。地面からは干からびた何本もの指が虫の大群のように這い出て、少女の足元へと近づいていた。

耳元に冷たい息がかかるほどの距離で、見えない何かが低い声で呪詛を囁き続ける。

とうの昔に息絶えたのだろうミイラのように枯れた老人が、満面の笑みを浮かべて木陰から千尋を手招きし、木のうろから目玉の無い赤ん坊が千尋を見つめ、周囲の枝に何十本も先端を輪にしたロープがかかる。

既に自分の足先すら見えない暗闇だというのに、それらの姿は鮮明に千尋の目に映った。

己の弟子がそれらを相手に一言も発さず微笑みを浮かべて立つ姿を見守りながら、ソフィアは疑問を口にする。


「……大勢集まってるわりに動きは鈍いわね」

「集まり過ぎて、……様子を窺ってるんだと、思います。でも全部、ずっとあの子を見てる」


思わず小声で返事をするギードが、ひ、と小さく息をのんだ。

千尋の頭上から、べったりと塗れた茶褐色の、いや、元はもっと明るい色だったのだろう、血に汚れた長い髪が下りてくる。逆さまにぶら下がった女は何か所も関節のある長い腕を千尋へ伸ばし、その白い頬に触れた。

顔にぽたぽたと落ちてくる生臭い血を拭いもせず、千尋はゆっくりと顔を上げる。

ソフィアは千尋をいつでも安全圏に連れ戻せるよう、神経を研ぎ澄ました。

周囲の緊張を微塵も気にせず、微笑みを浮かべた少女は、己を見おろす女と視線を合わせる。


「ごきげんよう」


千尋の声はあくまで穏やかだ。常人ならば触れられた時点で発狂しているような状況で、変わらず礼儀正しく微笑んでいる。

人を狂わせる呪いを当然のようにかき消し、根源的な死の恐怖を感じさせる異形の存在に対しても、千尋の態度は生きている人間に対峙している時と変わらない。ギードはその姿に、むしろ悪霊以上のおぞましさを感じた。


「眼にフォークを刺されたのね」


少女の口から、鈴を鳴らすような美しい声で静かに言葉が紡がれる。そろそろ撤退を始めようとしていたソフィアは思わず手を止めた。


「脳をかき回されたのが致命傷だった。痛かったのね。でもその前のほうが辛かった。何人もの男が、泣いて叫んでも放してくれない。

だから仕返しにみんな引き裂いてしまったのね」


千尋は己の頬に触れる血まみれの指を、そっと握った。触れた端から肉がぐずぐずと崩れ、少女の白い指は黄ばんだ骨に触れる。


「誰でもよかったのでしょう? つらかったのね。怖くて、不快で、何人殺しても満たされなくて。

私のことも殺したいのね」


死人のぐちゃぐちゃに崩れた目を、星空のような目が覗き込む。

鼻がつきそうなほど顔を近づけ、じっと視線を合わせながら、少女は変わらず穏やかな微笑みを浮かべた。


「でもごめんなさい。私、まだやりたいことがあるから、殺されてあげられないの」


ぐちゃりと音を立てて落ちてきた女の体は、幾本も手が生え、まるでムカデのようだ。無力なはずの少女から逃げるように無数の手がうごめき、地面に爪を立てて後ずさろうとする。

獲物を捕まえていたはずの異形は、今度は反対に少女に捕らえられ、底の見えない美しい目で見おろされていた。

うつむく千尋の肩から艶のある髪がさらりと滑り落ち、女の顔の周りを檻のように取り囲んだ。

透き通るような肌の華奢な手が、血と膿と溶けだした白目で濡れる頬に添えられ、目尻をそっと指の腹が撫でる。


「かわりに、いつか一緒にお茶をしましょう? ステラが作ってくれるお菓子は、どれも絶品なのよ」


にっこりと笑顔を浮かべ、さも当たり前のように和やかに話しかける千尋に、女は怯えも露わに身を捩り、千尋を押しのけてその足元に小さくうずくまった。

長く伸びていた腕と胴は人間らしい形へと戻り、汚れていた髪も亜麻色に戻っている。

千尋が震える女の顎に指先を添え、顔を上げさせようとしたところで、横からその腕がぱしりと掴んで止められた。


「はい! そこまで~!」


いつのまにかごく普通の薄暗さに戻っていた森の木漏れ日の中で、ソフィアがにっこりと笑う。

千尋もその笑顔ににっこり笑い返し、女に触れていた手を離して師匠のほうへ向き直った。


「ギード、周囲の状況はどう~? この女性だけかしら?」

「は、はい、もうその人以外は居なくなってるっス」

「結構結構。チヒロ、どこか痛いところとかある~?」

「はい! お師匠様、なんともないわ。

どうだったかしら。私にはその、呪いを跳ねのける魔法というのは、あまり使っている感覚が無いのですけれど。うまく出来ていたかしら?」

「うんうん、ばっちりよ~! そうねえ、体から何かが出ていく感覚とか、疲労感とか、そういうものはないかしら?」

「言われてみれば……、たしかに何かが抜けていくような感覚がした気がしますわ。でもまだまだ元気ですから、修行も続けられます、お師匠様!」

「そうなの~! チヒロは元気でよい子ねぇ。それじゃ座学もちょっとするから、先にステラたちと塔に戻ってくれるかしらぁ?」

「はい!」


良い子のお返事とともに千尋が塔へ歩いて行くのを見送り、ソフィアはうずくまったままの女に声をかけた。


「大丈夫ぅ?」


声につられて顔を上げた女は、潰れた側の目が髪で隠れていることもあって、先程までの面影はあまりない。

震えながら自分の肩を抱き、塔のほうへちらちらと視線を向ける姿は、完全に怯え切っていた。


「はい……でも、私、怖くって……」


ガチめの怨霊を恐怖で我に返らせ呪いを解いた弟子の強靭なメンタルに、ソフィアはうふふと魂の抜けそうな笑い声をあげる。


「いや~、予想以上だわぁ」


ソフィアは最初千尋のことを、穏やかで優しい気性ゆえに、他者から自身へ向けられる負の感情にうとい子供なのかと思っていた。

けれど実態はこれだ。千尋は先程の暗闇の中で、己へと向けられる憎悪も殺意もなにもかもをきちんと理解したうえで、それらに怯えるどころか全く無頓着だったのだ。

悪い子ではない。むしろとても頑張り屋で優しい良い子なのだが、それを差し引いてもちょっと及び腰になるくらいには、とんでもない子供を弟子にしてしまった。

これは大仕事になりそうだ。

これからの修行に向けて、ソフィアは気合を入れ直したのだった。

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