第四話

 秋人は大学一年の秋に御ヶ西劇団の公演を観た


 とくにそれまで劇に興味があったというわけではない。サークルに入ってもいなければバイトもしておらず、暇つぶしにふらふらと街を歩いていたとき、一生懸命ビラを配っている劇団員達の姿が目に入った


 差し出されたビラを受け取り、(まぁ暇つぶしくらいにはなるか)と軽い気持ちで小さな劇場の中に足を踏み入れる


 無名で小さな劇団だったが、まるで身体の中に入り込んでくるような感情を揺さぶる熱い演技に、秋人は今まで感じた事のないような衝撃を受けた


 観客を自然と笑顔にする演技や歌や踊りにどんどんとのめり込んでいく。スポットライトを浴びる主演の姿を、まばたきをするのも忘れるほど夢中に追いかける


 帰り道も興奮は収まらなかった、思わず涙を流しそうになるほどの感動と自分でも気付かぬうちに笑顔になるような面白さは、秋人に強い刺激を与えた


(そういえば、うちの大学に演劇サークルあったよな)


 翌日、秋人は演劇サークルへ入ることにした。初めて本気になって取り組めるかもしれないという期待に胸を躍らせていた


 大学卒業までサークルには所属をしたが、それまでろくに経験のない秋人は裏方に回される事が多く、舞台の上に上がったのは村人Bのようなちょっとした役でのみだった


 中心になれない秋人には、演技をするサークル仲間を遠目に眺めるしかなかった。悔し涙が零れ落ち、無意識に強く握られたこぶしの隙間からは血が流れる


 沢山の演劇鑑賞をしレッスンを受けたが、その努力が在学中に報われる事は一度としてなかった


 その悔しさが、秋人をより演劇へとのめり込ませていく



 卒業後、両親の反対を押し切って御ヶ西劇団に入団した


 初めて観た頃と比べると団員も増え、大きめの劇場で公演することも増えているようだった


 演劇を始めたきっかけ、演技に心を打たれた事、僕も皆が自然と笑みを浮かべるような演技がしたいと面接を担当する団員に熱意を込めて伝える


 演技や熱意よりも、どちらかといえば裏方もこなせる所を買われてなんとか入団する事は出来た


 悔しさしかなかったサークル時代の裏方経験が役に立った事実に複雑な気持ちはあったが、合格通知を見た秋人は安堵し気持ちを引き締める


「主演になりたい。その為なら何でもしてみせる、どんな代償を支払う事になろうと構わない」


・・・・・・・


 劇団に入団したことを話すと藤次は腹を抱えて笑い出した


「お前、脇役の更に脇みたいな役しかしたことないのに大丈夫なのかよ」


 大学は別々になったが、お互いの学祭に顔を出したり飲みに行ったりと、二人の交流は続いていた


「だからこそだよ。僕のやりたい事は全然出来なかった、今度こそやり遂げたい。

それに御ヶ西劇団は本物だよ、藤次も見れば分かる」


「おう、お前がせめて脇役に昇進したら見に行ってやるよ」


 そう言いながらビールを豪快に飲み干す


「藤次の方はどうなんだ?一流企業に入り込むなんてすごいじゃないか」


「入り込むってなんだよ、堂々と入社したんだ。会長は厳しそうな人だったけど受付は美人だし上司は話が分かる人だし、まぁそれなりにうまくやってるさ」


 藤次はお代わりのビールを受け取ると一口でジョッキ半分を飲み干してから秋人に真っすぐな視線を向ける


「で、彼女とはどうなんだ?」


 あまり触れてほしくなかった話題に、苦笑いをしながら秋人もグラスに入ったカクテルをぐいっと胃の中に流し込む


「相変わらずだよ。彼女は忙しい人だし、僕も劇団に入ってからは稽古とバイトで忙しいし、しばらく会ってもいない」


 話を聞くと藤次は大げさに両手を額に当て、まるで応援しているサッカーチームがゴールされた時のようなポーズでのけぞった


「かーーっお前は昔からそういう所変わらないな」


「そういう所?」


「不器用って話だ、もっとうまく立ち回れよ」


「頑張ってはいるつもりだけど、迷惑はかけれないからさ。

向こうから会いたいとか言ってくれる事もないし」


「お前の控えめなとこは良いとこでもあるが時と場合ってやつだ。お互いの意志はちゃんと確認したほうがいいぞ。

もしやお前、劇団に入る事相談もしてないんじゃないか?」


「え、そうだけど。劇団に入ったって伝えたら応援してるって言ってくれたよ」


「事後報告されたら何も言えないだろ。結果はともかく相談する事が大事なんだよ」


「そういうものかな」


 藤次はふぅ~と大きなため息をつきながら再び額に手を当てた


「捨てられても知らないぞ」


「そんな軽い人じゃないよ。それに僕はどんな事をしてでも、何を犠牲にしても主演を勝ち取るって決意したんだ」


「俺だって応援はするさ」


「心配してくれるのはありがたいさ、やっぱ藤次はいい奴だな」


「おいおい、そんなの当たり前だろ」


 二人はおかわりを注文すると、二度目の乾杯をした

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