3-6


 麗奈の青いスマホが振動し、連絡が届いたことを知らせる。

 大体十分おきくらいに、何度も何度も。

 相手はもちろん母さんだ。突然娘が家出したせいでパニックになっているのだろうが、そろそろ落ち着いてほしい。

 もう僕の家に到着して、ご飯も二杯おかわりしたというむねを伝えたのにコレなのだ。このしつこさに麗奈は辟易へきえきしているのだろう。僕にも嫌になる気持ちは良く分かる。


「電話、出なくていいからね」


 浴室から麗奈の冷めたボイスが、反響しながら聞こえてくる。

 星乃家がおねむの時間になって帰ったので、現在麗奈は入浴中だ。僕は順番待ちをしているのだが、「余計なことをするな」という釘を刺してきたのだ。


「わざわざ出ないよ」


 母さんの面倒臭さは僕が一番知っている。だからこうして一人暮らしを始めたんだ。自分から歩み寄るなんて自殺行為に等しいと断言出来る。

 そんな精神削られるような環境に、麗奈は置かれている。僕がされてきたことを受け続けているのだ。今後、どんなに短く見積もっても四年弱の間、ずっとだ。そんなの耐えきれない。

 そして家出して今に至る訳だ。

 小学生が一人、遠く離れた地まで家出する。褒められたことじゃないだろう。でも、僕に否定することなんて出来ない。

 僕だって高校進学という大義名分があっただけで、母さんの元から逃げたという事実は変わらないからだ。

 しかし、このまま家出した妹をかくまい続けるのも問題だ。小学校に通わないといけないし、不登校として処理されると大事になるかもしれない。母さんのことだ、学校側が問題視するよりも早く、とんでもない行動に出ることだって十分あり得る。勝手に警察沙汰けいさつざたにしたり全国ニュースになったり、最悪の予想が次々と思い浮かんでしまう。何が起こってもおかしくない。

 兄としては実家に戻ってもらうのがベスト。だけどその辛さを分かっている身としては、正直そんな酷なこと言いたくない。

 だけど、伝えないといけないことなんだ。

 いつ、どのタイミングで、どんな風に話せばいいのだろうか。頭を抱えてしまう。


「いいお湯だったよ、おにい」


 丁度ちょうどその時、パジャマを着た麗奈が風呂から上がってきた。着替えを持っておらず僕のパジャマを貸したため、丈が合わず不格好だ。まだドライヤーで髪を乾かしておらず、下ろした髪は束になり波打っている。肌はほんのり桃色の血色で、十分に温まってきたようだ。


「入らないの?」


 入浴後早々麗奈はスマホをいじり始め、瞳だけこちらに向けて言った。ながら作業みたいだ。


「う、うん。後でね」


 僕は曖昧あいあいに先延ばしの返事をした。

 これからどうするつもりなのか。

 聞き出すタイミングが掴めず二の足を踏んでしまう。

 通知を消している目は、血色良い肌とは対照的に氷のような冷たさだ。どんな気持ちでいるのか、いまいち判別がつかない。


「あ、そうだ」


 ふと思い出したかのように、麗奈が顔を上げた。


「ボク、明日の朝には帰るから」

「……へ?」

「だから帰るって」


 何の脈絡もなく、そう告げた。

 タイミングをうかがっていたこっちの事情などお構いなく、何事もなかったかのような気軽さで。


「ど、どうして急に」

「何?帰ってほしかったんじゃないの?」

「いや、それはそうなんだけどさ。あまりにもあっさり決めたなーっていうか……」


 実家の窮屈きゅうくつさが嫌で逃げ出したくせに、心変わりが早過ぎる気がする。しかもよくある『寂しくなった』とか『説得されたから』とか、ドラマチックな要因も一切なしで。

 急にどうしたんだ、うちの妹は。


「あの子を見て、気が変わっただけ」

「あの子って……梨々花ちゃんのこと?」

「そ」


 そういえば、夕食後にずっと二人で遊んでいたな。

 あの時に何かあったのだろうか。


「それに、おにいもうまくやってるみたいで、安心したから」

「ぼ、僕のことは関係ないでしょ」

「梨々花ちゃんとお幸せにね」

「それどういう意味かな!?」

「別に?」


 そう言って、麗奈ははぐらかすだけ。

 実の妹だけど、その内面は謎に包まれていて困惑してしまう。

 以心伝心、とまでは行かないまでも、通じ合うのが兄妹だと思っていたけど、そんなこと微塵みじんもない。


 結局、麗奈の真意は分からないまま、翌朝すぐ帰路についてしまうのだった。

 因みに学校の始業時間には間に合わないので、盛大に遅刻して行くそうだ。その強靱なメンタルだけは見習いたいと思う。

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