「合縁中学校一年二組担任――春宮響」




「なんや東大卒言うから頭のええ人やと思ってましたけど……まさかこんな大バカとは」




 

 竹先生の言葉が頭に響く。



 言葉の意味が深く刺さるというわけじゃなくて……単純に、頭がくらくらして音そのものが物理的に響く。




 村上の蹴り……痛かったなぁ。

 

 モロに頭で受けて、その後も椅子で殴られ続けたから。



 咄嗟に防御してみるも衝撃自体はずっと頭に伝わっていて最後は意識も怪しかったし、竹先生に保健室まで連れて来てもらえなかったら色々と危なかった……。



 だいぶ落ち着いたけど、後で病院にはちゃんと行こう。




 

「で、なんか言うことは?」



「あ……あはは……。学歴と素行に関連性はないと思います。どれだけ良い大学出ても犯罪を犯す人はいますから……」



「ちゃうやろ。ホンマにこんなやり方でなんとかなる思たんかって聞いとんねん。なんで相談しやんかったん?」



「………」



「前怒ったんは当事者からなんの話も聞かんで自分の役割投げたからやろ? 筋通せ言うて怒ってん、オレは。でも今回は薬師寺から話聞けてんやろ? ほんなら一人で解決すんの難しい思たら周りに相談したらええやん。オレが嫌なら橘先生でも他いくらでもおるやろ。ちゃうか?」






 当たり前だけど、事情を説明すればこうなる。



 あの状況で、今のこの有り様で、竹先生を誤魔化し切るすべはどこにもなかった。




 やろうとしていたこと、それが失敗に終わったこと……竹先生は今、これからの話をしようとしている。






 これから。



 失敗した俺は……これから……。







「薬師寺は言いました……どうせまたイジメられると。問題になって注意されて、一時的にイジメが消えてもそのうちまた同じことを繰り返されるって。もしそうならなくても、事情を知った他の生徒が面白半分でからかいに来るかもしれないって。泣きながら僕に言ったんです」



「……おぅ」



「竹先生の言うように他の教員の力を借りても薬師寺の望む形にはなりません。多くの人間が関わるほど大事になりますから……薬師寺が帰って来たとき、また居づらくなる」





 薬師寺に言った。


 薬師寺が不安に思うこと、全部消しておくって。



 正攻法だと意味がない。


 イジメがなくなる保証もない。その後も。


 



 これは、償いだから。


 俺一人が全てのリスクを抱えて上手く立ち回らなければいけなかった。




「そんで脅迫か? 村上達ならまだしもオレ相手に通用するって本気で思ったん?」



「あ……はい、それは。生意気かもしれませんけど、竹先生にとってデメリットがないじゃないですか」



「デメリット……?」



「……その、竹先生は素行の悪い生徒を取り締まる教育指導の先生、ですよね? だったら今回の一件で村上達の素行の悪さは示すことが出来たと思います」



「おん……まぁ、あれ見たら目付けるしかないやろな。元々村上と南原は警戒しとったし」



「だったら、竹先生は普段通りの仕事をするだけじゃないですか。不快に感じるかもしれませんけど、どのみちやることが変わらないなら僕の要求も渋々聞いてくれるだろうって……。動画を拡散されるリスクを考えれば、僕に対する対抗心より学校の立場を取るだろうと」




 ベッドに腰掛ける俺を、両腕を組ながら見下ろす竹先生。


 元々の強面は健在でも特別険しい顔はしていない。


 

 まぁ……それこそ、いきなりこんなカミングアウトをされて竹先生自身も困惑してるのかもしれない。



 俺は、不思議とすっきりしてるけど。





「最後、自分が辞める言うのはなんや? そこが一番わけわからん」




 険しい顔はしていない……と思っていた竹先生が、今初めて険しい顔を向けてくる。



 事情を説明して竹先生からの質問に答えてはきたけど、何となく雰囲気で察する。


 竹先生が一番不快に感じてる部分は、たぶんここ。




 いいさ、ここまでやり切ったなら最後まで本心で答えよう。




「村上達はイジメ加害者ですけど……根っこの部分では、自分も同じなんです。薬師寺が辛い思いをしてるとわかってて助けなかった……。都合の良い建前で見てみぬふりをした……。薬師寺の帰って来る教室に、僕の居場所は必要ありません。きっと薬師寺もそれを望むと思います」




 村上達を学校から追い出すことは出来なくとも、抑えつつ、もう一つの原因である自分も消える。



 薬師寺にとって俺も村上達も不穏分子でしかないから、たぶんこれが一番理想の形だと思う。




 あの子に、これ以上関わっちゃいけない。






「それ薬師寺が言うたんか?」




「あ……いや、直接は……。でも薬師寺の気持ちをむなら」




「気持ちを汲む? なんやその気持ちって。薬師寺が自分の口から消えてくれ言うたんか聞いとんねん」




「……それ……は」




「学校来い言うたん自分ちゃうんか。薬師寺だけ学校来さして、来たときには自分は辞めてる? なんやそのハメ技は。残された薬師寺はどないなんねん」




「………」




「アカンわ……そんなんアカン。絶対認めへん。逃げるための口実作ってるだけやん」





 逃げる……。




 違う。


 それは違うと思う。

 


 竹先生から見たら理由作って離脱しようとしてるように映るかもしれないけど……そうじゃなくて、今必要なのは薬師寺が戻って来たときの……。





「本来なら、薬師寺学校来さして二度とイジメが起こらんよう徹底的に監視する。薬師寺のこともサポートする。それが役割ちゃうんか? それ以外は全部逃げや」








 ぁ……。






「ちゃうんか」



「……ゃ………あ、の」



「ちゃうんかってぇっっっっっ」






 違うとはっきり言い返したい。


 言い返したいのに、言い返せない自分がいる。



 怒鳴られて恐いからじゃない。


 恐いわけじゃないのに、口に出せない。




 それは、否定する言葉が浮かばないからで……。 


 たぶん、竹先生が正しいから。 




 

 だけど。


 それなら、俺は……。






「ええわ、協力したるわ。どうせほっといてもろくなことならんやろし、ここまで来たら共犯や」




















「ま、とりあえずコーヒーでも飲もか」






――――(♠️)――――






 強引に渡されたマグカップ。


 それを介して、伝わる熱。


 

 弱々しくも薄く沸き立つ湯気を見つめて……ついでに、竹先生も。




 コーヒーを渡したっきり目を瞑って口を開かない。



 何を考えているのか。

 

 さっきの共犯という言葉の示す意味。




 気になる部分は多いけど、流されたくはない。 


 例え今回が失敗に終わっても次があるから。



 何回も何回も何回も何回でも作戦を考えて、阻んで、何があっても村上達から薬師寺を切り離す。




 薬師寺を元の場所に帰すって誓ったから。


 償うと決めたから、これだけは絶対に。

 


 


「今回の件、本来なら学校全体を巻き込む大問題になってもおかしない。何が起きたか周りの教員は知るやろし、校長や教頭に事情を説明する義務もある。もちろん村上達の保護者呼び出して報告もせなあかん……。でもそのやり方やと納得いかんねんな? 薬師寺がどうとかさっき言うとったやん」



 

 暫くの沈黙の後、厳しい目付きで俺を見つめて、竹先生が切り出す。



 本題というよりも、前置きに近い入り。




「はい……それは、ダメです。それだと意味がなくなってしまう。多くの教員に知れ渡れば、少なからずそこから一部の生徒にも伝染しますから……薬師寺が戻って来たとき、困ってしまう。本人はそれも含めて何も言えないでいました」



「………ほん。そこでや、仮にオレらの間だけで問題を納めるとして、そのやり方で薬師寺は学校来れんのか?」





 ん……?



 


「来てくれる……と、信じてます。具体的にいつ来れるかまではわかりませんけど……いつかは、必ず。そこは僕自身が絶対なんとかします。そのためにここまでやりましたから」


 

「ならええわ、オレからは報告しやん。報告しやんで、その上でどう対応するかの話しよか」





 どういう流れだ……?



 共犯っていうのは……。





「勘違いしたあかんで? これが春宮先生と村上だけの問題や言うなら協力なんかせえへん。事情があって、薬師寺も絡んでる言うから特別他の方法を提案するだけ。ええな?」



「……はい」 




 竹先生の考えがわからない。     



 どうして薬師寺の事情を察してくれるのか。


 どうして俺の意向を汲んでくれるのか。



 竹先生の立場を考えれば問答無用で上に報告する案件だと思うけど。




 こちら側に依ってくれるのは、なぜ……?




 

「ほんなら役割分担でいこか。春宮先生が睨み利かして、オレが縛る。そんでええな?」



「……え」 



「だから、春宮先生が睨みを利かすの。んで、何かあるたびにオレが出張って押さえる。そんでええっなて?」



「や……あの、どういう……? 言ってる意味はわかりますけど」




 竹先生の提案が、いきなりかつ単純すぎてついていけない。



 表面上の意味は理解出来ても、意図が読めない。



 睨み? 縛る?


 縛るというのはさっきみたいな状況を指すのか?

 




「はっきり言うけどな、イジメ言うのは完全に消すことなんか出来でけへん。どんだけ怒って指導しても大人しくしてんのはそんときだけや。次からは教師の見てへんとこで上手いことやりよる。同じやつをまたイジメるか、他のやつ見つけてイジメ先を換えるかのどっちかや」





「経験上な、イジメに慣れてるやつ言うんはそれをイジメと自覚してるかすら怪しい……感覚が麻痺してるやつも多い。そんなやつらに道徳説いて改心させるんが教師としての理想やとは思うけど、実際には無理や。やるやつはまたやる。何言うても絶対やる……。今までな、何べんもそういうやつ見てきた」





「少なくともオレにはそいつら改心させるような心に響く説教なんか出来へんし、正味周りの教員見ててもほとんどが一緒や。綺麗事で出来もせん理想追うより効果的な実践の方が意味はあるやろ? そこで、睨みを利かす必要がある」




「睨みを、利かす」



 


 伝染するかのように、睨みを利かすという言葉を反復してしまう。



 竹先生の経験上での話……。



 確かに、感覚が麻痺してるという部分は同意せざるを得ない。


 情けない話だけど、余裕を装っていたら村上達の言葉に見事揺さぶられて一暴れしたのが今の自分だから、竹先生の話が凄くしっくり入り込んでくる。

 

 


 

「睨み利かして、イジメが出来へん状況を作り上げる。それが維持出来んねやったら現状イジメを抑え続けることは可能や。完全に無くすんやなくて、出来へん状況を継続させる」



「………」



「なんや大げさなわりに当たり前のこと言うてる思てるやろ? 大げさやないで。今言うたことを、厳密に、徹底的に、実行する。そのための役割分担や」



 

 保健室まで担がれてから今に至るまで、固い表情をピクりとも崩さなかった竹先生が、初めてニヤりと悪い笑みを見せる。



 悪い笑み……。


 まるで、反社会勢力を連想させるかのような。



 そのあまりに狂暴な顔を見て……この手を取ってはいけない、何か不味い契約を結ばされるんじゃないかと怯みそうになる。




 だけど……。



  

「睨みを利かす、と言うのは……具体的には」



「そんままの意味やで。常にアンテナ張って、目ん玉ギラギラ光らして、いうたら村上達のストーカーになる。授業中や休み時間に悪さしてへんか監視する……その程度じゃ話にならへん。もっとめちゃくちゃに、徹底的に監視せなあかん」



「………」



「言うたやろ、ストーカーになるって。周りの生徒や教員使うのもええわ、自分がおらんときに逐一どんな行動取ってたか報告してもらう。たまたまスレ違ったから後を着けてみる。意味もないのに村上達の周りフラフラする。要はずっと見てるぞってアピールしたったらええねん。あまりにしつこ過ぎてこいつおったら何も出来へんって呆れさしたら勝ちや」



「……それは、大丈夫なんですか? モラル的に」



「モラルがどうとか気にしとったら出来へん、徹底的にやんねん。……あっ、でも限度はあんで? 盗撮や盗聴は普通にアウト。証拠残るから言い訳も出来へんし、あくまでも誤魔化せる範囲じゃないとあかん。、春宮先生がやんねん」




 

 やんねんじゃなくて……。




 ただ、竹先生の表現が悪いだけで俺がしようとしていたことを考えればそこまで逸脱はしていない。



 教室での撮影が上手くいったとして、その後は学校を辞めてずっと監視するつもりでいたから……そこまで変わらないんじゃないかって思ってしまう。



 睨みを利かす……か。




「んで何かトラブルあるたびにオレが登場して対応する。こってり絞ったるわ、オレ見たら拒絶反応示すぐらいに。もちろん春宮先生とは常に連帯して村上達の情報を共有もしておく。ええな?」



 

 この二つを合わせて、睨みを利かせて縛るということ。



 実際に竹先生の提案は、それこそ実現が出来るなら的外れなものではないと思う。


 だけど、この提案に乗るということは俺自身が学校に残り続けることになる。


 



 俺は、薬師寺の前に居ていいのか?


 薬師寺の先生を続けて、それが許されるのか?





――その選択は、償いになるのか?





「ええなって聞いとんねんっ! 返事せんかいやっっっっ」



「あ、あっ……ぃ、うっ……は、はいっ」



 

 思わず、反射で答えてしまう。




「おん、ならええわ……。ほら、コーヒー醒めるで? 飲みいや」




 いや、待って欲しい。



 今のは違う。


 いきなりの恫喝で反応しただけだから。



 少しでいいから時間をもらって考えを整理させてもらって……って言いたいけど、この流れで言えるわけがない。


 


 や、いやでも待って欲しい……。





「なんや学校辞める言うとったけど、ほんまに薬師寺に悪い思うならせめて3年はおり。薬師寺がおる間は先生として守ったり……辞めるならその後や。またそんとき聞きに来るから」







 

 




 


 ぁ……。







「う……上手く、いくでしょうか……」



「上手く立ち回らなあかんな、それが求められる。このやり方選ぶなら変わらなあかんで?」






 変わる……。




 変われるのか、俺は。





「じ、自信が……ないです。自分の性格考えたら……出来ると、思えませんし。今だに村上達のことも……わからないままで。ホントに、わからないままこんな状況になって……何もしてないのに、ドンドン態度が悪くなっていく村上とか南原とか……今だに理由わからなくて、意味不明で……そんな、俺が」






 わからない。


 わからないだらけで、出来るか?



 やっていいのか……?

 




「わかる努力したらええやん。今まで生徒のことちゃんと見てなかったやろ? 目離すからそうなんねん。特に一年坊主なんて大人しいのは初めだけ。環境に慣れたら悪さするやつはドンドン悪なっていく。目離してるなら尚更や」






 努力なんてしたくない。


 だって、先生になんかなりたくなかったから。



 嫌々ここまで来たから……。


 


 今更になって、そう都合良くやっていけるだろうか。








「とりあえず今日はもう帰り、オレも教室戻らなあかん。村上達待機さしてるし、ずっと保健の先生に見てもらうのも悪いわ」










 








「それとな、大学生はもう終わりやからな?」











 ぇ。







「4月にここ来て、今までの自分ふりかえってみいや。自分が一番わかってるやろ?」














「これまではの春宮君。こっからはの春宮先生。ここで割り切りや?」




















「は……ぁ………っ、はい……っ」

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