「わからない」
「あの、おかしいって思わないんですか?」
まるで有機物を吐き出したんじゃないかってぐらい、出てきた言葉に重みを感じる。
これ以上は、気持ち悪くて蓄えておけない。
おばあちゃんからの言葉が欲しい……。
なにを思ってるのか教えて欲しい。
「ん……おかしい? なんかおかしなことあったかなあ?」
「やっ……だ、だって、おかしいじゃないですか。薬師寺……ま、舞さんがこんな何日も学校休んで……。体調不良が理由じゃないって、気付いてますよね?」
「………」
言葉を受けて、おばあちゃんは何も答えない。
お互い目は合ってるのに、無言のままで……。
怒ってるようにも含みがあるようにも見えない、何を感じてるのか図りきれない表情をしている。
逆に、その表情に不安を駆り立てられて……。
「前に言ってましたよね、学校で嫌なことでもあったんじゃないかって……。全部、わかってますよね?」
「どうして詳しく聞こうとしないんですか? ほぼ毎日家まで来て、なにもしないまま帰って……担任として報告義務とかあるのになにも話さないで……おかしいですよね、僕のやってること」
「聞かない理由はなんですか?」
震えながら息を吐く。
思ってること、全部さらけ出して。
なんでもいい……怒るでも蔑むでも。
なんでもいいから、なにか言って欲しい。
「ダメよ、そうやって楽になろうとするのは。それで安心しようとするのが一番ダメ」
ゆっくりと瞳が緩んで、優しくおばあちゃんが微笑む。
ぇ……。
なにを……、どういう意味……?
「春宮先生、ちょっと前にまーちゃんのお母さんはもういないって話したの覚えてる?」
少しの間が出来て、唐突に話題が替わる。
待って欲しい。
そんな、いきなり……まだ、全然理解が追い付いてなくて……。
「あ……ああっ、はい、存じてます。……それに、受け持つ生徒の家庭環境は入学前に一通り資料なんかで確認してますから」
呑み込め、呑み込め。
話題を替えたのには意図があるかもしれない。
ひとまずはおばあちゃんの話をちゃんと聞こう。
「まーちゃんねえ、ちっちゃい頃からお母さんのこと大好きで、小学生になってからもずっと後ろに引っ付き回ってお母さんお母さんって、友達と遊びにも行かずにお母さんの後ろに隠れてばっかだったの」
「うーん、何年前かなあ……。まーちゃんが小学校2年生か3年生ぐらいの頃にお母さんがいなくなって、それでまーちゃん元気なくなっちゃってねえ……。元々人見知りする子だったけど、もっと人見知りする子になっちゃったの」
昔を思い出すかのようにぼんやりと視線をさまよわせ、哀愁混じりの笑みを浮かべながらおばあちゃんが語り始める。
薬師寺の、過去。
ここで言ういないという言葉は離婚したという意味じゃなくて、表情や言い方から察するしかないけど……おそらくは。
書類上では父子家庭としか記載されていなくて、そこが何となく他と比べて珍しく感じられて、ああそうなんだって深く考えることもなく読み流していた……。
おばあちゃんの言う通りそれとなくで伺ってはいたけど……それこそホントにそれとなくで、離婚したとも死別したとも断定出来ない話し方だったから、今はっきり伝わって少し動揺してしまう。
「ここに引っ越して来る前の話だから、そのときはまーちゃんとお父さんの二人暮らしでね、たまにばあちゃんが様子見に行ったときにはポツンって部屋の隅っこで本読んでるかテレビ見てるかのどっちかで……。まーちゃん、お母さんがいなくなって寂しそうにしてたの、ばあちゃんはずっと見てたよ」
「それでね、暇潰しになったらいいなって思ってテレビで紹介してたシャンプーって漫画試しに読ませて見たら、それがまーちゃんスッゴく気に入ってねえ……。それからは本読みながらだけどクスクス一人で笑うようになったり、同じ本読んでる友達が出来てたまに遊びに出かけるようになったり、ちょっとずつ楽しそうにするようになっていったの」
哀愁混じりの笑みから喜びの笑みへと変わるおばあちゃん。
そっか、薬師寺はそれでシャンプを読むようになったのか……。
「でもねえ、時期が悪かったのかなあ……。お父さんのお仕事がどんどん忙しくなってきて、お仕事しながらまーちゃんの面倒見るのが難しくなってねえ……、ばあちゃんの家の近くに引っ越しすることになったの。ばあちゃんが近くに住んでたらいつでもまーちゃんの様子見に行けるから」
「去年の夏頃にこの家引っ越して来てね、少し落ち着いてきたなって思ったら今度はお父さんの転勤が決まって、お父さんが遠くに働きに出る代わりにばあちゃんがここに住むことになって。ばあちゃんは元々一人暮らしだったからまーちゃんと一緒にいれて嬉しいけど、まーちゃんは大変だったと思うわあ……。学校替わって、また一から友達作ることになって、やっぱり寂しそうにしてた……」
父親の単身赴任は知っている。
この家に薬師寺とおばあちゃんの二人しかいないことも……。
かなり敏感な話題だから、直接自分の口から聞くことは
「まーちゃん言ってたわ……引っ越して来たばかりだから今は友達少ないけど、中学入ったら他の学校の子達もいるからそこでたくさん友達作って部活にも入るって……。色々不安だったと思うけど、まーちゃんなりに頑張ろうとしてたと思う」
「なのに……ん……なんでかなぁ……。張り切りすぎちゃったのかなぁ……」
「あの」
「ごめんねえ、いきなりこんな話して。でもね、知ってて欲しかったの。まーちゃんのこと」
知っていて欲しかった……。
薬師寺のことを伝えたくて、今の話を。
それは、、、
それは……。
「……どうして」
「それはねえ、春宮先生がまーちゃんのこと知ろうとしてくれてるから。さっき春宮先生はなにも出来てないって言ってたけど、それは違うよ」
「………」
「まーちゃんの顔を見て、お話してくれてる。毎日家まで来てくれてる。まーちゃんのこと理解しようとしてくれてる。なにかをしようとしてくれてるんじゃないの? そうじゃないなら、家まで来なくても電話だけでもいいはずよ?」
違う、全然違う。
ここに来てるのは橘先生に言われてるからで、自発的なものじゃない。
なにかをしようとしてくれてる………違う。
本当になにかをしようとするなら今すぐにでもイジメについて薬師寺を問い
なにがあったか、誰になにをされたか、話を聞いて学校側に問題提議すべきだ。
それをしないのは自分自身にやる気がなくて、なにもかもがどうでもよくなってるから。
中巻、相良、竹先生に化けの皮を剥がされて、母さんに止めをさされた。
今まで押し殺してきた気持ちを再確認させられて、嫌々教師やってるんだって改めて気付いちゃったから……だから、どうでもよくなった。
おばあちゃんは間違ってる。なにもわかってない。
俺が今ここにいるのはただの義務だ。
解釈違いで無理やり良い方向に捉えないで欲しい。
違いますって、はっきりと言おう。
来てるのはただの惰性ですって、ただのパフォーマンスですって、言ってやろう。
少し怒らせてみて、社交辞令抜きの本当の本心を聞いてやろう。
おばあちゃんを見つめる。
瞳に少し意思を加えて、歪めながら口を開く。
「ねえ春宮先生、勘違いしてるみたいだから最後に言わせてね?」
「ばあちゃんが一番大切なのはまーちゃん。まーちゃんが健康で安全に育ってくれたらそれが一番」
「学校で嫌なことがあって休んでるのは知ってるよ。でもね、それ以外のことはなにも知らない。まーちゃんは話してくれないし、お父さんに連絡しようとしてもまーちゃんが必死に止めるから。心配させたくない、言わないでって」
「ばあちゃんがなにも言わずに黙ってるのは、春宮先生が解決してくれるって信じて待ってるだけ……。でもね、春宮先生じゃダメだなって思ったらいくらまーちゃんが止めてもばあちゃんは学校に行くよ? 他の先生方にどうなってるんですかって怒りながら聞くよ?」
「春宮先生、ばあちゃんは別に優しくはないよ?」
――――(♠️)――――
中央校舎から西校舎へと続く渡り廊下を、夕陽が照らす。
各所からは部活動に勤しむ生徒達の声が聞こえて、ここは学校なんだなと呆けた気持ちに鈍く響く。
薬師寺宅への訪問が終わり、ボーッとひたすらに歩き続けていたらあっという間に学校へ辿り着いた。
まっすぐ職員室へ戻る気にもなれず、なんとなくで教室へと向かってみる。
もう少しでいいから、ボーッとしていたい。
渡り廊下を抜けて、階段を上りながらその反射音をBGM代わりにさっきまでの出来事を思い返す。
薬師寺との軽い雑談。
帰り際のおばあちゃんとの会話。
薬師寺との雑談は思いの
基本的に反応の薄い薬師寺が、明確に興味を示すのが漫画の話なんだと改めて認識出来た。
おばあちゃんは……。
おばあちゃんは、結局わからなかった。
薬師寺のことを知ろうとしてくれてると言って、俺のことを信じてるとも言ってた……。
今の有り様を見て、どうしてそんなことが言えるのかわからない。
俺じゃダメだと思ったら学校に説明を求めるとも言ってた……。
わかってる、ずっとこのままってわけにはいかないこと。
わかってるけど……行動に移せないんだよ。
身体が動かない。心が動かない。
適当にパフォーマンスだけ見せてやってる素振りを演じていれば、そのうちリミットが来て他の教員が尻拭いをしてくれるんじゃないかって期待してる自分がいる。
自分はなにもしないで、他の誰かに……。
それじゃダメだって竹先生に怒られたばかりなのに、この期に及んで。
「んっと……っ、くさい」
教室の扉に、頭を預けて体重を掛ける。
気が付けばそこは1年3組の教室で……。
中には誰もいない。
当然か、もう最終下校時間を回ってるわけだから。
やり残した作業のことを考えると20分も休めない……、10分か15分そこら。
少しの間だけでいいから、休憩しよう。
扉を開いて教室に入ると辺り一面は机と椅子で埋め尽くされて、その背景を彩るように深く緑の黒板が納まる。
教卓の前でゆっくり目を閉じて黒板に手を添えると、これまでの授業風景がフラッシュバックして……。
チラチラと目は会うものの、その度に顔を背けて気まずそうな表情をする相良。
愛想よくあいさつはしてくれるものの、以前より話す機械が少なくなった中巻。
睨み付けるような視線、嘲け笑うような眼差し、時折俺に対する明確な悪意が聞こえて……振り返れば村上と南原がいる。
嫌だったなぁ……。
今日も、嫌な一日だった。
生徒からは舐められるし問題も山積みで……全部が嫌だ。
いつになったら終わってくれるんだろう……。
目を開いて、もう一度教室を眺める。
机、椅子、黒板、教卓。
何一つ面白みのない、代わり映えのしない風景。
何回も。
何回も何回も。
あぁ……何回………後何回この風景を見続ければいい?
後何回で終わってくれる?
今抱えてる問題が解決したとして、それでもこの風景を見続けることに違いはない。
上手くいこうと失敗が続こうと、ずっと見続けなくちゃいけない。
1年が過ぎて、2年が過ぎて……およそ退職するまでの40年間、ずっとか……?
やりたくもないこの仕事で。
ただの想像が刃となって深く突き刺さる。
自覚を持った頃にはもう手遅れで……ドッと心に押し寄せる。
不意に絞り出すかのように本心からの言葉が無人の教室に響いて――。
「やめよう」
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