「飲み会への参加は必須です」
疲れた……。
実に、疲れた。
椅子に座りながら目一杯グ――ッと伸びをして、可能な限り伸び切った後はデスクに
そんな今は時刻18時30分、本日の労働終了。
今日一日も中々ハードで辛かった。
適度な疲労感に浸りつつ、だらだらと帰り支度を始める。
同時にこの後の予定なんかもぼんやり考えてみて……。
そうだな、ご飯を作るのは面倒だから適当にどこかで買って帰ろう。
明日は土日で休みだし、お酒を交えて軽く晩酌するのも悪くない。
持ち帰る書類と残す書類をしっかり分けて、必要なもの一式を鞄の中に放り込む。
ついでにデスク周りも整頓して帰り支度はこれでおしまい。
ここまで完璧に整えれば、誰からも阻まれることなく気持ち良く帰途に着けるというもの。
「こらこらこら~。春宮先生、なに帰ろうとしてるんですか~?」
職員室を出ようとデスクから離れた直後、愛沢先生から声を掛けられる。
万全を期して退勤する予定が、どこか肩透かしを食らった気分で……なんの用事だろう?
「今日の仕事は大方終わりましたけど、何かありましたっけ?」
「ありましたっけじゃありませんよ。この後は飲み会じゃないですかっ!」
「飲み会……?」
えっ、飲み会だなんて完全に初耳だ。
普段誘われることがないから忘れるということもないと思うけど……。
「えっと、言いましたよね……?」
「いえ、聞いてないです」
「あれっ…?」
「はい?」
微妙に、噛み合わない。
この流れは……察したけどさ。
「あー……まぁ、今聞いたってことでいいじゃないですかっ! 一緒にお酒飲みに行きましょう!」
伝えたつもりになっていて、実のところ何も伝えていなかったというよくあるパターン。
別にいいけどさ……これだけでわかってしまう、自分の立ち位置が。
「僕は大丈夫です。お酒弱いですし」
「えっ、行かないんですか!? ダメですよっ、困りますそんなの!」
ありえないといった表情で焦り気味に詰め寄って来る愛沢先生。
走った勢いもあるんだろうけど、こう……ふわりと家庭的な良い香りが。
「ぼ、僕も困ります。とにかく今日は帰りますんで」
「ダメですって、逃がしませんから!」
振り切って職員室を出ようとするも、愛沢先生の両腕にがっちりと捕まれる。
「ちょっ、ちょっと」
「だ、だいたい、春宮先生が来なかったら私の面子はどうなるんですか!? こ、こんな……伝え忘れて、私のせいみたいになるじゃないですかっ」
それはあんたのせいでしょ……。
だいたい、飲み会はあまり好きじゃない。
お酒が苦手と言ったのは嘘だけど、気を使う相手とのお酒は苦手だ。
どうせ大勢の教員達が参加して、ああだこうだダメ出しされるに違いない。
学校内でダメ出しされる分には仕方ないけど、仕事が終わって学校の外に来てまでとやかく言われるのだけは勘弁願いたい。
「飲み会とか、すごい苦手なんですよ……。今回は勘弁して下さい」
「勘弁出来ません。だいたい何が不満なんですかっ!? 私達新卒や今年から赴任された先生方を歓迎するための飲み会なんですよ? どの先生方も時間がないなか気を使って声を掛けてくれてるのに参加しないなんて失礼じゃないですかっ!」
嫌な圧の掛け方してくるなぁ……。
そういう言われ方をすると、反抗心が湧くんだけど。
「そもそも参加自体は任意ですよね? 強制じゃないなら僕は参加しません、お断りします……。行きますね」
「こらっ、待ちなさい! だ、だったら強制です! 強制にしますっ!」
両腕を振りほどいて強引に突っ切ろうとしたら、今度は抱きつかれる形でホールドされる。
ちょっ……。
えっ、ちょおおおおおっ!?
おっ……おっぱ……おっぱい、当たってますけどっ!?
「の、飲み会の強制参加とかパワハラじゃないですか……や、やめやめて下さい」
「やめません。パワハラで構わないので参加して下さいっ!」
ちょっと……いや、ホントに…。
なぜだろう、体が密着してるというだけでこうも不利に感じるのは。
「どうやったら諦めてもらえますか? わりと迷惑なんですけど」
「逆にどうやったら参加してもらえますか? こっちこそ迷惑です」
「どうしたらって……。人が多い時点でちょっと」
「なら、人が少なかったら来てもらえますか?」
「……少ないって、例えば何人ですか?」
「二人とか」
ぁ。
二人とかって……。
え、それサシ飲みというやつじゃないですか?
「それは……飲み会じゃなくないですか?」
「飲み会の後の話です。もし飲み会に参加してくれるなら、終わった後で……特別に、サシで飲んであげてもいいですけど」
『サシ飲み』
密着しているため愛沢先生との距離は近い。
そんな近い距離で、少し顔を赤らめて視線を外しながら思わぬ提案をされてしまう。
飲んであげてもいいって……。
そりゃ愛沢先生からすれば飲みの席に連れて来るよう周りの教員からお願いでもされて、それを忘れていたから自分の失態を防ぐべくここまでの提案をして来るんだろうけど。
いきなりは困るな……。
飲み会に参加させたい愛沢先生とそれを拒否したい俺。
凄い困るんだけど、この言い合いを続けても愛沢先生は折れてくれないだろうし不毛な時間が続くだけ。
それなら、ここは一つ大人になって妥協するという選択を選ぶのも社会人としては必要な振る舞いなのかもしれない。
サシ飲みについて、さほど興味はないのだけど……まぁ、そこを飲み会に参加する褒美として捉えるなら妥協するポイントとして見れなくもないか。
しょうがない、よな……?
同期の愛沢先生とは一度腰を据えて互いの教育論なり教育の現場についてじっくりと話をしてみたいと思っていたし、サシ飲みという形でその機械を得られるならむしろ好都合まである。
少しコジャレたバーなんかでお酒を飲んで、色々な話をしては見識を深め会って……。
その後は、、、
その後は、いったいどうなってしまうのだろう?
「なんですか、この長い間は」
「いっ!?」
おっ……つい、浸ってしまっていた。
「もしかして、変なこと考えてました?」
「い、いや……いやいやいやっ。ん、んなわけないでしょう」
「うわぁ……この人えっちな人だ…」
「は、はぁっ? だから違いますってっ」
「勘違いしないで下さい。このままだったら春宮先生が来てくれそうにないので仕方なくご褒美として提案しただけです。飲んだ後、えっ……えっ……そそういう流れには絶対なりませんからっ!」
熱の籠った大きな声が職員室中に響き渡る。
遅い時間ということもあり人の数は少ないと言え、静かな職員室のなか今の大声は流石にまずかったのだろう……。
数名の教員達から奇異な視線を向けられ、やがてそのうちの一名が俺と愛沢先生の元へやって来る。
「お二人共マイナス一点です。職員室の中ですよ、声が大き過ぎます。教員として慎みを持ちなさい」
愛沢先生の声が原因で、学年主任の橘先生を呼び寄せてしまった。
俺と愛沢先生にとって直近の上司に当たる先輩教員で、指導係りということもあり中々に恐い先生。
「あっ、橘先生っ! 聞いて下さい、この人飲み会に来ないとか言い出して……しかもえっちな人なんですっ!」
「いやいやいや、違います。飲み会には行かないって丁重に断っていたら愛沢先生がわけのわからない提案をしてきて」
「黙りなさい。まず愛沢先生、いつまで春宮先生に抱きついてるつもりですか? 女性教員が公衆の面前ではしたないですよ」
「はい……? ひゃあああっ!?」
抱きついてるという意識はなかったらしく、橘先生に指摘され悲鳴を上げながら後ろへ下がって行く愛沢先生。
自業自得だ。
「次に春宮先生、あなたもあなたで渋り過ぎです。今日行われるのはただの飲み会ではなく、今年この学校に赴任された教員達の歓迎会です。例え乗り気でなくとも顔ぐらいは出して下さい」
「……でも」
「無理してお酒を飲む必要はありません。顔を出して他の教員達に挨拶するだけで十分です。立場上、私も参加はしますけどすぐに抜ける予定ですから」
出来れば参加しませんかというノリではなく、義務だから参加しろという圧。
これは、断れない流れだ。
「挨拶をしたら、帰ってもいいんですか……?」
「結構です。少しの時間で構わないので参加してもらえればそれで十分です。……来ていただけますね?」
愛沢先生と違って橘先生相手にいいえとは答えられない。
こういう、形だけでもとりあえず参加しろって風潮はあまり好きじゃないけど。
「……はい、参加します」
「よろしい……。さ、時間も時間ですし私達も会場へ向かいましょうか。先に着いてる教員達がすでに始めてるはずです」
「ですねっ、すぐに準備します!」
愛沢先生が嬉しそうに声を出して、自分の席へと鞄を取りに行く。
結局、こう落ち着くのか……。
橘先生が来た時点で嫌な予感はしていたけど、こんな詰められ方したらどうしようもない。
大丈夫、すぐに帰ればいいと自分を宥めつつ備え付けの掛け時計に目を向けて――。
そのとき、、
そのとき、隣を通り過ぎる愛沢先生がボソッと口ずさんで……。
「ほら、やっぱりあなたが悪いんじゃないですか……。普通、こういうのは参加するものなんですよ?」
「あと、サシ飲みの話はなしです。橘先生に説得されたわけですからさっきの話は全部なし。残念でしたね」
最後の、残念でしたねが無性に腹が立つ。
この人はこの人でホントなんなんだろう……。
言い始めたのはそっちで、参加したのだってほとんど強制みたいなもので。
それ以前に、前から思っていたけど愛沢先生はどこか気安い。
他の教員達と違って下に見られてるような、そんな気安さを感じる。
同僚だからか、ただの気のせいか、いずれにしろ不満はあって……。
ただ一言言い返してやりたいと、そう身体が動く。
「僕は、愛沢先生みたいな女性が苦手です」
「……はいっ!?」
これでいい。
偉そうにはしたくないけど、されたくもないから。
誰よりも早く、職員室を出た――。
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