第9話 タヤの依頼

「ピンスか、よく来たな」

 娼館に入ったピンスを笑顔で迎えてくれたのは、オールバックの白髪が印象的なバベンという老人だった。

 【葡萄の湯船】のオーナーである彼は娼婦たちからおじいちゃんと呼ばれて頼りにされる人物でもある。

「どうもバベンさん。今日はミーマさんからの仕事を受けて来ました」

 ピンスは一応彼に確認する。ミーマが言っていたのだからバベンには話が通っているはずだが、建物の中を勝手に歩き回るのは良くない。

「ああ、聞いてるぞ。夜警の後に来てもらって悪いな。ミーマたちの仕事は終いだからいつもの部屋だ。タヤは寝ているだろうがな」

 歯を見せて笑うバベン。事情があってミーマたちに面倒を見てもらっているタヤは娼婦だけでなくバベンにも可愛がられている。バベンとタヤが商店で買い物をしている姿などはどこから見ても祖父と孫娘だ。

「まあ、タヤは寝た方がいい時間ですね。じゃあ、行って来ますので」

 ピンスも一緒になって笑う。酒場ならまだ騒がしい時間だが、タヤぐらいの子どもを夜更かしさせるのは感心しない。

「おう」

 バベンのいる受付を後にしたピンスはミーマたちのいる部屋へ行く。何度も行った部屋なので迷うことはない。

 目的の部屋のドアをノックすると返事が聞こえ、扉が空いた。

「ピンスさん。来てくれたんですね」

 最初に出迎えてくれたのはラコだ。彼女に続いてミーマが姿を見せる。

「来てくださってありがとうございます。実はいつも使っている時計が故障してしまって」

「わかりました。見てみます」

 困り顔のミーマに部屋へ入れてもらう。部屋は魔力燃料を使った灯りを天井に備えているので非常に明るい。

 ミーマたちは【葡萄の湯船】に住み込みで働いていて、この部屋はミーマとラコの寝室だ。

 部屋は二人が住むには十分広い部屋で、ベッド以外にも服を入れるための収納スペースなどがあった。

 ラコのベッドやテーブルの周りには彼女が勉強していたのだろうか、紙とペンが置いてある。

 対してミーマのベッドにはタヤが寝ており、彼女が大切にしている人形や絵本が置いてあった。

 ピンスは何度か来ているが、ここは彼女たちのプライベートな空間なのであんまり物色するような真似をしてはいけない。

 そうわかっているのについ見てしまった。

「絵本はラコが読んであげているんですよ。私は字が読めませんから」

 ピンスの視線に気がついたらしいミーマが声をかけてくる。彼は慌てて謝罪した。

「ああ、ごめんなさい。物色するつもりはなかったんですけどね。色々見ちゃいました」

 ミーマはそれを聞いて静かに笑う。

「他の方だと恥ずかしいですが、ピンスさんは特別に許してあげます」

「あ、ありがとうございます」

「わ、私も見ていいですよ」

 なんだか仲間外れにされた気分になって会話に参加しようと試みるラコ。

 ピンスは彼女にミーマとは違う謝罪をした。

「ごめん。言われる前に見ちゃった」

 そんな会話をしながら目的の時計を確認する。

 ミーマが修理を依頼してきたのは人形が出てくる柱時計で、落としてしまった際に故障して動かなくなってしまったらしい。

 ピンスは鞄から工具を取り出して中を覗いてみる。仕事に集中する彼の手元からはしばしの間、金属が擦れる音やぶつかる音が響いた。

「んん、ピンス?」

 静かな作業を心掛けたつもりだったがタヤを起こしてしまったようだ。ピンスは手元はそのままにベッドの方を向く。

「あ〜、ごめんよ。起こしちゃったね」

 睡眠の邪魔をしたことを詫びるピンスにタヤからも謝罪が返ってくる。

「んーん。ピンス、私の方もごめんなさい」

「どうしてさ?」

 寝起きとはいえ、タヤにはいつもの元気がない。それになぜ彼女が謝るのかピンスにはわからなかった。

 すると、彼女の口から弱々しい声が聞こえてくる。

「あのね。その時計、私が掃除したときに落としちゃったの。だから、ごめんなさい」

 作業の手を止めて、ピンスは身体ごとタヤの方を向く。

「そのことを気にしてたんだね。うんうん、ちゃんと謝れて偉いよ」

 手袋を外してタヤのいるベッドまで行き、彼女の両頬に触れる。寝起きの子ども特有の温かい素肌を感じながら、ピンスは微笑む。

「僕がちゃんと直すからさ。そんなに心配しないでよ。いつもの笑顔を見せて」

「うん」

 タヤはまだ申し訳なさそうな気分を残しつつも表情を少し和らげてくれた。

 手袋をはめたピンスは再び作業に戻る。タヤのためにもなんとしても修理しなければならない。そんな使命感がピンスの集中力を研ぎ澄まさせた。

「ここをこうして、こっちを外して……」

 しばらく時計の内部をいじり続ける。ミーマもラコもタヤも皆でピンスの作業を見守った。

 どれくらいそうしていただろうか。手を止めたピンスが時計の蓋を閉めて、螺子を巻くと時計が再び動き出した。懐中時計を取り出して時間を合わせると、ピンスは時計を元の位置に戻す。

 ピンスはミーマたちの方を向いて現状を説明した。

「これでとりあえずは動くはずです。ただ、幾つかの部品を交換しないと人形が出てくる仕掛けは動きません。その部品は僕の方で用意しますが、少しお時間をいただくことになります」

 ミーマとラコはピンスの説明を受けてそれを了承した。

 ピンスは肝心の少女にも顔を向けて話す。

「タヤ。完全に直るまでもう少し待ってね。僕の方で部品を用意しておくから」

「ありがとうピンス」

 技師の少年に感謝するタヤの笑顔はこれまででも有数の輝きを放っていた。余程気にかけていたのだろう。

「よかったねタヤ」

 ラコもタヤと共に喜んだ。

「ありがとうございます。助かりました。それでお礼はいつもの方法でよろしいでしょうか?」

 ミーマも喜んだが、少し現実的な話に戻る。ピンスもそれについては忘れていない。

「ええ、それでお願いします。今日は応急処置だけなので、報酬は修理が完全に終わってからということで」

 本日最後の仕事を終えたピンスを睡魔が襲う。

 欠伸するピンスを見てタヤが提案した。

「ピンスも一緒に寝ようよ」

 少女の提案に真っ先に賛同したのは赤髪の女性だった。

「そうですね。ピンスさんも疲れているみたいだし、私のベッドを使ってください」

 ラコは彼の手を取ると自分のベッドに上がるよう促す。

「流石に悪いよ」

 眠い目を擦りながらもピンスは帰ろうとものの、ラコは彼の手を掴んで離さない。

「タヤとラコもピンスさんが来てくれて嬉しいんですよ。ピンスさんさえ良ければ泊まってくださいませんか?」

 眠気に勝てないうえにミーマまでそう言うので、ピンスはようやく泊めてもらうことに決めた。

「じゃあ、体を洗ってきます」

 いくら眠いとはいえ、夜警までしてこのままベッドに入るわけにはいかない。

 眠気で頭が働かないピンスはラコの案内で浴室に足を運んだ。

 ピンスが身体を洗っている間、寝室に戻ったラコは落ち着かない様子だった。

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