第104話 たとえ知っても過去は変わらない

 君色に染まりたい。なんつって。二月一日、巻き戻りの直後。俺はドラッグストアにピンクシャンプーを買いにいった。つまるところ、桜子ちゃんの色に染まりたかった。どろりとしたピンク色で髪を洗うと、見事に桜色になる。いい感じになって満足だ。にこにこしながら風呂から上がる。


「薫。何? その髪」


 姉貴が俺の頭を見て、目を丸くした。ちなみに俺が今日いるのは、姉貴のマンション。この時期は、桜子ちゃんとの同棲生活と姉貴の引っ越しのために、部屋をいろいろといじっている頃だった。


「いいでしょー、桜色。桜子ちゃんの色なんだ」

「いや、また先生に怒られない……? 明らかに染めてるってバレるじゃん。え、どうした?」

「ん、なんとなく。怒られても別にいーよ。校則違反じゃないし、気にしない」

「そ、そう?」


 俺は自分の部屋に戻って、スマホのトークアプリを開く。「あきちゃん」のアカウントをタップして、電話をかけた。


『も、もしもし? どうしたの、花くん』

「もしもし、青先輩。突然電話すみません。告白の返事、一月中にって言ってたのに過ぎちゃいました。……今、いいですか」

『え、ええ。もちろん』

「俺は――」


 電話の相手は青柳 明穂。俺が殺したい人間のひとりだ。本当は、すぐにでも殺したい。だけど計画性なしに殺って捕まったら、桜子ちゃんを守れない。だから今は我慢しておく。呪いが終わるまでの間に、プライドをズタズタにして心を壊すのもいいだろう。こいつも底まで堕ちればいい。仲良くなったあとで殺そう。一緒に汚れてしまおう。


「青先輩のことは、別に好きじゃありません。恋人にするつもりはありません。でも、セフレなら良いっすよ。どうしますか?」

『……は?』

「好きじゃなくてもいいなら、しますよ。明日の放課後にでも。どうしますか?」

『ま、待って。……せふれ? この私が?』

「嫌ならそれで構いません。もう連絡してこないでください。では、さようなら」

『嫌、待ってよ花くん! いい、いいわ。恋人になれなくたっていい。貴方のそばにいられるなら、なんでもいい』

「わかりました。では放課後、そちらのクラスに迎えにいきますね。また明日」


 電話を切って、ため息をつく。次いで本当の恋人に、電話をかけた。俺が彼女の声を聞くのは久しぶりだけれど、履歴を見るに彼女にとっては一日ぶり。俺らの時は重ならない。


「もしもし、桜子ちゃん?」

『あ。もしもし、薫くん? どうしたの?』

「んー、なんか。声聞きたくて。……元気?」


 こんなに明るい声を聞けたのは、何ヶ月ぶりのことだろう。目頭が熱くなる。電話の向こうの彼女は笑っている気がした。顔が見たくてたまらなかった。


『うん、元気だよっ! 薫くんは? あんまり元気なさそうだね?』

「いや、元気だよ。……明日の夜さ、会えるかな。そっちのアパート、泊まっていい?」

『あら、突然だね。でもいいよ! 楽しみに待ってる』

「ありがとう。じゃ、切るね。おやすみ」

『おやすみなさい、薫くん。また明日!』

「ああ、また明日」


 平然と、できただろうか。彼女を失ったときの悲しみが、滲んでしまってはいなかっただろうか。深呼吸して、涙を瞳の奥に追いやる。


 明日、俺は青柳 明穂を抱く、予定。思うことはいろいろある。赤黒い泥が胸の奥で煮えている。彼女と会うのも久しぶりだ。休学中はほとんど考えることさえなかった。


 男どもに、二回目の桜子ちゃんへの性的暴行をさせた女。彼女の自殺を助長した女。その他の恨みも多くあるのだから、殺していいはずだ。殺すべきだ。殺さないといけない。


 桜子ちゃんを死なせた人間は、みんな死ねばいい。


「……愛してるから、できるはず」


 口に出して呟いて、己に言い聞かせた。



 ✿ ✿ ✿



「あーお先輩っ! こんにちはー」

「こんにちは、花くん……あら? どうしたの? その髪」

「染めました。どうです? 似合いますか?」

「ええ、よく似合ってる」

「ありがとうございます。じゃ、行きましょう」


 青先輩に、俺は手を差し出した。彼女はきょとんとしたあと、恥ずかしそうに手を握る。ああ、驚くほどに可愛くない。ふたり一緒に廊下を歩き、三階にある講義室のひとつへと入った。


「……ここで、するの?」

「嫌ですか? ホテル行くならそれでもいいっすけど、俺、そのために使う金は持ってません。移動するのも面倒ですし」

「……それも、そうね。いいわ、ここで」


 ごく少数だけど、校内で性交に及ぶやつはいる。別に悪いことじゃない。校則違反かはグレーだけれど、先生方が黙認しているのだ。だから別に、いい。


 鍵をかけ、窓のカーテンを閉め、ドアのブラインドも閉める。こうすると真っ暗だ。四エリアに分かれている明かりのうち、教壇のところをパチリと点けた。


「……先輩」

「花くん……」


 ただ、知るだけだ。死んでいった桜子ちゃんには経験があるのに、繰り返した俺にはないから。彼女と痛みを共有したいから、俺もするだけ。頬を包み、唇を重ねた。好きじゃない人とするキスって、感触は似てても幸せになれないんだ。って。知った。


 一応、そういうコンテンツを見たり読んだりしたことはある。題材によっては昔の誘拐未遂事件だとかのことがフラッシュバックするので、サイトを漁るときに怯えてはいたけれど。


 オールジャンルに耐性がある陽一のアドバイスには、かなり助けられた。どんだけ見てんだよ、と思うこともしばしばだったけど、俺も多少は見てるので文句は言えない。やつは恋人がいないので、動画や画像が頼りになっても仕方ない。なんか……自分はシておきながら、あいつのこと考えてるなんて、バカみたいだ。虚しいし申し訳ないし、変な憐れみみたいのが芽生えてくる。


 声、体温、感触。何もかもが不快だ。不快だ。ただ、行為をするのに不足はない。その程度には、俺も男だったというわけだ。別に、悲しいとは思わない。くすぐられたら笑ってしまうのと同じだ。嫌だろうと嬉しかろうと笑い声は勝手に上がる。それと同じようなこと。


 別に、浮気じゃないし、浮気でも構わない。過去の桜子ちゃんだって、他の男とシたんだから。……言い訳がましい。まるで復讐の対象が桜子ちゃんみたいじゃないか。違う、違う。彼女を恨んじゃいけないんだ。彼女はなんにも悪くない。勝手に男が襲ってきただけで、彼女に何も非はない。


 彼女のことを思い出す。真っ先に浮かんだのは笑う顔。青柳の顔なんて、正直あまり見えちゃいない。サイトの女との違いもわからない。


 浮かぶ桜子ちゃんが、無邪気に俺の手を取った。頬にすり寄せ、嬉しそうに笑う。『薫くん』と、呼んだ。穿った。


 別にこれは浮気じゃないし、悪いことじゃない。ただ俺は目の前にいるひとをひどく嫌っていて、憎んでいて、殺したいとまで思っている。それだけだった。今日は経験できればなんでもよくて、難しいことは考えていない。別に、なにも考えてない。驚くほどに無感動だ。


 動画に撮られた桜子ちゃんを思い出す。襲われる彼女の口に突っ込まれていたのは脱がされた下着で、それは俺が初デートのときに買ってあげた白色だった。噛み締めすぎて、口のどこかを噛んだのか。いつしか白に赤がついていた。


 桜子ちゃんの死体は、いま目の前で生きている人型よりもなめらかで美しかった。穴があいても血が噴き出ても、流動性ある白にまみれても。彼女は死んでもなお綺麗だった。ただ、苦しみの果てに死んだ。俺がいっぱい悲しませて、すれ違って、仲直りできたと思ったら死んでしまった。掴む手に力が入る。


 バレンタインデーの夜に家を出た桜子ちゃんが着ていたのは、ピンク色のカーディガンだった。パジャマの上に羽織っていった。防犯カメラにぼんやりと映る彼女はレジでお会計をしているところで、きっと嬉しそうにしていた。その後の悲劇を知る由もなく、ただ恋人のことを想っていた。ふらつく足で外に出て、震える小さな手でケーキを入れたレジ袋を持っていた。


 見てもいないはずの光景が頭に浮かぶ。おっさんと嫌々とする彼女。殴られ刺されながらヤられる彼女。吐きそうになる。こらえ、唇を奪った。


 俺のせいで桜子ちゃんは、死んでしまった。彼女は何人もに奪われた。やるせない。悔しい。詰りたい。奪いたい。閉じ込めたい。殺したい。言わせたい。触らせたい。したい。触りたい。泣かせたい。笑わせたい。みんな死んでしまえばいい。……もうなんだっていいから、生きててくれよ。頼むから。桜子ちゃんが生きていれば、それでいいから。過去なんてもういいから。


 お相手が疲れてしまったようなので、俺は行為を終わらせた。後処理は綺麗にしていかないと、さすがにまずい。こちらも不快だし、察した他人も不快にさせる。後始末って大事だ。痕跡を消すのは肝心だ。


「ねぇ、花くん?」

「なんですか、青先輩」

「よかった?」

「何がです?」

「わたし」

「……都合が合えば、またお願いします」


 殺すためのモチベーション維持に役立つな、と思った。している間、ずっと桜子ちゃんの過去がめぐる。後悔と嫉妬と殺意と憎悪に犯される。思っていたよりも良いものだった。悪役に堕ちていく感じが、良かった。


「青先輩」

「なぁに、花くん」


 予定だけど、俺はこれから他の女の子も抱くつもり。まずは、桜子ちゃんをいじめ、自殺に追い込んだ女から。知ったうえで、そのうち殺す。みんなみんな殺してやる。ただ俺はレイピストには決してなりたくないので、同意を得なければやらないつもり。桜子ちゃんを襲ったやつらと同類にまで墜ちるのは、生理的に受け付けない。


「俺は、遊び人になりました。先輩以外の女の子とも、そういうことします。……それでも、まだ好きですか?」

「好きよ」


 即答だった。青先輩は、あまりにも真っ直ぐに俺を見つめていた。必要のない罪悪感を覚えて、胸のあたりが痛くなる。


「花くんが、他の女としてても、好きよ」

「……そっ、すか。へえ。先輩も、なかなかですね。慣れてるんですか?」

「失礼ね。花くんが、初めて。……してて、わからなかった?」

「いや、今のは、からかっただけですよ。さすがにわかりますって。あはははっ」


 慣れているフリって、馬鹿馬鹿しい。なんでこんなことしたんだろう。愚かしい。愚かしい。


 俺がシたって、何になるんだ。死んだ桜子ちゃんが帰ってくるわけでもないのに。ああ、ああ。本当に。……バカだなぁ。

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