第80話 三度目のあの夏の日
俺は、今回は図書委員にはならなかった。彼女と一緒にいたら、うっかりラブラブしてしまうかもしれない。だから、やめた。
委員会はやらないで、化学と数学の係をやっている。授業の始めと終わりの号令や、テスト前の提出物の回収、黒板を消すことくらいしか仕事がない。楽な役回りだ。もうひとりのやつも男子だから、揉め事も起こらないと思う。
桜子ちゃんとは、メッセージのやりとりは頻繁にしている。「おはよう」と「おやすみ」は毎日必ず送り合っているし、電話もよくする。
会うのは、だいたい土曜日と日曜日。俺の家のほうが多いけど、彼女の家に行くこともある。泊まることもしばしばで、けっこう仲良くやっていた。
この前の席替えで、俺は窓際の席をゲットした。最初に掴もうとしたくじではなく別のにしたら、前とは違う結果となった。俺の意志で未来は変わる。なんて、陳腐な言葉が頭に浮かんだ。
外で女子生徒が体育をしている。どうやら体力テストをやるようで、今は準備運動のランニング。俺は窓の向こうに視線をやって、桜子ちゃんを探していた。うっかり鉢合わせることがないように、互いの時間割は把握している。
体育のとき桜子ちゃんは、髪をひとつに結うのがルーティーンらしい。でもポニーテールほど高くない、低めの一本結びだ。
彼女が髪をポニーテールにしているのを、俺はあまり見た覚えがない。記憶にあるのは、一回目の七月十一日の彼女と、今回の四月七日の彼女がしていたな。ということだけ。
桜子ちゃんが走ってる。彼女はけっこう足が速い。ジャージが萌え袖っぽくなってて可愛くて、大きめのハーフパンツから覗くふくらはぎを、なんだか撫でたくなる。まあ、ここからじゃ絶対届かないけど。
黒板に視線を戻し、ダラダラとノートに板書を写す。現代文の授業は好きじゃない。でも桜子ちゃんなら好きそうだと思う。本が好きな、俺の恋人。
会いたいな、と思った。窓の外に視線をやると、彼女はグラウンドの上で三角座りをしている。50メートル走の測定の順番待ちをしているらしい。彼女がおもむろに校舎のほうを見て、俺は彼女と目が合ったように錯覚する。……余計に、会いたくなってしまった。
七月の八日、土曜日。彼女がいつもよりも多めの荷物を持って、家にやってきた。
「お邪魔しまーす……」
「あら、いらっしゃい桜子ちゃん。どうぞ上がって〜」
「こんにちは、薫くんのお母さん。いつもお世話になってばかりで、すみません」
「やっほ、桜子ちゃん。荷物、俺が部屋に持ってくよ。貸して」
「うん、ありがとう。薫くん」
彼女から鞄を預かって、二階へと上がる。彼女もひょこひょこと付いてくる。母さんはだいぶ桜子ちゃんを気に入ってくれたようで、彼女が泊まりにきても嫌そうな顔はしない。嫁と姑……なんて言うにはまだ早いけど、ふたりの仲が良好なら俺も嬉しい。
彼女が高校に入学してから三ヶ月。今回は前回と比べて、かなり良い感じに進んでいた。
まず、彼女がクラスでいじめられていない。友だちはいないようだが、悪いことはされていない。陽一にも、彼女に関する変な噂が出たら教えてくれと頼んでいたが、いまのところ何もない。
気になったこと言えば、クラスの男子に告白されたという話くらい。聞いたときはびっくりしたけど、『「今は恋愛に興味がありません」って断ったよ!』との言葉で、少しは安心した。『ちゃんと断れて偉いねぇ』と頭を撫でたら、嬉しそうににこにこしていた。
また、バイト先は前と違って、学校近くの喫茶店にしてもらった。俺が見るかぎり、そこなら変なハラスメントはなさそうだったから。ゆったりとした落ち着いた雰囲気の店で、桜子ちゃんに合っていると思う。
あとは、桜子ちゃんの母親がSNSで上げた画像――彼女の体が写ったもの――については、業者に依頼して消してもらった。すべてがネットの海から消え去ったわけではないけれど、何もしないよりはマシだと思う。払った金に見合うだけの価値はあるはずだ。
今日から三日後の七月十一日は、前回の彼女が、母親に灰皿を投げつけられた日である。その日から彼女の母は家に居座るようになり、彼女を虐待し、援助交際まで無理やりやらせた。
今回はそれを防ぐため、まずは十一日まで桜子ちゃんを俺の家に泊まらせることにした。そこから彼女の母親の動向を見て、今後の対応も決めていくつもりだ。
前回と同じようになりそうだったら、九月までは俺の家にいてもらう。あの母親をさらに桜子ちゃんから遠ざけられたら万々歳。方法は考えてはいる。
「薫くん」
「ん、どした?」
「ぎゅうってして」
両手を広げて、彼女が上目遣いで俺を見てくる。もう何百回と思っていることだが、彼女は可愛い。俺は荷物を床におろすと、華奢でやわな体に、そっと触れた。壊さないように気をつけて、抱きしめる力を強めていく。
「はい、した」
「……大好き」
「俺も、大好きだよ」
彼女が大きく息を吸う。たぶん匂いを嗅がれてる。ちょっと恥ずかしいけど嫌ではない。彼女は甘えたで、スキンシップをけっこうしてくる。でも、まだキスはしたことがない。肌を重ねたことも、ない。
「んぅ……好き……」
愛情表現もなかなかストレートだ。俺は彼女の髪を撫でる。さらさらとした黒髪は、触っていて心地がいい。彼女が嬉しそうに、俺に顔をすり寄せる。しばらくいちゃいちゃしたあと、彼女の荷物をふたりでほどいた。
✿ ✿ ✿
七月十一日の朝。彼女のスマホの着信音が鳴る。画面に表示された文字は「お母さん」。彼女が「あれ?」と首を傾げながら、スマホ画面をスッとスライドする。ちなみに俺は、彼女の隣で起きたばかりだった。
「もしも、し?」
『――――――! ――――――!!』
彼女の控えめな声に、何と言っているかわからない、女の大きな怒鳴り声が返ってきた。彼女がびっくりしたような顔をして、慌ててスマホを耳から離し、音量を下げる。女の声が俺にまでは聞こえなくなり、桜子ちゃんの声だけが耳に入る。キレイで大好きな声だった。
「え、なに? どうしたの? ――うん、そうなのね。いや、あぁ……ちょっと。うん、友だちの家。やだな、友だちくらいいるってば。――うん、うん。そっか、わかった。あとで帰るね。うん。……親不孝な娘で、ごめんね。本当に、ごめんなさい。はい、じゃあ。また」
彼女が通話を終えて、スマホを枕元に置いた。ふっ、とため息をつく。朝から疲れてしまった、という感じの顔をしていた。
「桜子ちゃん。電話、お母さんでしょ。なんだって?」
「なんか……お母さん、さっき家に帰ってきたみたい。私がいなかったから、それへの文句。あと、学校終わったら、一回帰ってこいって」
「それ、絶対帰らないといけないやつ?」
「うん。帰んないと、あとで面倒くさいと思う。部屋も荒れてそうだから、私が片付けないと。……ごめんね。今日は、こっち泊まれないかも」
「俺、一緒行っていい? あ、一緒にっていうか、あれ。入学式のときの逆バージョン」
桜子ちゃんが目を見開く。表情を強張らせて、なぜか怯えたような顔をする。ふるふると首を振って、拒絶した。何か変なことを言っただろうか。まだ寝ぼけているせいか、クリアな思考ができていない。
「い、いや。ごめん。……お断りします」
「なんで? 桜子ちゃん。俺、心配なんだけど。また怪我するかもじゃん」
「だから、駄目なの。薫くんまでお母さんに何かされたら、私――」
「うん、だから。桜子ちゃんが何かされないように、俺も行く」
「でも……っ」
「恋人なんだから、守らせてよ」
不安そうな彼女の頬に手を添えて、ゆっくりと撫でる。表情がやわらぐ。
あっちの家にいたら、また今回も目に怪我をしていたんだろうな、と思った。もしかしたら一回目も本当はものもらいではなく、母親に怪我をさせられて眼帯をつけていたのかもしれない。
「ほんとに、来てくれるの?」
「うん、行くよ」
彼女は小さな声で「ありがとう」と言って、わずかに口角を上げた。
階下から、「そろそろ朝ごはんよー!」と母さんの声が聞こえてくる。俺はもぞもぞとベッドから出て、彼女と一緒に階段をおりた。
ごはんを食べて支度を整えたら、彼女が先に家を出る。その十分後に俺が出る。駅までに通る道も、ふたりで少し違うものに変えていた。
メッセージのやりとりをして、放課後、彼女の家にそのまま向かうことにする。そのときも、彼女のあとに俺が行く。
授業はつつがなく終わり、俺はひとりで学校から出た。そういえば、この日のこの時間をひとりで歩くのは初めてだ。一回目も二回目も彼女と一緒に歩いた道だった。彼女と同じ車両に乗って、同じ駅で降りていく。
そうして俺らは、彼女のアパートのそばで合流した。
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