4.9パーセントの四月の桜

幽八花あかね

❀第一幕【彼が愛する女は誰か?】❀

第1話 「花泥棒」と「紫ノ姫」 −前−

 また女といちゃついてら、とさくらは心のなかで呟いた。


 校舎の渡り廊下の真ん中で立ち止まり、静かにそっと、窓辺へと近づく。透明な窓ガラスの向こう側、ここからは声の届かない中庭のベンチに、桜子の好きな人が座っていた。


 愛しい彼を見つけると観察してしまうのは、自分の悪い癖のひとつだと思う。そう理解していても、なかなかやめられない。彼のほうを見ながら、先ほど購買で買ったグミの小箱のビニールを剥がす。


 手のひらに出した一粒のグミをつまみ、口のなかに放り込んだ。窓から差す光に透けて、一瞬だけ紅く輝いたそれは、噛めば壊れる儚いものだ。


 砂糖でできた衣がシャリっと割れて、ほどよい弾力が遺憾いかんなく歯に伝えられた。


 甘酸っぱい恋、とはよく言うが、ならばこれが恋の味なのだろうか。舌の上のラズベリー味に、問いかけるように思考する。


 口のなかのグミが綺麗サッパリ消え去ったとき、恋ならもっと不味まずい気がするな、と桜子は結論づけた。この恋は、美味しいだけではいられない。


 よわい十五の青春の花盛り、高校の入学式の日に彼と出会った。いつしか心奪われて、恋する乙女らしく、彼に夢中になった。いつも桜子ばかりが、彼のことを目で追っている。


 彼が隣の女と手を繋ぐ。彼が隣の女の腰を抱く。こんな姿は見たくないはずなのに、いつも目が離せない。彼の隣に女がいるのは、いつものことだった。


 桜子の好きな人は、この学校の有名人――二年A組の〝花泥棒はなどろぼう〟だ。女遊びの達人とうたわれる、眉目秀麗な男である。


 すらっと背が高くて、まあまあ筋肉質な体つきをしているのが好き。甘く整った顔が、特徴的な桜色の髪の毛によって、神秘的に美しく彩られているのも好き。彼の寝癖を直して髪をかす、朝のひとときがとても好き。彼の容姿だけでも、好きなところは山ほどある。


 愛しい彼のサラサラヘアは、お日様に照らされてキラキラと輝いていた。花のような艶やかな髪には、ひとひらの桜の花びらを模したヘアピンが、我が物顔で留められている。


 桜色の髪に、桜の髪飾り。それを見ると、まるで彼を自分の色に染めて、自分のものにしてしまったのだと、錯覚しそうになる。けれど彼が自分だけのものでないことは、今まさに目の前で証明されていた。


 大好きな彼の隣に居座るのは、茶髪メッシュにピアスのだらしない女だ。ブラウスの上のボタンをいくつも開けていて、黒のブラ紐とカップをふちるレース生地が、こちらからでもよく見える。


 彼女に胸元を押し付けられたあいつはエヘエヘと笑っていて、まんざらでもなさそうだ。帰ったらぶん殴ってやろうかと思った。


 なーにが、『大好き』だ。先輩の嘘つき。本当に大好きなら、私だけを愛せば良い。他の女なんて抱かないで、私を抱いてくれれば良い。そう思っても、彼を直接誘う勇気はなく、ときどきいろけを試みることしかできていないが。


 彼女の耳元に光る金属の色が目について、その眩しさに目を細めた。存在しないことを確かめるように、指先が自分の耳たぶに自然に触れる。今日も今日とて桜子の耳たぶは、つるんとしっかり継ぎ目もなく塞がっていた。


 好きな人と結ばれたい。それは恋する者なら抱いて当然の欲求だと思う。例に漏れず彼と結ばれることを望んだ桜子は、彼に抱かれたという女の特徴を調べてみた。


 結果、該当する女はピアスをつけている人が多かった。だから桜子も真似をしようと思った。が、ピアスをあけようかという話を彼にしたら、ものすごい勢いで反対された。


『大事な桜子ちゃんに、傷がついちゃ駄目だ』らしい。


 好きな人が自分のことを大事にしてくれているというのは、嬉しいことだと思う。だからピアスをあけられないこと自体に不満はない。けれども問題は、そういうふうに「大事だから」という理由で、彼が桜子の耳たぶでない穴もあけてくれないことだ。


 あの女とは今日の放課後にでもまた肌を重ねるだろうに、桜子は彼と手を繋いで毎晩一緒に眠るだけ。どうして、と胸のなかで灰色の煙がもくもく上がっている。


 甘酸っぱいグミをみながら、好きな人が他の女といちゃついているのを眺める。見ても楽しくないことは理解しているのに、どうしても気になってしまうのだ。


 校舎のなかからでは、ふたりの会話は聞こえない。いったいどんな愛の言葉をつむぎ合っているのだろう。彼の舌は、桜子でない女に向ける「大好き」の言葉も、平然と乗せるのだろうか。


 外で風が吹いたようで、染めすぎて傷んでいるのだろう彼女の明るい茶色の髪が、そよそよと揺れた。彼の髪も、一緒に揺れる。


 花泥棒先輩の桜色の髪は、風に吹かれると、花吹雪を思い起こさせてとても綺麗――なんて見惚みとれていたら、なんとふたりがキスをした。驚いて頬の内側を噛んでしまう。口の中でほんのりと鉄の味がした。


 ふたりは晴れ渡った青空のもと、公衆の面前で濃厚接触をしている。れんだこと。しかも時間が長いので、あれはおとなのキスをしているのだ。うっとりと頬を染めて彼を見つめる女の顔面を、ぶん殴りたくなる。


 なんだお前、羨ましい。手に力が入って、思わずグミの箱を握り潰しかけてしまう。


 底蓋が中途半端に開いて中身がこぼれ落ちそうになったところで、箱の状態に気づいて慌てて力を緩めた。歪んだ箱を軽く整えて、深呼吸をする。胸にうずく黒い感情を収めなくてはいけない。


 別にどうってことない、ただ好きな人が他の女とキスをしているだけだ。そう。なんてことはない。


 青リンゴ味とレモン味のグミを同時に口に放り込んだとき、後ろから「おい」と話しかけられた。肩が跳ねると同時に、さっと思考が切り替えられる。


「……なんですか」


 口をもぐもぐとさせながら、後ろにいる人を振り返った。浅黒い肌の髪の短い男子生徒が、恐ろしい眼差しでこちらを睨みつけている。別に昼休みに廊下でグミを食べてはいけないという校則はなかったはずなのだが。


「人様の情事を、そうガン見するんじゃない」

「はあ……」


 なんだ、グミではなくそっちのほうか。


 そういうお前は誰だよと首を傾げて、グレープ味を噛みはじめる。なんだかどこかで見たことがある人な気はするのだがと、しばらく思い出す努力をしてみる。


 もぐもぐごっくんとグレープ味を飲み込んだとき、ようやくこの人が誰だったか思い出した。


 そうだ、あの彼女さんの元彼氏さん――つまりは、花泥棒先輩に自分の彼女をと噂されている人だ。


「うちのお兄ちゃんが、すみませんでした?」


 これで満足だろうかと、形だけの謝罪を口にした。


 しかし想定されていた答えではなかったのか、陸上部のなんとか先輩の眉間にいぶかしげなしわが寄る。


「お兄ちゃん……?」

「ああ、君あれ? 紫ノ姫むらさきのひめ?」


 なんとか先輩の後ろから、ひょっこりともうひとりが顔を出す。たしか彼も陸上部で、彼のお友だちと言ったところだろう。その言葉に、うんうんと頷いた。


「そうです、私が〝紫ノ姫〟――花泥棒の妹です」


 自分で〝姫〟なんて名乗るとなんだか変な気がしたが、まあ実際そう呼ばれているので仕方ない。


 桜子は、ここでは〝花泥棒の妹〟である。

 彼との一年契約の、ひとつめの条件。桜子が払う対価。


 それは、学校で彼の妹を演じることだった。

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