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「アンジュさん、おそいね」
「確かにな。もう三十分は経ってるけど」
「アンを待ってたの? ふうん……」
空は意外そうに瞬きする。それから左手をシノニムの隣に向けて、
「さっきからずっとそこに居るけど」
そう言った。
原理とシノニムはその場所を見る。
「うわっ!」「ふわっ!」同時に叫んでしまった。そこにはずっと座ったまま、黙々と食事を続ける杏樹の姿があったからだ。
「やっと気づいたのね。遅すぎるわ」
「いや、お前……隠形を使ってるだろ。そんなん俺らには意識できないんだけど?」
原理の反駁に「未熟ね」と一言で返されてしまう。呪術師の空は見抜けても、異能者の原理は見抜けるはずがないと思っていたのだけれど。
「どうかしら。例えば鏡隊長は気配だけでこの隠形を看破してみせたわ。忌方君も不可能ではないと思うけれど」
経験の差が出ている例でしかなかった。まさに未熟だと思うしかない。
「原理は異能と視力に頼りすぎているよね。あとは物理的な五感の範囲内か。霊的な感覚を覚えれば、もっと成長できると思うよ?」
空はそういうことを言うけれど、適性が無いから異能に頼っているだけなんだと解っているはずなんだけれど。
「努力はするよ。……というか食欲が一気に失せてきたんだけど」
それを私に言われても。
ボクにそれを言うの?
「同時に同じ反応をするのかよ」
色々とどうでもよくなりそうになってくる。そんな原理をシノニムが面白そうに眺めていた。
息を吐いた原理は、食事を終えていた。早食いということもないが、特段遅くもない。いつものようにマイペースにやっていても、周囲とは少しだけズレていた。
「今日はどうするの?」
杏樹の問いに原理はどう答えるか迷っていた。しかしその質問に意図を感じていた原理は何かあるのかと問い返していた。
「ん。夜越作戦室長に呼び出されているわ。シノのことで」
「……早くないか? 昨日の今日で」
そうねえ、と杏樹も不審がっている。彼が呼び出しをする理由など彼らには解っていた。
「早い方が良いっていう判断かなあ。覚醒者をいつまでもフリーにしておくわけにもいかないからね」
「配属先は基本的にそれぞれの希望を聞いて決められるの。大体のケースではね」
作戦室に向かう廊下の途中で、杏樹は説明している。
「その後に全体のバランスを考えて、司令室で調整するっていうのが大体の流れね」
「俺、希望とか訊かれなかったんだけど」
シノニムはどっちになるのかはよくわからない。どういう基準で決めているのかも知られていないのだから、原理やシノニムが思案したところで無駄なのだけれど。
「あのさー、部隊に入ったら、絶対に戦わなくちゃいけないのかな」
「いや。そういうことはないよ。部隊内にそれぞれの役割があるし、その中には戦闘に関わらない役職も普通にあるから。それに」
シノニムは今、何の能力を持っているかもわからない「アンノウン」だ。異能を持つことだけが解っている状態で、いきなり戦えと言い出すほど理不尽な奴は戦闘員の資格はない。
指揮官であれば尚更だ。
「シノの場合はまずは見習いから始まるだろうな。基礎の成立していない状態だから」
「わたしの場合って?」
「俺はいきなり副隊長だったから。意味わからんけど」
「私は第一班班長補佐からだったわ。それなりに戦闘スタイルは確立していたからかしらね」
シノニムは「はえー」と気の抜けそうな息を吐く。感心したようだった。
「ソラさんは? 物知りな人に見えたけど」
「空は普通に一般戦闘員からよ。呪術師は身体能力のアドバンテージがないから、昇進するには時間か才能のどちらかが必要になるわね」
それでも二十歳で隊長にまで上がってきたのには、杏樹も驚いたものだったが。
「あの子は時間でも才能でもなく、知識量で這い上がってきたからね。それこそ異色だわ」
うーん、とシノニムが難しい顔で考えている。
しかしすぐに切り上げたようだった。緩い口元がむにむにしている。
それを見ていると、なんとなく脳髄にざわりと震えが走る。原理にとっては不思議な感覚だった。言語化できない。
ん? と見上げてくる。
何でもないと視線を外した。
していたら杏樹が原理を見ている。
「……何?」
「いや、そういう嗜好性があるのね。意外だったわ」
「何のことだよ……」
杏樹の台詞の意味は本当に解らない。嗜好性って、どういうことだ?
「いい傾向。見ていて安心するわ」
感情を押し殺した声に、わずかに高揚が混じっているのを聞き逃さなかった。でも、それを追及するのは原理の性格的にすることはない。
みんな、みんな解らない。
その解らなさを抱え込むのは仕方のないことで、これからもそういう相手が存在し続ける。隣で緩い表情をしている少女だって、それは例外ではない。
「何だっていいさ、変わらないのなら」
変わらないのなら、だけど。
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