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……

「うーん……」

 少女は自身の身体に合ったサイズの空色のワンピースをむず痒そうにしながら着ていた。

 空がデザインしたのだろう、なんとなく似合っているように、原理には思えた。

 ベッドに座りながら、揃った全員をなんとなく見回している彼女は、どこか不安げに原理を見ている。

 怖がらせすぎたか、と思ったがそういう訳でもないらしい。

 原理たちも備え付けの椅子に座る。杏樹と尸遠は後ろの壁に凭れて、会話に参加する気が無さそうにしている。

 会話が基本的に苦手な杏樹はわかるけれど、尸遠の意図がどうにも読めなかった。

 まあいいかと原理は意識を目の前の少女に向ける。



「シノニム=ウィンガード」

 そう名乗った。シノニムは確か類義語という意味だったように記憶しているけれど、そんな名前を付けた親の考え方がよく判らない。

「シノって呼んでほしい。名前、そんなに好きじゃないの」

「わかった。シノ、所属はどこだったんだ?」

「しょぞく……?」不思議そうに首をかしげてしまった。言葉の意味が解らないのだろうかと訝る原理だったが、しかしそういうことではなく。「わからない。……思い出せないよ」

 思い出せない?

 隣で空も困っていた。

「ウィンガードって英語圏の苗字だから、その辺りの所属かもしれないけれど。解らないのを咎めても仕方ないよね」

 言っている空の後ろで、尸遠がその苗字に反応していたのを、隣に立っている杏樹は見逃さない。何かあるのだろうと践んでいた。

「事前に拾っていた軌道データを見れば、シノはユーラシア大陸上空を周回していたらしいから、その中だと近いのはブリテン島だね」

 そんな亜友の台詞に、シノニムは困惑する。その時の、つまり異形としての記憶が存在していないのは予測できていた。それでも、それ以前の記憶がほとんどまっさらというのは予想外だったけれど。

「参ったな、これじゃあ何もわからないのと同じだぞ」

「う、ごめんなさい……」

 別に責めてはいないけどね、と言いつつ。何か最低限の情報を引き出そうと考えた。

「そういえば年齢を訊いていなかったな」

「んー? 十四くらい?」

「適当に言わなかったか? やけに早い回答だったけど」

「でも、それくらいしかわからないから」

 この様子だと、なぜシノニムが日本語を話せているのかといったことも聞けそうにないな、と早めに切り上げようかと空に提案する。

 空もそれには頷いてくれた。

「んじゃあ、最後に訊かせて。シノちゃん、今の暦を言える?」

 え? とシノニムは不可解そうだった。原理にもその意図は判るけれど、それがどう出るかは、

「アルカ0863」

「……………?」

 今度は空が不可解に表情を変える。眠そうな眼が余計に細められ、顔をしかめているように見えた。

「……えっと、それっていつのこと?」

 少なくとも、鵬の記録には存在しない年の名前だった。数え方が国によって違うのはわかるけれど、世界が始まった頃の記録を探れば、各国の暦は読み取れる。

 空や原理が憶えている暦の数え方は数百パターンあったけれど、「アルカ」は聞いた覚えがない。

「憶えてない。ただ、そういう名前が、染みついてる」

 空の質問の意図は、シノニムがどれだけの期間、異形として存在していたのかを計るためのものだったけれど、あっさりと無に放り込まれてしまった。

 そっかー、と空は笑う。珍しく余裕のない笑みだった。


 聞き取りを終えて、杏樹と空、尸遠と亜友の順番で部屋を出ていく。原理も立ち上がって出ていこうとすると、右手を引っ張られる。

「……シノ? どうかしたか」

 何かあるとも思えない原理はそう問いかける。

「えっと、訊きたいことがあるんだけど。いいかな」

 うん、と座り直して、もう一度向かい合う。

「わたし、なんにも憶えてないけど、さ。いつか自分のことを思い出せるかな」

「さあな。それは人によるし、何とも言えないかな」

「そうだね……、もしもだけど、わたしが全部思い出してさ。その結果、ゲンリくんの敵になったら」

「………………」

「そのときは、わたしを殺すの?」

 その質問にどう答えるのか、迷った。原理には人を殺めた経験など無い。でも、本当にシノニムが原理たちと敵対することになったとき、そう仮定するなら。

「多分、そうするだろうな」

「……………そう、なんだ」

「でも、俺はそんなことをしたくないよ。誰が相手でもね」

 異形を退けるなら容赦はしないけれど、人間は殺したくない。それは、どんな相手であっても、後味が悪くなってしまうのは確実だから。

「いぎょうっていうのがよく解らないけど。わたし、敵にはなりたくないな」

「そうだな。俺もそう思う」



 病室を出て、自室に戻ろうと思っていた。その前に、シノニムがこの艦で生きていくための準備を整えるのが先決だと気づき、手続きをしようと艦の人員を管理する部署に問い合わせる。

電子的な通信システムはこの艦に最初から搭載されていたらしいけれど、それを構成していたのはいつの話なのだろう。

「管理課?」

「ああ。シノはまだ、ここの人間としては登録されていないから。そこにIDを貰いに行く必要があるんだけど」

 ちょっと面倒なんだよな、と原理は心底憂鬱そうだった。

「面倒なの? やだなー」

「仕方ないけどな。そうしなきゃあ、ここでは生活できないんだし」


 この艦に外国籍の人間が加入するのは初めてのことだった。

 その結果がどうなるのかは、誰も知らない。

 少なくとも、「鵬」が海の藻屑になるようなことはないだろうけれど、シノニムの可能性には、まだ誰も気づいてはいないのだった。


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