第53話
夏の終わりが見えぬまま僕は秋を迎えた。
残暑は引かず、半袖で汗を流す九月。それでも植物の色は変わり、色取り取りに実った果実や野菜がスーパーの棚に並んでいくのは不思議な感覚だった。よく熟した茄子や林檎も、茹っている中で見てはちっとも食欲が湧かず、僕は素麺が食べたいなどと小さく呟くのである。素麺はそう好きでもないのだが。
新学期が始まると級友達は思い思いに夏のでき事を語り、休みの終わりを偲んでは追憶するような調子で憎々しく学校の悪口を言い合っていた。ある者など「念じて人を殺せれば忌引休暇ができるのに」などと物騒な事を言って周りに暗い笑いの種を蒔いていた。卑屈な奴だったが、愉快は愉快である。
誰も彼もが口を揃えて不満を垂れ流し、どこでもかしこでもひたすらに後ろ髪を引かれているような感じであったが、僕は正直、休みが終わってくれて良かったと思っていた。別段面白みのない実家に帰って無為な時間を過ごすのが馬鹿らしく、都会の謙遜が心地よかった。帰省中、母親はうるさく、遊ぶ場所もなく、そこにいるだけで脳が溶けていくような感覚が苦痛でしかなく、まるで生きながらに死んでいくような不安に駆られたのだ。閉鎖的で陰鬱な実家の暮らしは僕にとって地獄でしかなかった。どうにか来年は、帰らなくともいいようにアルバイトでもしようかと緩やかな決意をしたくらいである。
だが、共に田舎の時間を過ごした能登幹は違った。
「友君の実家に招いてもらったんだ。楽しかったよ」
級友達に混じり、自慢気にそんな話をしていた。
奴にとっては新鮮で愉快なものだったかもしれない。しかし、一般的、というと語弊があるが、多くの若者は都会に憧れ田舎との決別を願うものである。牛より車が見たいし、木々より高層ビルに心惹かれるものなのだ。それを無視して無邪気に「楽しかった」などと田舎の虚無を喧伝すれば、誰もが皆、能登幹の異端に気がつくはずであると、そう思っていた。
「へぇ! 楽しそう!」
「私も行ってみたいな!」
「俺、川で魚を釣ってみたいな」
何故か知らないが、能登幹の話を聞いた者は挙って田舎の幻想を夢見ていた。
僕は唖然としてその様子を伺いながらどうしてだろうと思っていたがなんの事はない。奴の話に目を輝かせているのは、全員都会に育った人間だったのだ。なるほど、隣の芝は青いものだ。
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