第9話 呪いのシニビト

 「ニック……!」


 その言葉に老人の目は、オレが知る大きさになった。


 「キミは……。キミはひょっとして!?」


 「そうだニック!」


 オレはニックの腕をつかみ、急がせるようにイスに座らせた。オレはニックに顔を近づけて、声を押し殺して言った。


 「ニック、オレだよオレ! 女になっているけど、あのチケットの!」


 「名前を書かなかったひとだね? よく無事だったね」


 「なんだい。侯爵さんと知り合いかい?」


 女将が口をはさんだ。


 「ここではまずい。場所を変えよう。そうだな……。女将、部屋は空いているかね?」


 「侯爵さん! お客と寝るのはよしてよ!」


 「あ……いや、ちがうんだ。そうじゃない。ちょっとこのひとと大事な話があって。このチケットについてだよ」


 「なら、いつものVIP席を使っておくれ」


 女将は給仕きゅうじの者にVIP席の使用の合図を送った。一階の奥にあるようだ。


 ニックのあとについて行く。やっかみが聴こえる。


 「よ! リリカラン侯爵! ナンパ成功か!?」


 オレはそのやっかみに目をまるくした。


 「ニック、あんたはここではリリカラン侯爵なのか!? 大富豪の!?」


 VIP席に入り、扉が閉められる。豪華にしつらえられた内装で、いかにもVIPという感じだ。ニックは慣れた感じだ。よく利用するのだろう。


 「半券をなくさなかったんだな」


 ニックはテーブルにつくなり手を組んで言った。


 「これはどういうことなんだ? このチケットはいったいなんなんだ?」


 「言ったはずだよ。あなたを進化させるものだと」


 「これが進化か? この世界がか?」


 「そう。この世界で生きていくことが、あなたを進化させる」


 「いったいなんの話?」


 「あなたがいた真逆のこの世界で、あなたは生きる意味を見いだす。あなたは絶望していたはすだ。絶望している者にだけ、あの店が見える」


 「……」


 「この世界で生をまっとうしたあと、あなたは元の世界にもどり、意義のある人生を送ることができる」


 「オレは元の世界にもどるつもりはない。ここの世界で美女の人生を謳歌おうかする」


 「……しかし、そうはいかんのだ。あなたのその体は……呪われている体だ」


 「?」


 「やがて死神に気づかれるだろう」


 「呪われてるとか死神とかなんの話だよ? わかるように説明してくれ!」


 「あなたはあのとき、無理やり戸を開けてしまった。あの戸は、あなたの世界とこことをつなぐバックドア。正しい順序をふまないと、正しくこの世界に渡れない。そして間違うと……間違った“こと”になる」


 「……」


 「あなたの体は、首締められて殺された死人しにびとなのだ」


 「……」


 そう断言されると、すべてのつじつまが合う。


 川のほとりで衣類をはぎとり、顔を殴って黙らせて……。もしかしたら、殺したあとにレイプしたのかもしれない。屍姦しかんってやつだ。あのとき、膣から流れ出ていたものは、殺した犯人のものだろう。


 この彼女はそのとき、どういう気持ちだったのだろうか。恐怖と絶望の最中さなか、どういう思いがあったのだろう。やりきれない感情が、全身をかけめぐる。


 「……名前を持たないからこそ、死体に転生してしまった……」


 「名前があれば?」


 「名前を書いていれば、この世界を救う勇者に生まれ変わっていただろう」


 「勇者?」


 「魔王を倒す勇者だ」


 はて、オルファによると、魔王は悪ではないはずだが。一瞬そう思ったが、それについてはニックに問わなかった。


 「ニック、その死神が迎えにきたら、オレはどうなるんだ?」


 「死神はあの世の番人だ。“不法に生きている者”がいないか、つねに動きまわっている。見つかれば即刻、醜い魔物に転生させられる。そうなると、人間のときの記憶は完全に失われ、本能のまま生きることになる。二度と人間に生まれ変わることはなくなる。永遠に魔物のままだ」


 「……」


 「死神から逃げることはできるが、せいぜい50日間が限界とされている。その日にちが、体からの死臭が極度に達する。そうなると、もうどこにも逃げられない。すぐに見つかってしまう。もっとも、その臭いは死神にしかわからないらしいが……」


 「……」


 「だが、可能性はある」


 「?」


 「元の世界には帰れなくなるが、その体で生き抜くことはできる」


 このまま死神とやらにつかまり、魔物に転生させられるということは、この体からすれば、レイプで殺された挙句あげく、魔物にさせられるってことだ。最悪最低じゃないか……!


 「……オレはあの世界に未練はない。ここで……この体で生きていたい……!」


 魔物にだけは、させやしない……!


 「かぎりなく可能性は低いが……」


 「それは?」


 「あなたを殺した者を殺すこと」

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