恋の至近弾

山田貴文

プロローグ

人は皆、死んだ時にだけ天国へ行くわけではない。実は毎晩行っている。これを睡眠と呼ぶ。

寝ている間にあちらで何をしているのか?自分の守護霊と話をしているのだ。どうすれば、もっとうまくやれるか?この先、どのように生きていけばよいか?私たちは守護霊から有用なアドバイスをたくさんもらうことができる。ただ、残念ながら、人は目が覚めると、そのほとんどを忘れてしまう。この世に持ち帰れるのは、記憶のわずかな残滓のみ。それを人は夢と呼ぶ。

守護霊については、どこかであなたも聞いたことがあるだろう。人間一人に対して、一人の霊がマンツーマンで保護しているという、あれ。

  しかし、守護霊の上の指導霊については、あまり知られていない。指導霊とは、複数の守護霊を指導する霊魂の課長レベル、いわば中間管理職的な存在だ。

 守護霊、指導霊とも人が生まれてから死ぬまで、何回か交代する。その人の成長度合いや、魂のレベルにふさわしい霊が担当するのだ。


 さて、ここは天国にある新人指導霊の研修センター。何人かの守護霊を経験して、初めて指導霊を担当する霊が勉強する施設だ。

「いつからだよ?彼氏いない歴何年とか、彼女いない歴何年とか世間で言い出したのは」

 研修所の教官、みんなから師匠と呼ばれている男が言った。

 彼と弟子、つまり指導霊の卵の一人がお茶を飲んでいる。

「たぶん、一九八〇年代の後半だと思いますよ。ほら、彼らが司会していた、あのお見合い番組からでしょう」

 弟子は、誰でも知っている芸人コンビの名を挙げた。今となっては、もはやベテランの域だが、コンビの人気が爆発したのは、間違いなくその番組がきっかけだった。

「彼氏とか、彼女がいないのは、そんなに悪いことか?」

「さあ」

「実際には、生まれて初めてつきあった女と結婚した奴、ゴロゴロいるぞ」

「確かに。ぼくが知っている中にもそういうの多いです」

「つき合っている相手が一年いないだけで、可哀想みたいに言うのはおかしくないか?」

「ははは」

「真剣な恋をしててな、その恋が破れたら、少しは落ち込めってんだよ。それを取っ替え引っ替え、次の女、次の男って、人として問題があるだろ。ちょっとは間を空けろってんだ」

「まあ、人それぞれですよね」

「それなんだ!」

 急に大きな声を出す師匠。弟子はぎょっとして、手に持った湯飲みを落としそうになった。

「もっと、人それぞれの生き方を尊重しろってことだ。何で四六時中、男と女がひっついてないといかんのだ?彼氏や彼女がおらん奴は欠陥品みたいに言うの、間違っとるだろ。別にいいじゃないか。人間、死ぬ時は一人だぞ」

「まあ」

「恋愛を否定するわけじゃない。でもな、それがすべてという生き方はおかしいだろ。人生には、仕事、友情、芸術・・・・・・他にも大事なものは、いっぱいあるはずだ」

「それは、そうですね」

「恋が成就するのが人生での一番の幸せか?」

「まあ、そういう人、多いみたいですけど」

「よし。じゃあ、サンプル見せてやろう。完璧に恋が叶った男の人生だ」

「あっ、そう言えば、今日の研究テーマは『恋愛』でしたね。えっ、もう来ていらっしゃるんですか?」

「どうぞ、お入りください!」

 今日は研修の一環でケース・スタディの日だった。マンツーマンで特定の人間をマークする守護霊は、どうしても視野が狭くなりがちだ。指導霊として広い視点で物事を見るためには、さまざまな人生のパターンを知る必要がある。今日みたいな形で、自分が担当したことのない人生について話を聞くのは貴重な機会だった。

ドアが開き、青年というほど若くないが、初老と言っては可哀想なぐらいの男が部屋に入ってきた。彼は今、「この世」では睡眠中である。もちろん、「あの世」で指導霊研修に協力したことなど、目が覚めた後は全く覚えていない。

彼は椅子を勧められ、腰掛けると、静かに自分の人生を語り始めた。

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