第11話

 それから、ボスさんと今後のことについて打ち合わせして、山根さんとも顔を合わせた。私のコンパクトを観測所の装置に登録したらしくて、私がコンパクトを携帯さえしていれば、今度から山根さんからの無線連絡が入るという。何か非常事態があれば、すぐにその無線で知らせてくれるそうだ。

 観測所にはアノマリーの発生を予測するシステムがあるため、基本的にはアノマリーの発生を事前に察知し、準備することができるという。昨日今日のアノマリーについては、直前になるまで発生を予測できなかったらしくて、準備が間に合わなかったと言っていたけれど、そういったアノマリー発生のイレギュラーがあったのも、私の認識の齟齬が原因じゃないかという話だった。

 それは、私にアノマリーに干渉する能力があるのにも関わらず、私自身がその能力を認識していなかったという齟齬だ。アノマリーへの干渉は、コンパクトが鍵の役割を担っているそうだ。昨日の朝にコンパクトを手に入れたことで、私がアノマリーに干渉できるようになったため、そこから認識にズレが生まれ始めたということだ。

 次のアノマリーの予測は、来週の火曜日。まだまだ先だ。せっかくやる気になったのに、少しもどかしく感じる。

 私がやる気を見せたことが、アリスはとても嬉しいみたいだった。今日の帰りも、「イッショに頑張ろうね!」とすごく盛り上がっていた。そうして駅前の雑居ビルから学校まで、アリスに送ってもらってしまったのは、なんだか照れくさい。別に一人で帰れるのに。

 家に着くと、リビングでお父さんが私の帰りを待っていた。

「ただいま」

「お帰り。今日は遅かったな」

 例のごとくアノマリー退治には時間がかかっていないはずだけれど、その後観測所に行ってしまったから、帰りの時間はいつもよりだいぶ遅い。

「うーん、ちょっと。友達と話し込んじゃって」

 アリスを友達だと言うのは良いとしても、流石にボスさんを友達と言うのは無理があるかな。

 お父さんは少し意外そうな顔をした。

 ちょっと、我が子に対して「そんな友達いたんだ」みたいな失礼なこと思ってそうな気がするんだけれど……

 でも実際、あまり反論できないのが悔しいところだ。

「……友達も大事だけれど、ちゃんといつも通り勉強もするんだぞ。良いところ行きたいんだろ?」

 お父さんは念を押すように言う。

「うん、そうだね」

 私はとりあえず肯定を返しておいた。

 それは、人の役に立つために、良い大学に行こうと思っているけれど。でも、今は自分の能力を活かして人助けができそうなところなのだ。そうそう勉強ばかりしていられない。

 とはいえ、お父さんに事の詳細を話すのは、少し憚られた。アノマリーのことを聞いたら、絶対心配するし、強く反対されると思うからだ。だから、アノマリー退治は、お父さんには秘密で遂行しなくてはならない。

 私からの肯定に満足したのか、お父さんは話題を変えた。

「そうだ。今度の火曜日、お父さん忙しくて夜まで出かけないといけないから、夕ご飯は有田のおばあちゃんの家で食べてきてもらうってことでいいかな」

 有田とは、私のお母さんの旧姓だ。父方と母方で祖父母を区別するために、うちでは名字をつけて呼んでいる。

 私のお母さんは、私が生まれたばかりの頃に事故で亡くなってしまったらしい。だから、私にはお母さんにまつわる記憶が全くない。私が小さいうちは、有田のおばあちゃんが母親代わりになって、私を育ててくれた。家が近所なので、今でも時々、こうやってお父さんの都合が悪いときには、おばあちゃんの家に行って、夕ご飯をご馳走してもらったりしている。

 しかし、今度の火曜日というのは好都合だ。その日はちょうどアノマリー退治の日。帰りが遅くなるかもしれないし、そうなった場合お父さんを誤魔化すのが面倒だなと思っていたけれど、おばあちゃんの家に行くならその辺りはやりやすい。

「うん、わかった」

 それから私は手洗いうがいをしてから、自分の部屋に行く。

 来週の火曜日のことを思うと、そわそわして落ち着かなかった。



 そうして、ついにその日がやってきた。今日は火曜日。アノマリーの予報が出ている日。

 先週に観測所に行ってからというもの、ずっとそわそわしていたけれど、今日までの日々は驚くほどいつも通りだった。アリスにも会っていない。アノマリーさえ出なければ特にやることはないのだから、当然といえば当然なのだけれど。

 アノマリーが出現するのは、放課後になってからだと予報されている。だから、またアリスと校門で待ち合わせして、それからアノマリーが出現する場所に向かうことになっている。

 放課後になって、山下さんにノートを貸した後、私はすぐに中野さんの机に歩いて行った。いつも中野さんが私の机に来るパターンが多いので、中野さんは意外そうに頬を緩めた。

「沙川、帰るか」

「ごめん、今日はちょっと予定があって……」

 自分から行ったのは、今日の予定を告げるためだ。アリスと待ち合わせなので、今日は中野さんと一緒に帰れない。自意識過剰だとは思うけれど、一応中野さんに断っておくべきだと思った。

「ふ~ん。もしかしてまたあの、」

「そう、アリスと待ち合わせしていて」

「真面目な沙川さんが他校の生徒と寄り道だなんてねぇ」

 中野さんが、不満そうな顔で言う。彼女のことだから、本当に非難して言っているわけではないだろう。私をからかいたいだけだ。

 というか別に、校則で寄り道が禁止されているとか、そんなことはなかったはず。真面目であろうがなかろうが、寄り道するしないには関係ない。

「私だって、た、たまにはそういうのすることだってあるよ」

「はいはい。分かったよ。てか、いちいちアタシに言いに来なくても大丈夫だから」

「う、うん」

「友達のいない沙川に、一緒に寄り道する友達ができてお姉さんも嬉しいしね」

「ちょ、ちょっと!」

 何がお姉さんだ。

 偉そうにする中野さんを見ると、わざわざ気を遣ったことに何だか少し後悔が湧いてくるな。

 そうして私は、アリスの待つ校門へと向かうのだった。



 今回アノマリーが予測されているのは、学校の最寄り駅から電車で30分くらいのところにある、線路の高架下だった。高架下と言われれば確かに人通りが少なそうで、アノマリー発生の格好の的だと感じる。

「シラユキ、久しぶりだね!」

 約一週間ぶりにあったアリスは、先週と全く変わらず元気そのものだった。

「うん、そうだね」

「早くシラユキに会いたいなってうずうずしてたんだ」

 私と会いたいだなんて、アリスは変わっている。私は自分から面白い話とかできないし、結局いつもアリスの話に相づちを打ってばかりだ。何がそんなに楽しいのだろう。

「私も、今日が、楽しみだったよ」

「ほんと!?」

「うん、アノマリー退治がしたくて」

「む~、そっち~?」

「ふふふ」

 今のは良い感じの会話だったんじゃないかな。私にしては冗談を挟めた。

 アノマリー発生地点の最寄り駅で電車を降りた後、私たちは高架下まで歩いて行く。途中の道案内は、無線で山根さんがしてくれていた。

 インカムを付けているわけでもないのに、他人の声が直接耳に聞こえてくると言うのは少し不思議な感じだ。どういう仕組みなのかな。

「次の角を曲がったところが、目標の高架下です。アノマリー発生まであと15分ありますので、ゆっくり待機していてください」

 山根さんの言う通りに次の角を曲がると、確かに高架下が現われた。今はたまたま人が通っているみたいだけれど、普段はほとんど人通りがなさそうだ。

 アノマリーを待つ間は、またアリスと適当な会話をして過ごす。アリスは、どうやら物をあまり知らないみたいで、ここまで来る途中も、

「あれって何って言うの?」

「交番だよ」

「あれは?」

「本屋さん」

みたいな感じで聞かれることが何度かあった。ちょうどいい会話のネタになって良いけれど、そんなに知らないことがあるなんて、アリスは一体何者なのだろうか。どこかのお嬢様だったりするのかな。輝く金髪と透き通る白い肌を見ると、見た目としては実際あり得ない話ではないように思える。けれど、言動を鑑みると、少しお嬢様という印象からは離れてしまうかな。お嬢様って何となくもう少し落ち着いていそうだ。

 私たちが待っている高架の近くにも、アリスの気になるものがあったらしい。アリスの視線が、一点に集められているのに気づいた。

 その視線を追いかけてみると、そこには「休憩料金」とか書いてある看板が貼られているビルがあった。

 ――!!

 お願いだから、私に話を振らないでね……

「ねぇ、シラユキ、あれは――」

「知らない知らない知らない!」

 私の勢い込んだ否定に、アリスが少し気圧されているのが分かる。

 いや、実際、私もよく知らない。知らないんだ。知らないものは仕方がない。

「シラユキって物知りだなぁって思ってたけど、さすがのシラユキでも知らないことってあるんだね」

「そ、それはそうだよ……」

 アリスの純粋な目が少し痛かった。

「キュウケイって、休むってことだよね。アノマリー退治が終わったら、ボクたちも休んでく?」

「え? いいいいや、いいよ。か、帰り遅くなっちゃうし!」

「うーん、それもそっか」

 む、無知って怖い……

 そんなこんなしているうちに、山根さんから連絡が入る。

「五秒後にアノマリーが発生します」

「「!!」」

 私もアリスも、おしゃべりモードからすぐに真剣な表情に切り替える。

 人気のない線路の高架下。

 目線を向けると、またゆらゆらと陽炎のようなものが上っていくのが見える。

 間もなく、視界が歪んできた。

 三度目のアノマリー退治が始まった。

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