9 stream

observer:


 テニスでもしそうな格好の彼は、ホテルのダイニングでビュッフェ後のコーヒーを飲んでいた。そこに私は飲み物と料理を持ってやってきた。

真依先輩「おはよう、ここ、いい?」

 真依先輩か、どうぞ。そう促されて、私は彼の斜向かいに座ってくる。そして私の向かいの席や隣の席の、食べ終わった皿たちをみつめながら私は訊ねる。

真依先輩「未冷と衛理はもう食べ終わって戻ったの?」

主人公「ああ、ふたりとも運動するためにまず仮眠するんだってさ」

真依先輩「なるほどね」

 私はマスクを外してサラダを箸で口に運んでから、ふと言った。

真依先輩「昨日は、ありがとう」

 彼は驚いて、私へ視線を向ける。

主人公「今日は雪かな」

真依先輩「皮肉がらしくなってきたね」

 彼はコーヒーに口をつけながら、

主人公「観測者オブザーバーである先輩のご指導ご鞭撻のおかげかな」

真依先輩「鞭撻の覚えはあるけど、指導の覚えはない。特に、拮抗者アンタゴニスト、陽子の一派が暗号通貨を買い込んでいるかもしれないなんて話は」

主人公「まあね。あのナカモトからの、陽子のシンジケートなる話からの類推で、確証はなかった。けれどそこに裏が取れると教えてくれたのは、君だよ」

 私は完全に手を止まってしまった。ただ、彼を呆然と見つめる。彼は微笑む。

主人公「僕のはじめてのクライアントの経歴くらいは、多少調べることができたのさ」

真依先輩「何から……私の名前も、本当のものじゃないのに……」

主人公「君がファイリングしていた情報、計画された一本の渓流ストリームを想像するかのように時系列にまとまっていた。そんなふうにまとめあげる理由はただひとつ。とても個人的な動機があるときだ」

 私は怯えながら訊ねる。

真依先輩「つまり……」

主人公「あれらテロ事件のどれかが、君と関係してるんじゃないかって思ったんだ」

 私は息をのむ。記憶が蘇ってくるなかで、彼は続ける。

主人公「それであの時みた事件達を片っ端から調べた。そしたら出てきた。経営企画の部門にいたデータサイエンティストだったらしいけれど……君とよく似ていた夫婦が、犠牲者になったという記事だ。それすらも、陽子のシンジケートが利益を得られる構図だった」

 やがて私は彼をみつめ、微笑む。

真依先輩「同情してくれるの」

 彼は固まり、やがて首を振った。

主人公「そんな資格、ないよ。僕には」

 私は笑ってしまう。

真依先輩「そこは皮肉で返せないのね、後輩くん」

 彼は驚いて私を見つめる。私は大きな窓の先に広がる海を眺めながら、言った。

真依先輩「私は父と母に育てられているその時から、きっとこの金融の中でしか生きられない気配を感じていた」

主人公「なぜ……」

真依先輩「金融の外はあの海みたいに、無慈悲だと思ったから」

 彼は沈黙する。私は続けた。

真依先輩「両親の力を継げなければ、私はきっと産業を見失いつつあるこの世界で溺れてしまう。その恐怖が、私を動かしていた。必死に成績をよくしようとあがいて、言われたことを理解しようと必死だった。両親からは猛反対された。この世界以外にも、きっと役立つことはあるって。でもその答えを教えてもらう前に、両親は向こう側へ行ってしまった。だから、観測者オブザーバーに至った」

主人公「ごめん、先輩。あのとき、よくある話だなんて」

真依先輩「そうね。みんな、あなたみたいに強くはなれないから」

主人公「僕も、強いわけじゃ……」

 そんなふうにいい淀み、沈黙する彼に、私は言った。

真依先輩「ねえ、栗原さんの質問に似ているから、答えてくれないかもしれないけれど」

 なに、と彼は怯えた様子だ。だが、訊ねた。

真依先輩「後輩くん。あなたは一体、何者なの?」

 未だ暗号名コードネームがないはずの彼は答えることはなく、怯えるようにコーヒーを飲むだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る