ブライダルベールの花言葉
takemot
ブライダルベールの花言葉
向かい風が頬をかすめる。私の手には花束。風に乗った花の香りが、ふんわりと鼻腔をくすぐる。
「これが本当の薫風! ……はあ。何言ってんだろ、私」
少しだけテンションを上げてみる。ただ、口から出たのは溜息。
当然だ。元から私のテンションは低いのだから。
「ダメダメ。今日は二人にお祝いを渡しに来たんだから」
呟きながら、無理やり笑顔を作る。だが、足取りは重い。
♦♦♦
真新しいマンションの真新しいドア。それが今、私の目の前にある。私が住んでいる築二十年のアパートとは大違いだ。
インターホンを押す。ドアが開き、一人の男性が顔を見せた。彼は、にこりと私に微笑む。
「妹さん、いらっしゃい。早かったですね」
「姉さんは?」
「ちょうど今出かけてまして。さ、中に入ってください」
彼は、私を部屋の中に招き入れようとした。だが、私はゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫。今日は二人の結婚祝いを渡しに来ただけだし。それに、この後は予定もあるしね」
今の私は、きれいな笑顔を作ることができているだろうか。まあ、鈍感な彼のことだ。ちょっとくらい歪な笑顔でも、彼なら気がつかないだろう。
本当に、鈍感なんだから……。
「はい、これ」
私は、手に持っていた花束を彼に差し出した。
「ありがとうございます。綺麗ですね、この花」
「ブライダルベールって言ってね。新婚の二人にはちょうどいいかなって。ちなみに、花言葉は『幸福』だよ」
私の言葉に、彼はまじまじとブライダルベールを見つめる。
「普段は大雑把な妹さんにこんな美的センスが……って、痛い、痛いです。すいません」
唐突に悪口を告げる彼の頭を、私はパシパシと叩く。
そんなやり取りが、妙に嬉しかった。
「さてと。お祝いも渡したことだし、私は帰るね。二人の愛の巣にいつまでもいるのもなんだかむず痒いし」
わざとらしく明るい口調で話しながら、私は彼に背を向ける。
今度はいつ彼に会えるのだろうか。いや、もしかしたら、もう彼には二度と会うことはないのかもしれない。むしろ、その方がいいのかも。だって、彼は姉さんを選んだのだから。
早く立ち去ろうと一歩を踏み出した私の耳に、「妹さん」という声が聞こえた。
もう、どうして呼び止めてくるかなあ。
「何?」
振り向いた先に見えた彼の頬には、ほんのりと朱が差していた。
「これ、まだ他の人には言ってないんですけど。僕、生活が落ち着いて資金が溜まったら、自分のお店を始めてみたいなと思ってるんです」
「お店?」
「はい、来る人皆が癒されるようなお店。まあ、どんなものにしようとか具体的な構想はまだないんですが」
寝耳に水とはまさにこのことだ。まさか、彼がそんな計画を立てているなんて思ってもみなかった。
「それでですね。お店ができたら、妹さんにもぜひ来てほしいんです」
私の心臓が大きく跳ねる。
「私に?」
「はい、なるべく妹さんが通いやすい所に作りたいなーとも思ってまして」
「どう、して?」
もう二度と会うことはないのかも、そう思ったところだったのに。
「だって、妹さん、今も仕事で忙しい身ですよね。昇進の話も出てるって聞いてますし。こうでもしないと会う機会が持てないじゃないですか」
「…………」
「高校で初めて会って、同じ部活であれこれふざけたことやって。大学も同じで。でも、今はなかなか会う機会がなくて。僕、寂しかったんですから。今日久々に顔が見れたの、実はすごく嬉しいんです」
「…………」
「妹さん。僕の作るお店、絶対来てくださいね。って、まだ資金集めの最中ですけど。ははは」
「…………」
彼が姉さんのことを好きなのはずっと分かっていた。朝一緒に登校している時も、部活中も、大学で同じ講義を受けている時も。彼の視線は姉さんに向いていた。
彼の世界に私はいない。そう、言い聞かせてきたはずなのに。
ああ、どうして気づかなかったんだろ。
私、いたんだ、ちゃんと。
「えっと、妹さん?」
心配そうに私の顔を覗き込む彼。
本当に、鈍感なんだから。彼も、私も。
「ふふ。仕事で疲れた私を癒す場所かー。楽しみ。お店できたら、私お気に入りのぬいぐるみとか飾ろうかな」
「あれ? お店を私物化しようとしている気配がするんですが」
「あ、そうだ。構想ないなら、バーとかどう? いろんなお酒が飲めるの。私、最近お酒にはまっててね」
「バーですか。いいですね。ちょっと調べてみます」
「うんうん、頑張って。ずっと待ってるから。それじゃ!」
そう言って、私は駆け出す。後ろから聞こえるのは、「また連絡しますねー」という彼の声。さよならの言葉は、言わなかった。
軽い足取りで走りながら、私は『願い続ける』。彼が、私のことをこれからも想ってくれるようにと。
それは、ブライダルベールのもう一つの花言葉。
ブライダルベールの花言葉 takemot @takemot123
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