35【散会】
庭に転がしていた狂いの屍骸は既になく、玉砂利には血の一滴もついていない。
低い生垣の向こう、黒服の居住棟前に、先ほどはなかった白いバンが一台停まっているのが見えた。ヨズミが連絡した、業者の車だ。いかにも社用車といった無難な見た目をしているが、乗っているのは頭のおかしい業者と狂いの屍骸なのだ。車体にポップな書体で社名と連絡先が書いてあるが、弐朗はそれを見る度、目が細くなってしまう。
庭を抜けた先には、そんな業者のバンとは対照的な厳つい黒塗りの車が停車しており、見慣れた黒服が後部座席のドアを開けてぼんやり立っている。
「おや。運転手はカメさんか。父についてなくていいのかい」
「なんかビィが部屋で潰れてたんだが、何やらせたらあんなことに……? アー、社長には
「うん。十九の使い手の、六目鬼壱クンと水芽さわらクンだ。駅前のコインロッカーに荷物を預けてるようだから、それを回収してから大きい駅まで運んでもらえるかな。今なら十五時発の特急がロスがなくていいだろう」
「今が十四時前なんでー…飛ばせばもう一本早いのも間に合いますけどォ」
「センチュリーが爆走してるとね、目立つんだ、カメさん。法定速度内で頼むよ」
「承知シマシタァ」
マゴウコーポレーションの社長付き運転手である「カメさん」は、いつでもこんな調子で非常に緩い。四十は越えているはずだが、大人げからは無縁の人物であり、「運転手って運転してない時は何してるんスか」と問うた弐朗に、「色々」と言いながらパチンコのハンドルを回す仕草や、ソシャゲの画面を見せてくるような男だ。
それ以外では、ぼんやりしているか、スマホで動画を見ているか、客引きの黒服と雑談しているところしか見たことがない。
カメさんはさわらと鬼壱が後部座席に乗ったのを確認すると、運転席に戻ってシートベルトを締め、ナビを弄り始める。行き先を設定しているわけではなく、音楽や空調の設定をしているらしい。
鬼壱は重厚感のある車内にやはり遠い目をしている。父親が社長と言っていたが、むしろ組長、あちら関係の人たちが乗る車なのでは、という疑念が晴れないらしい。
カメさんが全てのことに対して無頓着であるが故に、最後の挨拶に後部座席の窓が下げられるといったこともなく、黒塗りは無愛想にぬるりと走り出す。
後部座席で鬼壱とさわらが戸惑い気味に軽く頭を下げていたが、それだけだった。
刀子は「またねー」と声を掛けながらいつまでも大きく上げた両手を振っていたが、車が見えなくなれば手を下ろし、「いっちゃった」と残念そうに呟いた。
「カメさん、窓ぐらい下ろせよ……」
「実にカメさんらしい。あの無関心さを買われて父の運転手をしているようなものだからね、彼は。さて、見送りも済んだし中に戻ろうか。ところでキミたち、学校は何て言って抜けてきてるんだい?」
「とーこは「じろくんむかえにいってきます!」です!」
「……あ、俺、トイレ行きます、で抜けたまんまッスわ。やべ。え、トラは?」
「親父が倒れたって言ってあります」
「またかい。口実とはいえ、さすがに龍三郎さん倒れすぎじゃないかい? まぁ、キミたちの担任は心得てるから大丈夫だとは思うけどね。念のため、私からも学校に連絡を入れておこう。弐朗クンは腹痛で早退、刀子クンはその付き添い。トラクンはー…そのまま早退で問題ないか。龍三郎さんに連絡は入れたのかな」
「必要ないです。連絡してもどうせ「そうか」で終わりですよ」
「全く、キミたち親子は! 仕方ない、私から連絡しておこう」
他にも、争った痕跡は残してないか、目撃者はいなかったか等確認し、てきぱきと事後処理の算段をつけながら颯爽と歩き出すヨズミに、弐朗は「あの」と声を掛ける。
単なる狂い狩りだと思った仕事が、「十九」という思わぬ出会いを運んできた。
これがヨズミの言っていた「新しいこと」の始まりなのかと、弐朗は期待を隠せない。
「これから俺らも「十九」探し、やるんスか! とりあえず東方面、東京とか行っちゃったりするんスか!」
弐朗の父親たち先代も、若い頃から全国津々浦々、あちこち出向いて色んな騒動を解決してきたという。その武勇伝の大半が、問題を解決する側ではなく、起こす側だったというのは最近になって知ったが、それでも、弐朗はこれが当代として初めての大きな仕事になるのだと思えば、どうしても前のめりになってしまうのだ。
しかしヨズミからの答えは至って平坦、弐朗の勇み足を掬うかのように軽やかに返される。
「いいや? それは鬼壱クンたちの仕事さ。私たちは今まで通り。狂い狩りをしつつ、来年はいよいよ祭りの引継ぎがあるから、その準備だね」
「えっ! でもなんかキーチさんたち困ってるっぽかったし、呪いがどうとかこうとか。百年集まってないって」
「勿論、情報提供はするが、それ以上はお節介というものだ。向こうから請われればその限りではないがね。がっかりさせたかな?」
「がー…、がっかりは、してないッスけど! 俺はてっきり、キーチさんたちの十九探し、手伝うんだとばかり!」
「とーこもおてつだいするきもちでいました!」
「余計なことに首突っ込んでる暇があったら、やるべきことやっといたほうがいいんじゃ……。二人とも、進級大丈夫なんですか。オープンキャンパス行ったり修学旅行に浮かれたりしてますけどー…来年は同学年とかやめてくださいよ」
「とらくんとじろくんとくらすめいと! わるくないですね、わるくないです」
「やったなトラ! 修学旅行一緒に行けるな! 来年はどこだろな。沖縄とか北海道とか? 一緒に羊のいる展望台行こうぜ!? そんでジンギスカン食って白っぽい恋人買って帰ろうぜ!」
「止めてください」
「じゃあ、午後からはうちで勉強会でもするか。早退した以上、部活動だけやりに学校に戻るわけにもいかないしね。学校では教わらない、踏み込んだ民俗の勉強をしよう! 講師はみんな大好き鮫島さんだ!」
「やった!! 鮫島さん教え方丁寧だから好きッス!」
「やったーーー! さめじまさんおおきいからすきです!」
弐朗の思考は目先の愉しいことに上書きされ、虎之助に言われた進級のことも、ヨズミが流した十九探しも、すぐに頭の端に追いやられてしまう。
今朝方感じた空気のひりつきは既になく、今はただ、低気圧がもたらす分厚い雲が疎らに空に散っている。
深い緑は少しずつ枯れ色に移り始め、空はくすんだ青へと色を変えていく。
つい最近まで騒がしく鳴いていた蝉に代わり、鈴虫が鳴き始めていた。
東京からきた、妖刀の気配に呑まれ成り果てた身元不明の青年。
十九と呼ばれる妖刀を振るう使い手、鬼壱とさわら。
来年には正式に当代としてお披露目を行い、祭り保存会中部支部の一員として活動していくことになる自分たち。
ここがひとつの起点だったと弐朗が知るのは、まだ先のことである。
【第一章】完
血刀異聞 椋鳥印 @mkdr
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