ファンタジー
『静流景色』
恋人が死んだ。
そんな事実が、黒服の男から淡々と伝えられた。
『天使』と呼ばれる巨大な化物が現れたにも関わらず、大半の世界がその姿を保ちつつげてこれたのは、彼女が戦って来たからだ。
対天使用巨大決戦兵器。
それが、彼女の乗っていた機械仕掛けの巨人の名前だ。
そして先日、それは彼女の巨大な棺桶となった。
*
恋人である僕に真実が知らされていなかった辛さよりも、「あぁ、だめだな」という諦観の方が強かった。
事実、天使への唯一の対抗策である巨人を操る術を失った各国上層部は騒然としている。
新しい適合者を見つけようにも、可能性のある者は既に全員、戦死している。
彼女が、最後の戦士だったのだ。
しかし、そんな事実を知っているのは国のトップの人間、もしくは特殊な環境下の人物(つまり僕の様な奴)くらいのもので、街では、未だ何も知らない善良な人々が暮らしている。
既に、この星の命運は決した。
しかし、もうすぐ世界が終わろうというのに、世界はやけに静かだった。
*
そんな終末が近づいてきていてもやはり、人間は人間である前に動物であるらしく、僕はいつも通りの時間に起き、トーストを食べ、コーヒーをすすっていた。
笑えないエンタメのニュースを流し見しながら、そろそろ家を出ないとな、とぼんやりと考える。
テレビを消し、ネクタイを締め、スーツを着る。
ただし、今日はいつものグレーのスーツではなく、シミ一つない真っ黒な礼服だ。
通勤鞄の代わりに申し訳程度の荷物を入れたハンドバッグを掴む。
家を出て、途中、予約しておいた花屋で束を受け取る。
ろくすっぽ花言葉など知らなかったが、彼女に怒られない程度に意味を考えて買った。
感想はまあ、会った時に聞くとしよう。
広い向こうでもまた会えるように、ランニングでもしておいた方がいいだろうか。
それとも、大型バイクに乗る練習でもしておくべきだろうか。
いやまぁ、向こう側の広さなんて想像も付かないのだけれど。
それに、きっと、そんなものは無い。
『天使』なんて呼ばれるような非常識な奴らが地上を蹂躙しているが、あくまで人間がそう呼んでいるだけだ。
死後の世界や天界の存在を保証するものではない。
正体不明の化け物に対し、外見から連想したものがそれだった、というだけのことだ。
優しい論理、なんてものはこの世界に鼻からない。
しかしそのことを、特段悲しいとも思わない。
厳しい合理は人に冷たくはあるが、同時に平等でもあるのだ。
もしも、"向こう側"なんてものが存在するのであれば、その世界に働く平等性が、きっと僕を彼女の元に導くだろう。
なればこそ、僕は落ち着いていられる。
僕がどう足掻こうが、全てはその合理という名の神が采配を下すだろう。
*
その墓標には、名前が刻まれていなかった。
ただ、『ESCE-021』と書かれた番号が置かれていた。
彼女の存在は、公には公表されていない。
『サクリファイス』は、国連が開発した最強の無人兵器。
そうゆう事になっている。
彼女の元の戸籍はとっくに剥奪され、どこのデータにも彼女の情報は残っていない。
それは当然、僕の手元にも。
ここの墓地だって、普通は入ることは愚か、その存在を知ることもない。
あるのは、脳内に曖昧に浮かぶ彼女の顔。凛とした姿。すらっと通る、あの声。
どれもがその全てに霞ががかっていて、すぐにも消えてしまいそうだ。
地面に突き立つ無機質な金属板の墓標をいくら眺めても、その霞が取れたりはしない。
そのふもとに、そっと花束を置く。
見晴らしだけはいいこの墓地の丘からは、元気にこちら側を照らす太陽と、眼下に広がる街並みが綺麗に見渡すことができる。
ここが墓地でさえなければ、そこらの木々に寄りかかって昼寝でもしてたいくらいだ。周りに遮るものもほとんど無いため、時折心地良い風が吹く。
−−こんな所に、二人で来たかったな。
そんなことを思った。
無限に終わらない仮定や後悔の残子が、まだ残っていたらしい。
我ながら馬鹿馬鹿しい、と思った。
笑うことは、出来なかった。
ふと、眼下に広がる街並みへと意識を戻す。
未だ壊されず、その脅威を知らず、日常を紡ぎ続けている普通の世界。
しかし、あともう一週間足らずでここは廃墟になるだろう。
そこからもう一週間ほどで、この国は滅び、それから世界が滅ぶ。
彼女が死亡したその時、全ては決していたのだ。
世界が滅ぶ。
それは、悲しいことだと思う。
だけど、最近は悲しいとかよりも、こんな考えが頭に浮かぶのだ。
−−『地球』から見ると、この一連の出来事はどう映るのだろうか?
滑稽な考え方だ。
現実の行き場を無くした者が陥りがちな、向こうみずで夢想的な考え方。
だけど、だからこそ、僕はその答えが分かる。
−−それはきっと、ただの『景色』なのだ。
地球から見れば人類の衰退や滅亡なんて、秋の紅葉が散っていくこと、冬に雪が降ることと同じ、ただの『景色』でしかないのだろう。
スローモーションに落ちていく雨粒のような、そんな程度のもの。
そして僕と彼女の物語なんて、静かに流れゆく景色の中でも、スローモーションに落ちていく雨粒の、更にその中で蠢く微粒子のような、ほんの些細な誤差でしか無い。
でも、どんなに小さくても、僕と彼女は同じ景色の中に居た。
数十億年にも及ぶ歴史という巨大な絵巻の中で、僕と彼女は確かに等しい景色を飾ったのだ。
僕は、それを何より誇りに思う。
短編集 晴耕雨読 @ssn116
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