第62話
大きな裂け目を前に、レインニールは戦慄していた。
「これはどういうこと?」
世界はすでに限界が見えている。
薄い玻璃のような膜は、もう継ぎ接ぎだらけだ。
それでも、裂け目をそのままにして世界を壊すわけにはいかない。
「私たちの力で修復するわよ」
パンドゥラの声にレインニールは顔を引き締めて頷く。
「糸をイメージして、縫い合わせていくとうまくいくと思うわ」
言いながら、うまく伝わるか不安になる。
レインニールの顔が曇ったからだ。
裂け目は縫い合わせるにはやや大きすぎる。
だが、やらなくてはいけない。
聖女王の、礎の祈りを世界中に届けるためには必要なこと。
「パンドゥラ、ここでレースのコースターのように力を集中させて、あそこに縫い付けるのはどう?」
レインニールの提案に、思わず目を見開く。
すでに力を集めて両手の間にレースで編まれた星形が浮かび上がる。
ゆっくりと押し出すと、裂け目に貼りつきレースの隙間が埋まり始める。
「あのコースター、どこかで見たわね」
「アレクシ様のところで」
パンドゥラは納得して笑みを零す。
アレクシを前に今にでも泣きそうな顔ばかりしているが、ちゃんと学んでいるらしい。
役立っているようで何よりだと頷く。
「良い感じだわ」
レインニールの力にパンドゥラ自身のも上乗せして修復を完了させる。
以前に比べ、時間も手間もかからなくなった。
レインニール自身も己に宿る力の使い道を覚えていっている。今は新しいことを覚える、世界の役に立っているという使命感で興奮している。
そろそろ教えることも変えていかないといけない。
何故なら、この力は危険と表裏一体だからだ。
今はパンドゥラが監視し、聖域で過ごしている。
加護が無くなった時、自分でどれだけ律せられるか耐えられるか、
そろそろ聖域での生活も終わりになるだろう。
サシャが研究機関の学舎への入学手続きをはじめていた。
聖女王の加護が強い聖域を出た時、無防備なままではあらぬ力から影響を受けてしまう。
抵抗できるほどの強さを持たなくてはいけない。
パンドゥラはレインニールをどう導いていくか、思いを巡らせた。
そんな中、聖女王の呼び出しは当然とパンドゥラは受け止めた。
いまだ、パンドゥラとレインニールに任務遂行の話がない。
迷いもあるだろうと、自分から詰め寄るようなことはしなかった。
一先ず、世界は二人の力で正常に戻っている。
このまま続けても問題ないように思われるが、いつまでも精神体のままふらふらさせるわけにはいかないだろう。
いつかは、以前のようにただ、世界の事だけを考える日々に戻る。
疑いようもない、真実だ。
聖女王が座る椅子の前に立つ。
パンドゥラの態度が少々横柄になってしまうのは仕方のないことかもしれなかった。それを聖女王は咎めるようなことはしなかった。
「レインニールに礎の力の使い方を教えてくださっていますが…」
最高位であるはずの聖女王が、パンドゥラに対して丁寧な言葉を選ぶ。
その態度に呆れてしまう。大勢の前ではないので注意はしない。聖女王の気持ちも分かるからだ。
「これから聖域を出て、学舎へ入れるのでしょう?私と干渉したせいでレインニールの力が目覚めてしまっている。自衛できなくてはあらぬ力に奪われてしまうわ。それとも、その前に、私とともに眠りにつかせる?」
あれは眠りという名の封印。
肉体が封じられるが、意識は何処までも駆けることはできる。それは当時のパンドゥラには救いだった。例え、役目のためだけだったとしても、外を知ることが出来たのは息抜きだった。
聖女王は静かに頭を振る。
「封印を施すにはあまりにレインニールが憐れでなりません」
彼女が幼すぎるのだ。まだ、十にも届かない少女を深淵へ封じることはそれが聖女王としての役目だとしても、非情になり切れない。
パンドゥラもそれには同意する。
自分は良い。すでに肉体を失くし、知り合いもいない世界だ。役目を全うすることで世界の役に立っているという自信はおのれを奮い立たせるには十分だった。
けれども、レインニールはもっと楽しいことを経験させてあげてから、と願わずにはいられない。あまりに幼少期から不幸が続くため、わずかでも彼女が笑顔になることを叶えてあげたいとパンドゥラは思っている。
ただ、目の前にいる聖女王の姿を、目を細めて眺める。
「憐れはあなたもよ。そんな満身創痍でまだしがみつくの?」
薄い玻璃となってしまった世界の枠。それを維持している聖女王が溌溂としているわけがない。彼女もまた、世界と同様に限界が見えている。
「聖女王には代々、言い伝えられてきたことがあります」
先を促してしまったパンドゥラはかなり経って後悔する。
「虹の礎を眠らせてはならない、虹の礎の言葉を真実と受け取ってはならない、と」
それまで泰然として聖女王を見やっていた瞳が一気に鋭くなる。自然と肩が震え、足元から湯気が湧きそうになる。
二人の間の空気がびりびりと緊張し、まるで電気が走っているかのようだった。
この広間が、聖女王の空間でなければ恐らく周囲の物をなぎ倒してしまいかねない、それほどの威力だった。
パンドゥラは自身の血が逆流するかと思われた。
荒くなってしまう息を何とか堪える。むき出しの感情が溢れ、ぶつけてしまいそうになるのを無理やり何とか押し込める。
怒りを向ける相手は目の前の聖女王ではない。
伝言を残した主。恐らく、パンドゥラを封印した当時の聖女王。
「あの、女…」
名前が何であったかはすでに記憶にない。いや、顔も思い出せない。
色々な感情を向けたその主に今更、止めを刺されるとは思いもしなかった。
聖女王はパンドゥラの変化に迷いを見せる。
自分の発した言葉がそれほどまでに影響するとは思ってもみなかったからだ。
「そう。そちらがそうならば、こちらもやり方があるわ」
元々、そのつもりであったし、と胸の内で呟く。
レインニールとともに眠るつもりはない。
パンドゥラはもう決断したからだ。
この聖女王も長くはない。
世界を維持するために出来ることをする。
あの人が愛した世界を私は守ると決めたのだから。
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