第44話 ポレットの聖女日記・20

 いつも鋭いと感じる目元が柔らかく、穏やかに笑みさえ浮かべている。

 そうであるのに彼女の長い髪は嵐の中にいるように背後で激しく流れている。


 よく見れば、彼女の背後で猛烈な風が吹いていた。

 何処からか塵やほこりなどを巻き上げ、向こうがかすんでいる。


 レインニールの脇から手が伸びて腕を掴む。

 次に色の濃い金髪が現れ、ポレットは動揺した。

 フロランである。


 焦りを浮かべ、レインニールを引き留めているようだった。

 わずかに振り返り、そっと手を添えて腕から放す。

 何かを悟ったのか、フロランは諦めるような表情をする。

 ポレットはやり取りをじっと見ていたが、フロランは一度もこちらに顔を向けなかった。


 ゴッと大きな音が鳴り、風が渦巻く。

 ポレットはようやく、自分の周りで風が強く吹いているのに気が付いた。

 これは何が起きているの?


 焦りと動揺が伝わるかのように風の向きが変わり、空へ舞い上がる。

 ポレットの身体も持ち上げられそうになるが、手を握られ体勢を整える。

 握られた細くて長い指先は白く、丸い指先の自分のものと比べ嫌悪感が押し寄せる。


 一段と風を感じ、身構える。

 その体を包み込むように胸元へ導かれた。


 一瞬、相手の身体が弾ける。

 何が起きたかと顔をあげれば、美しい顔の頬に赤い線があった。何かが飛んで当たったのか、傷が出来たようだ。


 そこでようやく、この風はポレット自身と連動していることに気が付いた。

 暴走。

 浮かんだ言葉に青ざめ、そばにある体にしがみ付く。


 このような形で現れるとは、あまりに予想外で頭が追い付かない。

「レインニール様!」

 助けを乞うしかない。

 今、この場にいるレインニールを頼ることしかできない。


「これは非常事態ですね」

 それを言うのかと悲しくなった。

 どうしてそんなに落ち着いていられるのかと悔しいほどに辛いと感じた。


「聖女王候補の力の暴走、このままではポレットの体力が持ちません」

 違うことに気が付いた。

 呟きだと思っていたが、誰かと話しているらしい。


 風の音に交じり途切れ途切れに女性の声が聞こえる。

 陛下!

 顔を上げ、周囲を見回すが姿はない。

 やがて、視線を感じてレインニールと目を合わせる。


「ポレット、良いですか?まずは息を整え、心を落ち着かせるのです。風の凪いだ静かな川面でも構いません。想像してください」

 優しく語り掛ける声は幼子に対する母親のようだった。

 ポレットは申し訳なくなり、涙がこぼれる。

 レインニールはそっと指で拭いとる。

「周囲の風はこちらで収めます。あなたはただ、心が穏やかになることを思い浮かべてください」

 ポレットは深く頷き、ゆっくりと息を吐いた。


 このような異常な事態でもレインニールの指示は的確で、次第に心が落ち着いていくのを感じた。

 風の音も収まっていく。

 その風の間に、鱗粉のような光の粒が徐々に増えていく。虹のようにいくつもの色を持つそれは、徐々に光を強くしていく。

 もう大丈夫そう。

 ほっと安堵すると猛烈な眠気に襲われた。


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