第23話
聖域に戻って来たサシャ一行は、全てを聖女王と補佐官に報告した。
そして、サシャはレインニールの面倒を見ることになった。
こちらでの生活に慣れながら、基礎教育を済ませ、研究機関の研究生たちが通う学舎へ入学させる段取りを整える。
親にはなれないが、せめて兄代わりとして出来ることはしようというものである。
レインニールは幼いころから家の手伝いをしていたので身の回りの事はできるが、文字や数字は知らなかった。まずはそこから学ぶことにした。
サシャも礎としての仕事がない時は、レインニールを伴い、聖域内を散歩し、年頃の子どもたちと遊ばせ、また動物たちと触れ合うなど、村では体験できないことを一つ一つさせていった。
サシャが普段生活している館の裏には庭園が広がっている。
ほとんどは庭師たちが手入れをしてくれているが、一部はサシャ自身が植替えから雑草や虫の駆除をしている。
その日も、レインニールと一緒に花壇の整備をしていた。
農作業で鍛えられているのか、レインニールは虫を見ても怖がったり声を上げたりはしなかった。かわりにこれは何の虫か?何でいるのか?畑にいる虫とどう違うのか?とサシャが答えられないことを聞く。知識が増えてきたので、目に映る様々なことに興味を持ちだした。
おかげで、サシャもレインニールと遊ぶときは前日から予習をするようになった。
無事に土を入れ替え、苗を植えるとたっぷりと水を与える。
レインニールと一緒にするのは時間がかかり思い通りにならないこともままあるが、面白いと思うことが多いと気が付いた。
そういう意味でも引き取って良かったと胸を撫でおろす。
作業に使った道具を片付けていると、後ろで大きな音がした。
レインニールが立っているはずの場所で、彼女は突っ伏していた。どうやら、泥濘に足を取られたようだ。
手に持った道具を放し、レインニールに駆け寄る。
「大丈夫か?何処、打った?」
自分が汚れるのも構わず、泥に膝をつき抱え起こす。
レインニールは転んだことに驚いていたようで泣いてはいなかった。
「ぷ」
サシャは思わず、吹いた。
突っ伏した衝撃で顔にはべったりと泥が付いていた。
さすがに笑われたことにレインニールの頬が膨らむ。
「ごめん、ごめん。怪我無くて良かった。痛いところは?」
腰に挟んでいたタオルで顔を拭う。しかし、泥は広がるばかりである。
拭われているのでレインニールはおとなしくされるがままになっている。
その顔にタオルで拭かれた泥がなぜかあちこちと行ってしまう。
おかしな模様になっていくのをサシャは耐えられず、肩を揺らした。
「だめだ、ごめん。顔を洗おう」
手を差し伸べれば素直に重ねてくる。
子ども特有のぷっくりとした指先にサシャは愛おしさを感じる。
聖域に来た頃、指先は荒れていたそうだ。レインニール自身もそういうものだと思っていたらしい。
メイドたちにクリームを塗られ、水仕事畑仕事をしない手はあっという間に滑らかな肌を取り戻した。
食事も栄養が考えられたものになったため、身体つきもふっくらとしてきた。髪は肩先で揃えられ、銀髪はつややかに輝いている。
将来、美人になるのではとメイドたちが噂をしているのを耳にした。
サシャも期待と同時に誇らしく思った。
館まで戻ってくると地の礎アレクシが訪ねてきていた。
「それが噂のレインニールという少女か?」
サシャよりは若いアレクシだが、地の礎らしく、堅苦しい顔つきをしている。出身も聖域に近い街の貴族出のためか、口調が強く声も低いため普段の会話でさえやや不機嫌に聞こえてしまう。
自分でも分かっているのだが子どもに対して考慮することがないため、例にもれずレインニールは怯えてサシャの陰に隠れる。
もう少し、柔らかくなると良いんだがな、とサシャは感想を抱きつつも苦笑いでレインニールの頭を撫でる。
「怖くはないよ。アレクシは機嫌が悪いわけではなくて、これが通常なんだ」
レインニールはじっとアレクシを観察した後、サシャを見上げる。
「地の礎、だから?」
「ん?そうかもしれないね。でも、礎の力が無くてもアレクシはこうだと思うよ」
どちらが先なのか分からない。
ただ、影響していないわけではないだろうと柔軟に考えてしまう自分は水の礎らしいのかもしれない。
「サシャ」
客であるアレクシを放置し、二人で会話をする様子に呆れて声をかける。
「私はいつまで二人の泥だらけの顔を見ていれば良いんだ?」
「あれ、俺も付いてる?」
驚いて頬を撫でる。そうして手のひらを見れば泥と土で汚れている。
植替えの作業をしていたので手が汚れているのは当然である。それを考えなしに頬に手をあてたのでさらに汚れが広がった。
鏡がないため、そばの窓に映る自分の顔を確認する。
指摘の通り、土で汚れている。
「レインニールも意地悪だなぁ、汚れているの教えてくれないのか?」
「だって、サシャ様、笑ったもん」
ぷいっと横を向いて拗ねる。
その仕草が可愛らしく、サシャは堪らず声を上げて笑う。
汚れた手のまま更にレインニールの頬に触れようとして小さな拳で叩かれる。
「いい加減にしないか、二人とも!至急、風呂でも入ってこい!」
じゃれ合う二人に痺れを切らしてアレクシが怒鳴る。
揃って肩をすくめる二人に、不愉快な表情を見せる。
「全く、泥だらけのまま人を迎えるやつがいるか!私だからまだ許すが、他の者なら怒って帰るところだぞ!」
怒っているが許しているということなのだろうか?
サシャは言葉にはしなかったが、アレクシの理屈を面白く思った。
今から泥を落とし、風呂に入り、着替える。
時間がかかるが、アレクシは待っているということなのだろう。
一応、予告もなしに来たことを引け目に感じているのかもしれない。
「アレクシは、今日は暇らしい。急いで風呂に入って来よう!」
「一言、多い!」
「はいはい。悪い、アレクシ。適当にくつろいでいてくれ」
サシャはレインニールの手を引いて、風呂場へ歩き出した。
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