第8話
「分かっている。案じているのはそこではない。水深は浅いとはいえ、危ないからこちらへ」
水際に立ち手を差し出すと、鋭く払われた。
「嫌です。私の事など、放っておいてくだされば良いのです」
「レインニール!」
あまりの言葉に、アレクシは声を荒げる。
「いい加減にしないか、何度も言わせるな!」
「それは私のセリフです。事あるごとに聖域に呼び寄せ、何のおつもりですか?力を貸して欲しい?私の力など必要ないと初めに言ったのはあなた方ではありませんか!」
瞳を潤ませ言い放つ。責める言葉にアレクシの口は塞がる。
「陛下のもとへ戻ります。大丈夫ですよ、短気は起こしません」
失礼します、とその場でくるりと回る。
レインニールの姿は次の瞬間には消えていた。
ただ、川面が不自然に揺れていたが、それも瞬く間に普段の流れに戻った。
空を掻いた手を静かに下した。
アレクシは肩を落とし、踵を返す。
視線の先に、蜜色の髪があった。フロランである。
無様なやり取りを見られたと思い、顔を引き攣らせる。
相手は反対に優雅に微笑んで見せる。
「大丈夫ですよ。アレクシ様の言葉が足りないことは、レインニールも私も分かっています」
そう慰められたとして安易に頷くことはできない。
「それにいまだにレインニールは私にも心を許してくれません」
フロランの言葉に目を見張る。
礎の中でも一番傍にいるのはフロランである。レインニールの世話を甲斐甲斐しく焼き、事あるごとに支部に差し入れを持っていく。式典があればレインニールの好みの料理やデザートを用意し、衣装もそろえる。
その健気な態度にさすがのレインニールもほだされていると思っていた。
「勿論、こちらの話は聞いてくれますし、手を払われたこともありません」
先ほどレインニールの手が当たったところが今もうずくように痛む。
「けれど、心の壁は存在しています。凍てついて強固な壁です」
分かっていてあの世話の焼き様なのかと驚愕する。
アレクシにとって、レインニールの扱いに苦労しているが、またフロランも良くわからない存在だった。
今はドレス姿なのだが、たまに貴公子のような格好もする。
聖域の女性たちが黄色い声を上げ、本人も笑顔で返すのだが、翌日にはドレス姿に戻っていたりする。
衣装管理が大変だろうと思うのだが、本人は楽しいから良いのだという。
今日のような就任式でましてやドレス姿のレインニールの隣に立つのであればなおさらと思うのだが、ドレス姿で現れた時は意味が分からないと密かに頭を抱えたのだった。
「すまない」
アレクシは迷惑をかけていると感じていた。
フロランは可愛らしく頭を傾げたが、軽く笑う。
「アレクシ様のせいではありませんよ。私たちも戻りましょう。陛下が心配していますよ」
ドレスの裾を上品にさばいてフロランは先を歩く。
その背に従いながら、アレクシはため息を吐く。
レインニールの頑なな態度、その一因は自分にある。
本人に聞いたわけではないが、アレクシはそう思っている。
自分を睨んでくる力強い瞳はあの頃と変わらない。
アレクシの脳裏に刻まれた紫水晶のような輝きと激しい感情を湛えた瞳はいつまでたっても消えることはない。
今ならもう少し柔らかな言葉をかけられただろうか?
自問しても答えは見つからなかった。
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