word57 「歌う曲 何がいい」②
今まで夢見心地だった僕はその声で現実に引き戻されたような感覚を覚えた。周囲の皆も同じく、やっていたことをやめて出入り口のドアのほうに注目する。
「おう寒い寒い。ふー、元気か。ちょっとだけこっち注目して話聞いてくれる?」
顧問の先生は部屋に入り、腕時計を確認しながら言った。
社会科の山本先生は軽音部の顧問で、まだ青年と呼べるくらいの年齢と容姿をしていた。この学校の教師陣の中では若手で、それなのにベテランのように生徒の扱いが上手い。気さくで誰にでも優しく、顔は人気のお笑い芸人に似ている。
女子生徒に人気なので昔は気に食わなさもあったが、過去に何人かの女子生徒から告白されているけど全て誠実な対応で断っていることを黒いパソコンで知ってから、僕も好きになった先生だ。
「これ。2月末にある3年生を送る会で出し物をする有志団体の募集の紙。これについての話なんだけど、今年は軽音楽部どうする?」
「ああー」
女子のグループから、なるほどという声が出る。
「去年の先輩は誰も出んかったやっけ。確か一昨年はこの軽音楽部で卒業ソングの演奏してたんよ。その前のことは分からんけど、毎年出たり出んかったりという話は他の先生から聞いてる。あとね、3月の学校の創立記念日でも軽音楽部で演奏してもいいってチャンスがあるらしいですわ。強制じゃないから皆で話し合って決めてもらっていいんだけど、ただ締め切りがもう来週まで。前にも紙だけ配ってもらっとるよね……」
先生の話を聞きながら、僕たちは隣に座る者と顔を見合わせた。右隣の親友を見た後は、左隣の後輩。そして、女子のグループでも同様に小声で話し合いが行われているみたいだった。
「本当は募集の締め切りが今日までだったらしいんだけど、まだ2組しか希望者がいないらしくて、締め切りの日にち伸ばして軽音部どうですかって生徒会の子に今日言われた。お昼ご飯食べようる時にな、後ろから背中叩かれて」
ジェスチャーで驚くような動きをしながら言った山本先生はそこから黙って、名乗りを上げる者がいないかと僕たちの顔を1人ずつ見ていった。
しばらく音楽室の中を沈黙が満たして、それに耐えられなくなった部長も務める女子生徒の1人が首を横に振ると、一同が笑った。
「ハハハ――出たくないんか。先生もちょっと皆の演奏を聞いてみたい気持ちはあるんだけど。まあまあ、もうちょっと考えてみて……出たくなったらこの紙を先生の所に持ってくるか……職員室の隣の部屋の前に置いてある箱に入れてください……」
山本先生は男子と女子に1枚ずつ手に持っていたプリントを渡した。僕はその紙を保護者へのお知らせのプリントと同じくらいの気持ちで見た。
軽音楽部から誰か出るとしてもまだまだ未熟な僕じゃないし、誰かに出なよと勧めるつもりも無かった。この軽音楽部のメンバーには、頼まれたってステージに立とうという人間はいない気がする。
「お前歌上手かったし、何か歌えば?」
そう傍観していた僕の肩を親友が叩いた。
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