第11話 羽化する天使 その三



 ガラスのくだけちるような音とともに、青蘭がマルコシアスに乗って現れる。

 龍郎は呆然とした。

 まさか、ここに青蘭がやってくるとは思ってもみなかった。マルコシアスがつれてくるとしても、穂村か、ガマ仙人だろうと。


「青……蘭……?」

「龍郎さん!」


 青蘭はまっすく、龍郎にむかって手を伸ばしてくる。今ここで届くのならば、その手につかみとろうとするように。


「来たよ? あなたを助ける!」

「青蘭。なんで……」

「だって、僕はやっぱり、あなたが好きだ」

「青蘭……」


 不覚にも、こんなときだというのに涙があふれてきた。青蘭の美しいおもてが、透明な雫のむこうでかすむ。


「マルコシアス。行け! 結界をやぶるんだ」

「しっかりつかまっていろ! 青蘭」


 青蘭を乗せたまま、マルコシアスは魔法陣へつっこんできた。魔法の障壁にぶつかり、やはり、押しかえされる。だが、たしかに最初のときより、障壁の力が弱いと、龍郎にも感じられた。マルコシアスの力に、青蘭の天使としての能力が加わっているからだ。それに、巨石を一つ倒したことで、魔法じたいも完全ではなくなっている。


 さらにそこに、青蘭を追って、ガブリエルが現れた。フレデリック神父をつれている。ガブリエルはこの場のようすを見ると、マルコシアスにあわせて、障壁に体当たりした。


 結界を翔ぶ能力者が三人——いや、一人と二柱。そのパワーが一点に集中したとき、ついに魔法の障壁がやぶれた。空間が粉砕され、クリスタルの雨となり、はじけとぶ。地面に落ちて踊る百億の音が、ティンパニの乱打のようにさえ聞こえる。


「龍郎さん!」


 魔法陣のなかへ、マルコシアスがとびこんできた。続いて、ガブリエルたちも。

 青蘭がかけより、龍郎に抱きつく。龍郎の呪縛も解けている。声もなく、その細い背中を抱きしめた。


 愛している。

 やはり、かけがえなく愛している。離すことはできない。

 これほどに愛おしいものを、どうして手放すことができるだろうか?


 たがいの体を抱きしめあい、その香りに包まれているだけで、気持ちは伝わった。言葉などいらない。

 もう二つの玉の共鳴はないが、龍郎が青蘭を想うように、青蘭も龍郎を想ってくれていることがわかる。


 いや、快楽の玉の脈動とは別に、わずかだが、二つの鼓動が重なるのすら感じられる。

 それは、たがいの心臓だ。

 龍郎の心臓と、青蘭の心臓が脈打ちながら、愛の言葉をささやきあっている。


 ずっと、こうしていたい。

 しかし、そうもいかない。

 召喚の儀式はまだ終わったわけではなかった。



 ——フングRUUIII ムウGU RUUUUナフ クトゥグア FOOMARUハウトOOOO NNGAA・グAAアア NAFU RUフタグン いあAAAAAA! クトゥグアーッ!



 アフーム=ザーの呪文に、すべての戦闘天使が呼応する。



 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!

 —— いあ! クトゥグア!



 一段と激しい鳴動が一度、あたりをゆるがした。

 もう止まらない。止めようがない。が来る!


 魔法陣がバラバラに崩壊する。

 龍郎は青蘭とともに、マルコシアスにとびのった。

 ガブリエルたちも空中に浮かび、瓦解からまぬがれる。


 割れた大地から、恐ろしく極大な炎が現れる。その一つ一つは無数の目玉だ。燃える眼球が数えきれないほどに集まり、凝固している。


 それにしても大きい。視界いっぱいがの体で覆われていた。すべてが魔法陣から現出しきれていない。魔法陣の周囲のストーンサークルを破壊しながら、次元の扉を押しやぶろうとしている。


 崩壊した地面に戦闘天使が次々と落ちていった。それらは贄だ。多くの天使が吸われるほどに、燃える目玉の化け物は狂喜し、力を増した。


 すさまじい力だ。クトゥルフも強かったが、あれは夢魔の王だった。夢使いの技に四苦八苦させられた。単純に攻撃力だけで言えば、クトゥグアのほうが数百倍も強い。同じ空間にいるだけで、その圧倒的な破壊力が、ビンビン体をつらぬいていく。


(勝てない。こんな化け物……)


 いや、あきらめてはいけない。ここまで来てくれた青蘭のためにも、必ず勝たなければ。それができないなら、青蘭だけでも逃がそう。



 ——いあAAAAAA! クトゥグアAAAAAAAAAAAAーッ!



 ひときわ感極まって、アフーム=ザーが叫ぶ。

 もうすぐだ。儀式が完遂してしまう。


 ところが、そのときだ。

 とつぜん、アフーム=ザーがよろめいた。両手で頭をかかえている。世界の被膜がやぶれる崩壊の響きのなかで、何事かつぶやいている。その声が唇の動きでわかった。


「……ナイン…………」


 ノーと、ドイツ語で言っている。

 ヨナタンがイヤがっている。恐ろしい魔王を呼びおこすことを。人間を、龍郎を裏切ることを。


「ヨナタン!」


 やはり、まだヨナタンの意識が残っている。



 ——イヤだ。やめろ。来るな。


 ——バカを言うな! ここまで来て。早く呼べ! 我らが王を呼ぶのだ!


 ——ダメだ。そんなことできないよ! タツロウ。逃げて……早く!


 ——イアーッ! ナフルフタグン クトゥグア!


 ——やめろ、やめろ、やめろーッ!



 二つの意思がせめぎあう。

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