第2話 帝都の華(2)

「場はあっためておきました〜」「あと、お願いしまっす!」「姐さん、男前っ」

 すれ違うダンスチームのメンバーがそれぞれ声をかけ、テオドラはハイタッチで答える。

 そして、再びフードをかぶる。

 テオドラは彼女たちと交代する形で、1人競技場の真ん中に進んでいく。

 いや、よく見ると彼女の他に、竪琴や葦笛、打楽器などを持った男女数人が後ろから続いている。彼女付きの音楽隊で、先程通用門の木扉を開けたのも彼らである。


 観客もまた、次なる余興に期待して囃し立てるが、テオドラはフードを被り表情が見えないまま、歓声などまるで聞こえてないかのようにゆったりと競技場中央へと進んでいく。

 そして、中央に来てもテオドラはそのまま突っ立ったままだ。

「…おいおい、大丈夫かよ?」「大歓声で上がってしまったか?」「トリが新人なんてよしてくれよなあ」

 移り気で酒も入っている観客からは、不満そうな声も上がり始めた時。


 バラララララ…という、打楽器を早いテンポで打つ、いわゆるドラムロールが響く。その音とともに、テオドラが自分の着ているフードの服の胸元を掴んだ。観衆は声をひそめ、テオドラに注目する。

 鳴り響くドラムロール。それが徐々に小さくなり、消えるかと思った時にひときわ大きい、ボワァァァン‼︎という銅鑼の音。そして一気にむしり取ったフードの服。


「えっ‼︎」「うわ!」「キャ‼︎」「…全、裸?」「…いや、着てる」「…着てるな」「やられたわ」「でも、これはこれで…」「…いいスタイル」「うん、アリだ」「いいぞお!テオドラちゃーん!」

 最初は悲鳴のような声。続いて唸るような、いぶかしげな声。最後には歓声が勝った。


 服を取ったテオドラが、その下に何も着てないように見えたのも無理はない。

 上はストローピウムと呼ばれる乳帯ちちおびのみで、くびれた腹周りはへそを含めて丸見え。下はスブリガークルムと呼ばれる、本来なら男性用の、ふんどしのような特製下着で、股の際まで現れになっている。

 いわば、ビキニのような格好であり、当時の女性としてはあり得ない姿だ。

 それだけでも充分扇情的だが、ストローピウムもスブリガークルムも、テオドラの白い肌色そっくりに染めており、遠目には裸に見えるのだ。

 もちろん、観客の度肝を抜くために計算でやっていることである。


 思い通りに観客の注目を集めたテオドラは、口元に笑いを浮かべながら、ハイテンポな曲に合わせて踊り始めた。

 手を振り、腰をくねらせ、片足を軸にコマのように回る。

 そして豊かな黒髪も舞い踊る。

 12〜3歳で初潮を迎え、成人女性と認められると人前に出る時には髪を編み上げるのが一般的な帝国の慣習だ。逆に言えば、髪を束ねない姿を女性が見せるのはプライベートの時といえる。

 女性のシンボルともいうべき長い髪を、惜しげもなく解いて振り回す。身内や公衆浴場でもないのにこのような姿を見せつける。

 それは性的な誘いとみなされるものだ。もちろん、それを充分にわかっていてテオドラは踊っている。

 観客の興奮をそそるためであるのは、言うまでもない。男どもはもちろん、女性陣も社会的に眉を顰まれる行動を堂々と行うテオドラから、目が離せられなくなる。


 テオドラはスタンド近くに移動し、跳びはねるごとにボリュームある胸が揺れる。また高く足を上げる事で股を大きく開く。それらの動きのたびに男の嬉しげな歓声があがる。

 テオドラも嬉しげな顔や誘うような顔、時には悩ましげな顔など、踊りながらの百面相で歓声に答えている。

 南国の日差しに飛び散った汗が反射して、キラキラ光る。乱れ舞う黒髪と併せ、性的な行為を連想させる観客も少なくない。


 そんな感じでスタンドに沿って競技場を半周したテオドラは、反対側のスタンド傍へ。

 そして踊りながらいつのまにか外していた、細い金属の手首飾りを観客へと放り込んだ。

「おおっ〜!」という歓声とともに、男どもは手首飾りに群がっていく。

「これは俺のだ!」「いーや、俺だ!」「ちょ、押すなよ!」「痛い痛い!」

 テオドラは2つ目3つ目と手首飾りや足首飾りを放り込むたびに、同じように男どもが動く。


 そうやって観客を手玉に取っていたテオドラだが、競技場を一周したのちにはまた中央に戻っていく。

 そこにアシスタントらしい2人の女子が近寄ってきて、服、というか1枚の布をテオドラに巻きつける。

 それは当時の女性が羽織る、パルラと呼ばれる一枚布のローブにも似ているが、布を脇の下で留めて腕から上を出す形はあり得ない着方だ。下は足元すれすれまで布が垂れ、白い生地とも相まって、腕のある等身大のてるてる坊主といった風情だ。

 テオドラは笑顔を貼り付けたまま、アシスタントの着付けに身を任せている。

 次は何をするのか、期待を膨らませて観客も注目している。


 と、テオドラは合わせ目から布の中に手をつっこんでガサゴソ動かし、再び出てきた右手に握られていたのは。

 白いストローピウム。

 テオドラが着けていたのとおなじものだ。

 一瞬沈黙し、その意味が分かった次の瞬間には、「ウォォォ〜〜!」いう、うねりのような歓声があがる。


 笑顔を崩さず、また合わせ目から手を入れるテオドラ。今度はやや屈みながら足を動かしている感じだ。布で隠されているためはっきり見える訳ではないが、何かを足から抜いているような。

 息を止め、期待に溢れた観客を前に、布から出されたテオドラの左手には、観客が期待した通りのものが握られていた。

 すなわち、テオドラと同じ肌色の、小さな布切れのようなスブリガークルムだ。

 歓声が爆発する。

「ウッヒョー‼︎」「今度こそ全裸だぜ!」「え、ほんと?マジ?」「布も取れぇ〜‼︎」


 いつのまにか止まっていた音楽が流れ出す。さっきと比べればややスローな曲だ。

 音楽とそれを倍する歓声の中、両の手にそれぞれストローピウムとスブリガークルムを持ったまま、テオドラは踊りはじめる。

 単純に露出度を比較すれば、胸元以下が布で隠されているこの服装のほうが、肌は見えていない。

 だが、布一枚の下は丸裸という想像(妄想)が、男たちの劣情を刺激している。手に持たれた、ひらひら揺れる乳帯も下着もそれを煽る。


 スタンドの観客に近いていくのは同じだが、踊りは回転が多く、遠心力で布が舞い上がりちらちらと太ももが見える。それを見て頭を低くしてさらに奥を覗こうとする男も多い。位置の高いスタンドからはどうあっても見えないのだが。

 また、ジャンプして着地の時にもふわっと裾が浮き上がる。軽く留めた布上も少しづつずれ落ち、胸元が、そして胸の谷間が見え始めると、今度は立ち上がって上から覗き込もうとする男たちも現れる。

「てめっ、立ち上がんなよっ」「邪魔でみえねぇだろーが!」「うっせえわ!」「んだと、この野郎!」

 観客のボルテージも上がる。

 テオドラが手に持ったストローピウム、スブリガークルムをスタンドに投げ込むと、観客の興奮は最高潮になる。


 そんなスタンドの混乱を、余裕ある笑顔で見ているテオドラは、三度中央に進む。

 すると不意にドラムロールが始まった。そして最初の登場のように佇むテオドラは、身につけた布を掴んだ状態で止まる。

 それをみた観客は自然と声をひそめ、凪のように静かさが広がる。

 最初もドラムロールから貫頭衣を脱ぎ去って、見事な肢体を見せつけたテオドラである。

 ならば今度のドラムロールは…、という期待が多くの観客の頭をよぎっている。女性客も、顔を隠す事を忘れて凝視している。


 実際には大した時間ではなかったが、待っている観客には長く感じられたドラムロールがだんだん小さくなり、期待が膨らむ。ごくりとのどを鳴らす音が聞こえる気がする。

 そしてついに、シメの銅鑼が叩かれ、テオドラの布が自らの手で剥ぎ取られる。


「……」「……」「……なぜ?」「服、着てんじゃん…」「騙された?」

 テオドラは裸ではなかった。最初のストローピウム、スブリガークルムをつけたままだ。


 なんのことはない、布をつけにきたアシスタントの女性が密かにそっくりな乳帯と下着を渡し、布の下であたかも今脱いだような仕草をして取り出しただけだ。

 初歩的なトリックだが、見ていた観客の期待を裏切ったのは事実だ。雰囲気が急速に盛り下がっていくのがわかる。


「皆さん、ごめんなさいねぇ〜‼︎」

 ここまでシナリオ通りに運んできたテオドラだ。こうなることも当然折り込み済みである。

「正教会のお偉いさんに、これ以上みっともない格好はしてはダメって釘刺されたのよ〜!」

 音響を考え設計された競技場は、テオドラの低めの声でもよく通るスポットがある。その場所から競技場のスタンドの一角を陣取っている、白服を基調とした一団を腕で指す。

 そこには帝国で広く信仰されている、正教会の聖職者の集団がいる。

「……ちっ」「……来てんじゃねぇよ」「教会にこもって、祈り捧げてりゃいいだろうが」「何しにきてんの?」「エロジジイが」

 表立って非難はできないものの、普段、壇上から偉そうに説教を垂れる正教会の聖職者には、反感を持っている者も多い。

 テオドラとしてはうまく不満を正教会と聖職者に転嫁した形だ。

 一方で、いきなり観衆の不穏な視線にさらされた聖職者たちは、目を白黒させている。


「この競技場ではここまでだけど!」

 移り気な観衆の不満をそらしたテオドラは、再び観客に語りかける。

「お店に来てくれれば、もっとドキドキな体験をすることができるわ!お金とお暇がある皆さんは、港通りの『青宝の酒場』に来てね‼︎」

『おうっ!』と期せず揃った男たちの声。

「絶対行くわ〜!」「お金はないけどな!」「お安くしてね〜!」などという声も。

 それらの声に笑顔で手を振り、愛想を振りまくテオドラ。


「これにて、チーム蒼青の余興は終了いたします!」

 頃合いを見計らって、テオドラは終わりの口上を述べる。

「そして、このような競技会を提供していただいた皇帝陛下と御眷属、並びに帝都諸賢の皆々様のご多幸をお祈りいたします!」

 そう言ってテオドラは、皇帝一族が臨席している正面のスタンドに向かい、跪拝きはい(片膝を付き、右手を胸に頭を下げる、最上位の感謝を表す儀礼)を行う。

 民衆にとっては娯楽でも、形式的には皇帝から下賜される公的行事なのがこの競技会だ。余興演技者は最後に皇帝陛下への感謝の口上を述べるのが慣例とされる。この時ばかりは口さがない観衆も黙って皇帝にこうべを垂れる。


 テオドラの跪拝をうけて、老年の皇帝は鷹揚に手を振って答える。

 一方、横に座っている皇后は扇で顔を隠し、不快を露わにしていた。

『まあ、年配の女性にはウケないか』

 テオドラの踊りは、基本男性目線しか考えていない。保守的な女性などからは蛇蝎のように嫌われることが多い。

『その横に座っているのは……、前回はいなかった幸運児様かな?』

 跪拝の姿勢のまま上を仰ぎ見ているテオドラと、皇帝夫妻の右横にしつらえた椅子に座った、くせっ毛の黒髪男性との目線が、瞬間交わった気がした。







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