最高の死装束は 〜踊り子は、いかにして皇后に成り上がったのか〜
墨華智緒
第1話 帝都の華(1)
石造りの競技場の地下通路は日差しが入らないためもあり、薄暗くひんやりとしている。
外、というか場所的には上になる観客席の歓声も、多くは石壁に吸われてそれほど大きくは聞こえてこない。
かつて闘技場として使われていた時代には、剣闘士たちが戦いの場に向かい、そして時には死体となって運ばれたこの地下通路を、1人の女性がゆっくりと歩いていた。
顔ははっきりとは分からない。フードのついた貫頭衣をすっぽりとかぶっているし、そもそも高いところにある灯窓からの採光だけでは薄暗くてはっきりしない。
小さい背や華奢な体つき、フードの下からのぞく鮮やかな紅を塗った唇などから、女性だろうとは想定されるが、それだけだ。
葦を折って作った動きやすそうなサンダルをしっかり脚に
通路が行き止まる。
いや、仄暗い中で目を凝らせば、壁ではなく頑丈そうな木の扉が立ち塞がっているのがわかる。扉の脇にたたずむ2人の男が女の姿を認めると、軽くうなずき、ガラガラガラと重そうな扉をスライドさせる。
光景が一変した。
南国の眩しい日差しが女性に降り注ぐ。
そして競技場を埋め尽くす観衆の雑多な声。楕円形の競技場の石壁に反響して混ざりあい、うわーんうわーんと意味のない音声となり、女性を包む。
女性はフードを取ることもなく、競技場の砂を踏む。
幾万の観衆の目は、中央の一群の女性たちに注がれていた。
10人ほどの女子が同じ振り付けでパフォーマンスしているのだ。
腕を振り、跳びはね、回る。観客は声や手拍子で音頭を取り、彼女たちは笑顔で応じている。
「ふぅん」
日差しを避けるようにフードを被ったままの女性は、石壁に背を預けて腕を組んだ。
「アナたちも練習積んできたんだねぇ。動きが揃ってきてる」
フードの下の紅い口元が、にやりと上がる。
たが、観客が彼女たちに注目している理由は、踊りのうまさでは、多分ない。
彼女たちはみな同じコスチュームをしている。青で染めた服にズボン、髪も全員青で着色している。
そしてチュニックと呼ばれる上着は丈が足りず、跳ぶたびにへそが見え隠れする。袖も短く二の腕があらわになっていて、その一方で首回りは広くとってあり、胸元まで覗けそうになっている。
ブラーカエというズボンも不自然に短く、白いふくろはぎもあらわで、ももの半分あたりまでしか覆っていない。
女性はダルマティカと呼ばれる体の線が見えない、ゆったりとした服を着るのが一般的な時代だ。人に見せるのは顔と手元だけ、足はくるぶし以下という当時の女性のたしなみからすれば、相当に外れた扇情的な服装といえる。
現代日本で言えば、下着姿で踊っている感覚だろうか。
そう、観客は踊っている彼女たちの服装に、そのエロさに興奮しているのだ。
「いいぞおー!」「もっと脱げ〜‼︎」「こっち、こっちぃ!」「たまらんぜ!」
観客からの下卑た、笑いを含む歓声からもそれはわかる。
もちろん観衆には女性もいる。彼女たちはあるべき慎みとして顔を手で覆ったり、扇で視界を遮ったりしているが、手の隙間から彼女たちを覗く者、扇をパタパタ動かすことでちら見する者など、興味ある女子も少なくない。
こんな服装が許され鑑賞できる機会などは、この時この場所しかないのだから。
♢♢♢
皇帝や有力貴族といった為政者によって提供される、これらの興行は無償で観戦できることもあって、帝都のみならず周辺の諸都市からも集客が見込める。宿は満室となり、屋台が競技場周辺から街路にまで溢れ、三重の城壁に囲まれた帝都の人口密度は倍以上に感じられる。
1日の戦車競技大会で十数レース組まれるのが普通だが、ドライバーと言われる騎手の休憩やコース整備の必要もあり、おおよそ3レースごとにインターバルが設けられている。
そして、いつの頃からか、空いたインターバル中の競技場で余興や寸劇が行われるようになっていた。
戦車競技はチーム戦であり、帝都の場合、翠緑、蒼青、緋赤、真白の4チームがしのぎをけずっている。当初はそれぞれのチームの応援団員による素人芸に過ぎなかった余興も、いつのまにか余興の良し悪しを応援団で争うようになると、それぞれが劇団や曲技団を雇って張り合う場に変わっていく。
そうなるとエンターテイメントとして成長するようになり、この競技場の公演で人気を得た劇団が、帝都で常設の劇場に立つことも起こる。名を上げたい曲技団、芸人、劇団は自らの芸を磨き、競技場での大歓声を夢みるようになった。
彼女たちの扇情的な踊りもその延長線上にあるものだが、彼女たちは本来芸人ではない。
彼女たちは、娼婦であった。
♢♢♢
彼女たちの動きが、天に腕を突き上げて止まる。フィニッシュのキメポーズだ。
観客からの歓声や拍手も、ひときわ大きくなる。
『でも、終わりのタイミングがわかってない観客もいるようね。楽団をつけたほうがいいかも』
フードの女は、競技場全体を冷静に見ていた。改善点を考え、次に生かしていかないとすぐに観客に飽きられてしまう。
『でも、これで終わりじゃないわよ』
女の口元が楽しそうに上がる。
と、アシスタントらしい女子が、キメポーズ中のダンスチームに近づいていく。
そして持っていた手桶の水を、バッシャーンとダンスチームにぶっかけたのだ。
思いもよらぬ動きに、観客からもどよめきが起こる。
だが、ダンスチームは笑顔のままである。そしてかけられた水によって衣服が張り付き、体のラインがくっきりと現れる。肌も透けて見える、ような気がする。
こうなれば観客にも演出の一環とわかる。下卑た歓声が飛ぶ。
「やってくれるぜー!」「いい体してるわ!」「乳たまらん!」「お店行くわ〜!」
そんな声の中、ダンスチームは笑顔で手を振りながら、退場していく。
そして、彼女たちが向かう通用門もかたわらには、先程のフードの女が壁を背に立っている。
「テオ姉っ」
ダンスチームの先頭を歩く、小柄でかわいい女性、いや、顔立ちからすれば、女の子と形容すべきなのかもしれないが、水や汗で濡れた顔をぬぐうこともせずに弾んだ声をかける。
すると、ここで女がフードを取った。
色白の肌に黒髪。アイシャドウで強調されてはいるが、大きくパッチリとした目。整った鼻筋。それらのパーツがバランスよく配され、誰が見ても美女と呼べる顔が現れる。
「よかったわよ、アナ」
思いのほか低めだが、落ち着いた声が「テオ姉」と呼ばれるフードの女から流れる。
「前回と比べて、演技がシンクロできているわ」
「仕事ほったらかしで、練習したからねっ」
アナと呼ばれたかわいい女性は、嬉しそうに答える。髪の色はくすんだ赤毛で、姉と呼ぶ美女とは違うが、鼻筋や口元などのパーツはよく似ている2人だ。姉妹というのもうなずける。
「これの練習だって、立派な仕事よ」
私たちがのし上がるために、必要な仕事。
その言葉は口に出さず、心の中でつぶやく黒髪美女。
「テオ姉、次頼むねっ」
歩みを止めずに通用門へと向かうアナ。その右手がスッと上がる。
「任せて」
再びフードを頭にかぶり、出されたアナの手を力強くパァン!と叩く。
「この観客を、さらに盛り上げてやるさ」
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