思いどおりに生きられない
大甕 孝良
Ⅰ あなたがいないと生きられない
あなたがいないと生きられない(1)
私を知るすべての人へ。さようなら。
そう書いた紙切れの出番はなくなった。別れを告げようと決めた原因が、先にこの世を去ったからだ。
葬式の場は居心地が悪かった。喜びの感情が湧いたわけではなかったけど、悲しいとも思えなくて。でも悲しい顔はしないといけなくて。ずっと下を向いていた。
あの人はきっと、惜しんだだろう。自ら終わらそうとした私とは違って。惜しまれてもいるだろうし。それに対して特に思うこともない。あの人はいつもうまくやっていた。私に見せる顔と他の人に見せる顔を使い分けて。
数日前のことを考えながら、学校の帰り道も下を向いて歩く。部活動もなにもしていないし、遊びに行くような友達もいない。いつも何もないまま、帰り道をゆっくり歩き、少し寄り道をしながら家に帰る時間を遅らせる。
私には、やることも、大切なものもなにもない。なにもなくなってしまった。
ふと、視線を横に逸らせば、公園で遊んでいる小学生と不審者。真っ黒な服を着た細身の若い男。軽装で洒落っ気がなくて、遠くを見ている。危ない人、だろうか。何もしていないのに通報するわけにもいかないし、でも見過ごしてなにかあったら、寝覚めが悪すぎる。
終わろうとしていた命だ。小学生の代わりになにかしら犠牲になってもいいか、と自分に言い聞かせてその男が座るベンチの端、男と0.5人分の間をあけて座った。
そっと隣を伺う。特に何をする様子もなく、近くで見ればどこかに凶器を隠してそうにも見えない。
「うーん、なんか怪しまれてる?」
視線をこちらに向けないまま、その男が口を開いた。思わず怯むが、思ったより穏やかな声と表情に少し拍子抜けした。
男は大学生くらいだろうか。あの人が好きそうな整った顔だ。
「少し、気になりはしましたけど」
どう答えたら、安全を確保できるだろうか。小学生たちが早く家に帰ってくれないかと思わず願う。
「怪しいと思ったなら近づいちゃダメでしょ。危ないよ」
思いもよらない言葉をかけられて、早くなっていた鼓動が少し大人しくなった気がする。
「小学生のほうが、心配で」
「勇敢で優しいのはいいけど、自己犠牲的なのは良くないよ。自分の身は自分で守らなきゃ」
悲し気な表情で諭される。その時に初めて目が合った。
「あれ、君どこかで……」
「……ナンパですか?」
「ごめん、忘れて」
少し困ったように笑いながらそう言った後、立ち上がる。それに思わず警戒して反応してしまうが、男は特に気にしていないようだった。
「別にやましいこともないし、怪しい者でもないんだけど、怪しく見えると思うので帰ります」
「いや、すみません。そんなつもりは」
「大丈夫、大丈夫。どこも居心地悪くてさまよってたのが怪しく見えるのは仕方ない」
居心地が悪い、という言葉に急に親近感がわく。同時に自分の単純さに嫌気がさした。誰かを近く感じることがなさ過ぎて、簡単に騙されそうで良くない。
「ここは居心地よかったですか?」
それでも思わず聞いてしまった。私も居心地の良いところを見つけられないから。
「自分に興味や関心を持つ人がいないのが良いなって思って」
「すみません」
「いやいや、そういう意味じゃなくてね。ちょっと最近近しい人が亡くなったせいで、悲しい人でいなきゃいけないのが辛くなっちゃって」
男が零した言葉を反芻する。より一層親近感を持ってしまう。
「ちょっと違うけど、似てる気がします、その感情。私もいとこが亡くなって」
「あんまり仲良くなかったの?」
「そうです。色々、あって」
この人に全部ぶちまけて寄り添ってほしいという気持ちと、初対面の人になんでも話すんじゃないという冷静な自分がいる。何も知らないこの人に、話をしたら楽になるだろうか。弱みを見せてそこに付け込まれて、痛い目に遭うんじゃないか。そんなことが頭の中をぐるぐると回る。
「いいよ、話さなくて。話すことに少しでも不安があるなら。話したいなら聞くけど」
「すみません、色々考えちゃって」
「警戒心は持ったほうが良い。もし、それでも話したくなったら、次に会えたら話してよ。また偶然出会えたら」
「また、会えたら……わかりました」
この人は信じてもいいのかもしれない。そう思わせてくる。この人になら騙されてもいい、なんて。
私はその人と公園を出たところで分かれ、再度帰路につく。一度振り返ったらその人もまっすぐ歩いていた。ポケットに両手を突っ込んで。
私は前を向いて歩いた。今日の夕飯は何だろうか。
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