第3話 鉢合わせ

 ここから見える港までの距離を考えると、あと五分もしないうちに着港してしまうだろう。先ほど鳴った汽笛のような音も、おそらく着港に際しての上陸準備、それから積み荷の運び出し準備などの合図なのかもしれない。


 つまりもうほとんど時間は残されていないと考えたほうがいい。隠れる場所を探すなら、とにかく急がないと。


 降りてから気づいたことだが、先ほどの木板張りの部屋とは違い今いる場所の足元は鉄板張りだった。あまり激しく歩けば大きな音も鳴りやすい材質なため、ここからは少し慎重に、注意を払って移動する必要がありそうだ。


 それにしても大きい船だ。外に出たことでようやくおおよその全体像を把握できた。いわゆる大型貨物船というやつか。形は結構違うが、昔遠足で行った港で見たフェリーを思い出させる風貌だ。


 俺が先ほど出てきた部屋の外壁も含め、全体的にクリーム色に塗装されており、それのおかげか大きさの割に可愛く見えた。ただ、実際に見たもの含め今まで写真等で見てきたそれらとは結構形が異なる船だった。全体的にカドが少ないというか。海外だとこういうデザインが主流だったりするのだろうか。


 船体を軽く眺めつつ、俺は船尾のほうへと向かってみることにした。船首のほうでは何かしらの作業が行われているのか、物音や話し声が風に乗って聞こえてきていたからだ。


 周囲に気を配りつつ歩くこと数分。船尾側の甲板にたどり着くことができた。幸いこの辺りには誰も居なかったため、どこが身を潜められる場所がないかを探し始める。


 船尾の末端には、船内に続いていそうな扉が一つあった。さすがにここで中に入って隠れるのはリスクが高すぎる。


 なら外のどこかに隠れられるかといえば、ざっと歩き回って見た限りでは見当たらない。物陰といえるほどのスポットがほとんど無かった。


 そう都合よくはいかない、か。


 しかしそうしている間にも刻一刻と到着の時は迫っている。いよいよ本格的に焦りが出始めたせいか、俺は一か八か船内に入ってみるかという無謀な思考に侵されていく。


 時間的、そして精神的な余裕のなさが、冷静な思考を奪っていた。


 そして無慈悲にも、その時はやってきてしまった。


 一際大きな重低音。先ほど聞こえてきたものとは違い、広く遠く響き渡るそれはまさに着港を知らせる汽笛だった。


(くそっ、もう迷ってる場合じゃない!)


 俺はその宣告にも思える音に追われるように扉へと向かった。


 手を伸ばせばドアノブに手がかかる、その時だった。


 扉が勢いよく開かれ、俺の指先を掠めた。


 驚きで咄嗟に体を仰け反らせる。


「到着だぁ~! ——あ?」


 扉の向こう、満面の笑みとともに現れたと、ばっちり目が合った。


「…………」


 あまりに唐突な対面に、俺は声が出なかった。それどころかその場から一歩も動けなかった。


 驚きが限界を超えると、飛び上がるどころか固まるんだなと、一周回って落ち着いた思考の片隅でそんなことを考えた。


 どことなく眠気を感じさせる垂れ気味の大きな赤褐色の瞳。それと同じ色合いの、丸顔に程よく沿ったショートの髪を風に靡かせながら、その人物は驚き顔で俺を見つめる。


「え、あれ? もしかして僕の他にもいたの? うそ、聞いてないよ~!」


 目の前の少年?は、そう声を上げた。


 え、他にも……いた?


 それは、俺のようにここで意味も分からず目覚めた人間という意味なのか、単純にで船に乗っていた人間ということか?


 ——当然後者だろう。「着いた」と言って甲板に出てきたのだから、事前に分かっていなければそういう反応にはならないはずだし。


 ほんの一瞬だけ、自身と同じ境遇の人間を期待してしまった。


「でもおかしいなぁ。僕以外の子供も乗ってるなら教えてくれてもいいのに」


「あ、えと、ちょっと待って……! その、いきなりで意味わからないと思うんだけど、俺がここにいることは誰にも言わないで欲しいんだ!」


 彼が誰なのかはわからない。いや、いっそこの瞬間だけはどうでもよかった。今俺にとって最も重要なのは、誰かに俺がこの船に乗っていることを知られてはいけないということ。そして俺はまだこの少年にしか認知されていないということ。


 そんな思考の果てに口をついて出た言葉が、先ほどのものだった。きっと半端なごまかしは逆効果だと思った。


「えーっと、その……君は誰?」


「へ? ……ああ、俺は……タクム。君は?」


「そっか、タクムっていうのか! 僕はリギートっていうんだ! よろしく~」


 唐突な質問に呆気にとられ、思わず名乗ってしまった。とはいえ、初対面ならまずは自己紹介しあう。当たり前といえば当たり前のことだ。——こんな状況でもそれが適用されるのかはわからないけど。


 そんな俺の様子にも関わらず、朗らかな笑顔とともにリギートは快活に返してくれた。


「その感じだと旅行じゃなさそうだねぇ……。もしかして──タクムは家出か何かでこの船に忍び込んだの?」


「え、家出……」


 思わぬ指摘に言葉に詰まる。初対面なのに何だかかなりフランクに聞いてくるな。しかしそうか、彼から見れば俺は家出少年のような感じなのか。


「そ……そうなんだよ。いけないとは分かってたんだけど、どうしても元居た場所から離れたくてさ。だからお願いだ、誰にも言わないでくれ! あの港町で降りるだけでいいんだ!」


 勘違いを利用させてもらい咄嗟に思いついた出まかせだが、そこまで不自然ではないはず。少しばかり良心が痛んだが、彼——リギートに不利益がないのだから大丈夫だと自分に言い聞かせた。


 先のことは全く考えてはいないが、港町に降りることが現状、俺が取り得る唯一の目的であることは確かなわけだし。


「そうなんだ。うん、わかったよ。誰にも言わないよ」


「え、いいのか? その、あ、ありがとう……!」


 リギートは小さく頷くと、俺の願いをあっさりと快く受け入れてくれた。


「ただ、港に着いてから人目につかないように降りるのってだいぶ難しいんじゃないかなぁ」


「ま、まあ、正直それは薄々感じてはいたよ……」


 当初の計画では、隠れてしばらくやり過ごした後、タイミングを見計らって下船するつもりだった。ただ、仮にやり過ごすことができたとして、どこから降りればいいのか、人目につかずにそこを通過できるのかという懸念があった。


 最悪港に向かってなりふり構わず駆け抜けてしまってもいい、そんな最終手段も一応は考えていた。町のどこかに適当に隠れてしまえばいいだろうと思ったのだ。しかし盗難が疑われれば捜索が始まる可能性も十分にある。そして捕まるようなことがあれば状況はむしろ悪化する。


 つまり、いろいろと穴の多いひどく姑息な計画だった。


「……よし、じゃあ僕が手伝ってあげるよ! 幸い国内船だから荷物検査もないしね」


「え、いいのか……⁉」


「なんか年の近い相手が困ってるの見たら、ほっとけなくなっちゃったからさ。それになんかこういうのって楽しそうだし!」


 あはは、とリギートは軽快に笑った。


「いや、でもこんな会って間もないやつなのに……」


「会ってすぐ何かするなんてしょっちゅうだよ~。旅なんて出会っては別れての繰り返しなんだから」


 俺の不安なんてなんでもないといった風に、リギートはそう言ってのけた。


 その語り口から察するに、彼は今回だけではなくきっといろいろと旅をしてきたんだろう。見た目だけで言えば俺と同い年くらいか、少し年下だというのに。


 経験のない俺には想像できない世界だった。俺の旅の思い出なんて、精々遠足や修学旅行程度のものだ。それらを旅と同列にしていいのかさえわからないが。


「すごく……助かるよ。よろしく頼む」


「はいよー! じゃあまずは他のみんなが来ちゃう前に準備しないとね」


 こうして唐突すぎる偶然の出会いを経て、俺の——俺とリギートの下船作戦が始まるのだった。

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