第15話 帰ってきた
「ふう、二百体も試験体を注文して、なにをするつもりなのか……」
暗殺請負組織、チームイリエの直属の上司を務める男が、デスク上に大量に積まれた書類を整理する。ペーパーレスの時代ではあるものの、データは遠隔で盗まれてしまう……、
重要なものであればあるほど、やはりアナログの方が守りやすい……。
とは言え。
当然、暗殺だけでなく、依頼されれば他社の情報を抜くこともある。
その際、相手も同じ対策をしているために、直接、相手の金庫やら地下室に忍び込むこともある。つまり、仕掛ける側の手法を熟知してしまえば、守る側の穴も分かってしまうわけで――。
完全に、誰の手も届かせない守りは作り出せない。
だからいくらかは盗まれるもの、と割り切るしかないのだ。
虚実を混ぜる。真実を分散させる。真実を複数用意する――、探らせる方にどこで打ち止めなのかを分からなくさせれば、ゴールと錯覚させたその先の情報は盗まれないのだ。
そういう作業を今、しているのだが……、さて、これも真実なのか。
いや、複数ある真実の中の一つなのか。
上からの命令をただ黙々とこなしているだけだ、細かいことは分からない。
ともかくだ――、
「仕事が終わらねえ……」
早く帰ってこい、レイ……と上司が呟く。
帰ってくれば色々とあんなことやこんなことが――と、頭の中がピンク色に染まる。
いけない、と上司が苦味しかないコーヒーを飲み、頭を目覚めさせた。
性に緩んだまま仕事をしていれば、文字に出る。
咄嗟に電話に出た時に、下ネタを口走ってはリカバリーができない。
もしヘマをしても、笑って流せるようなキャラではないのだから。
「おっと」
マグカップに肘が当たり、デスクから落ちてしまう。幸い、飲み干した後だったので、地面に広がる破片だけを拾えばいいだけだが……、それでも無駄な仕事だ。
膝をついて破片を集めていると……、気づかなかったが、飲み干したコップの底面に『大好き』、と文字が刻まれていた。
最近、レイからプレゼントされたマグカップだ……、高級品ではあっても、いつでも買い直せるものだと思っていたが、まさかオーダーメイドか?
粋なことをする、と頬が緩むと同時に、不吉な予感もする――割れたマグカップ。
レイからのプレゼント……、『大好き』。
「……レイ、無事に、帰ってこいよ……」
そしてそれは、見事に旗を立てたのだった。
―
――
―――
白骨たちに囲まれ、逃げ場を失い、
プロジェクト・ラプンツェルの肉体を利用した悪魔たちに襲われるイリエ、せつな、ルイ――、劣勢だが、それでも場数を踏んだ暗殺者であり、試験体だ。
ルイは技術不足を不死で補い、なんとか、できる限りで対処しているが……、それも時間の問題か。
ぜえはあ、と息を切らすイリエは、数体の白骨を倒しただけだ。
せつなは戦いたい気持ちこそあれ、体がついていかない。
ルイは、暗殺者どころか、戦士としての技術がまったくない。
あの三人がまとまったところで、ユキ、一人にも届かない。
時間がいくらあろうと、相手の勢力を削ることは叶わないだろう――無謀だった。
見えているゴールが遠過ぎる。抗わなければ殺されるとは言え、それでも、挑まない方がまだ楽な死に方ができるはずだった……、にもかかわらず、彼女たちは戦っている。
誰のために?
ユキのためだ。
――私の、ためですか……。
どうして、とは、思っても、口からは出なかった。
分かってしまうからだ。
みんな、自分のことが、好きなのだと。
こんな自分を好きでいてくれている……。
ルイに至っては、恋愛的な意味で、だ。
自分に好かれる価値なんてない、とは、さすがに思えなかった。
それは。
自分を好きになってくれた人を、否定することだから。
それだけは、言ってはいけなかった。
「つらい、です……っ」
守られることが。
大切な人が傷つく姿を、後ろで見ているだけなのは。
こんなことなら。
こんな気持ちを味わうくらいなら――。
まだ、自分が戦った方が、マシだと思ってしまうくらいには。
「しまっ――」
イリエを狙う錆びた剣。
経年劣化により刃こぼれしたそれは、斬るというよりは削るに近いか。
どちらにせよ、女の子の肌を壊すことに大差はない。
蓄積による疲労で膝が崩れたイリエを狙い、複数の白骨が彼女を狙う。
四方から剣が振り下ろされ、彼女は対処できない――、できたとしても一方、もしくは二本の剣だけだろう……、余った二本はイリエを容赦なく破壊する。
もうダメだ、そう直感したイリエがぎゅっと目を瞑る……、やがて。
だが、覚悟していた肉を削る感覚はなかった……、
ぼとり、と、足下に転がるそれは――、頭部。
白骨の、頭蓋骨だった。
「え……」
「無事ですか、イリエ」
「ゆ、き……」
手の平の上で転がすように操るナイフが、高速で飛んでいき、戻ってくる、を繰り返す……、
ナイフにつけられている、見えないピアノ線で、手離した後に、すかさずユキが引き戻しているのだ。
まるで、ヨーヨーのように。
投擲されたナイフが、白骨の各関節を破壊している。
関節部分を失った白骨のパーツが、地面に落下していく。多数の白骨を砕いていては時間がかかり過ぎる……だから、接続部を破壊してしまえば、白骨はその形を維持できない。
ナイフを投擲し、狙った場所に当てる正確性と技術、そして腕力――、全てを持っているのはユキしかいない。力はあっても的をはずしてしまう者や、的に百発百中だが、パワー不足になってしまう者はいくらでもいる……、でもユキは、その両方を持っている。
ここぞという時に失敗をしない精神力も、彼女が長年、成績一位であった証明だ。
彼女に欠点があるとすれば……、そう、他人を殺す罪悪感。
悪魔に利用され、姿を変えられたモモを殺すことへの、罪悪感だったが――、
ユキの手からナイフが放たれ――、蠅の王の肉体に突き刺さった。
「――ユキ!? そんなことしたら、モモが……ッ!!」
「もう大丈夫です……、もう、殺せない、などという甘えは、言いません」
蠅の王の肉体は、以前のモモの形の見る影もない。だが、どこか体のしわがモモの表情に見えて、それでいいのよ、と言ってくれているように感じたのだ……、
だから、というわけではない。
たとえばモモが、死にたくないと訴えていようとも、きっと今のユキならば同じことをした。
こうして、殺すと決めたなら、容赦をしなかったはずだ。
戻っている。
イリエが知る、昔のユキに……。
「本末転倒だな、と思いました」
「…………」
「今でも変わりませんよ、人を殺したくはありません。
だから暗殺者を続けるという選択肢は、万に一つも私の中で蘇ったりはしません……。
ですが、私が相手を殺さないことで、ルイ様やあなたたちが死んでしまっては……、
私は後悔するでしょう……」
罪悪感で苦しんでいるのに、復讐に憑りつかれてしまえば同じことだ。
罪悪感を忘れるだろう……、皮肉なことに。
他人を殺さず、大切な人を殺されて――、自身の手を赤で染める?
悪循環だ。
「攻撃されたから攻撃してもいい、というわけではありませんが……」
「いいでしょ、それは。アンタは……優し過ぎるのよ。赤の他人を気にし過ぎ」
「ええ、そうだったのかもしれません。赤の他人を意識し過ぎて、近くにいる大切な人たちのことを疎かにしてしまっていましたね――、まったく、どっちが大事なのか、私の目は曇っていたようですね……。選ぶまでもなく、分かっていたはずなのに――」
ルイを、イリエを、せつなを守るためならば。
ユキは、暗殺者ではなく、
ユキ・シラヌイとして、敵を殲滅する。
罪悪感は残るだろう……、ユキを連日、苦しめるはずだ。
悪夢にうなされることも覚悟の上で。
それでも、みんなを失うよりはマシだから。
「ごめんなさい、イリエ……、私がもっと早く決心していれば、怪我などさせずに――」
「ユキ」
イリエは責めなかった。
表情やら口調やら、一切の不満はない、というわけではないが、それでも。
今だけは続くその一言に集約させている。
不満も文句も呆れも説教も。
喜びも――、安心も一緒に。
「おかえり、ユキ」
「……ただいま、イリエ」
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