第14話 イリエ・ダ・ヴィンチ

 プロジェクト・ラプンツェルに参加している試験体――少女たち。


 イリエと同じ年齢の少女がいれば、せつなよりも年下の、幼女もいる……、

 彼女たちはモモの末路を見ても、一切、動じなかった。


 自分もこうなると分かっていながら、これが『上』の選択だからと反発を諦めて。

 いや……、反発するという発想がないのか。


 教育によって削ぎ落されたか。


 せつなも、最初に出会った時はそうだった。

 自身の肉体がどうなろうが決められたことだと納得し……、受け入れて。


 だが、せつなは今、嫌なことは嫌だと言える心を取り戻した。


 それは、イリエと出会ったからだった。



 環境。


 実験場から外へ出て、外部の情報を取り込むことで、試験体は人間になる――。


 実験場という閉鎖空間の中では、情報は制限され、試験体をまとめる『先生』の言うことが常識となる。先生が言うことが正義なのだから――、



 目の前の試験体たちがイリエと出会っていたら、こんな末路にはならなかったかもしれない。

 ユキやモモ、レイと出会っていたら、

 やはり試験体の意思が尊重されるだろう……、だからイリエだけなのだ。


 道具、人形を自称する試験体と正面からぶつかり、

 相手の意思を曲げようとさせる、我の強い暗殺者は、イリエ以外にはいない。



 生粋の暗殺者。

 ゆえに、中でも異端なのだ。


 ……だから、彼女は幸運だった。


 たとえユキという共通の憧れを抱いていなくとも、きっと、イリエは放っておかなかっただろう……、なんだかんだと言いながらも、先輩風を吹かせたい子供っぽい人だと、せつなはイリエをそう評価した。



「……みんな……」



 仲間でも友達でもない、同じ実験場で、切磋琢磨したライバルたち。


 それでも、敵対こそしていなかった。

 毎日、顔を合わせる知り合いであり、会話を交わしたこともある同級生――、


 そんな彼女たちの、変わり果てた姿を見て、


 せつなが息を飲んだ。


 バキバキと骨が折り畳まれ、小さく小さく、丸まっていく。

 中身の血液が雑巾を絞るように流れ落ち、土の中へ染み込んでいく。

 凹凸のある肉の球体がさらに形を変えていき、十人十色の粘土作品へ……、


 それらは悪魔本来の姿だ。


 もちろん完全再現こそされていないが、

 悪魔がこの世界で動きやすいように調整されたアバター……、

 プロジェクト・ラプンツェル、その試験体の新しい使い方。


 悪魔だけで思いつくわけがない。

 イリエも知らなかった、秘匿された計画なのだ。


 情報を漏らした者がいるのは、誰の目にも明らかだった――、レイ。


 館八馬・アシッド・レイ。


 彼女はプロジェクト・ラプンツェルの試験体を使い、多くの悪魔をこの世界へ、降ろした。



「ユキちゃんを殺すことは、私にはできないわあ……でもね」


 白骨の間を悠々を歩き、この世界に降りた仮の姿の悪魔とすれ違いながら。

 呟く。


「積み重ねた仕込みで、天災は鎮められるのよ」



「――待ちなさいよっ、レイッッ!」

「せんぱっ、待っ――」


 頭に血が上ったイリエが、レイに噛みつこうと必死に追いかける。

 道中の白骨のことなどお構いなしに、はめられた憎しみはレイにしか向いていない。


 振り下ろされた錆びついた剣が、イリエに迫るが、彼女を追いかけたせつなが寸前のところでナイフで受け止めていた。だが、それも時間の問題だろう……、


 白骨たちがイリエに照準を合わせている。


 隆起した土に足を引っ掛け、転んだことで、イリエがやっと止まった。


 運良く、振り下ろされた剣が、転んだことでイリエから逸れている。


「そういうところは、ユキちゃんよりも運が良いのよねえ……、

 実力不足のくせにそうそう死なないのは、そういうカラクリなのね」


「だ、誰が実力不足なのよ!?」


 足を止めたレイが振り向き、溜まっていた鬱憤を晴らすように。


「あら、違う? 業界歴が長いことを理由に、大きな顔をしているだけで、特別な技術も才能もイリエちゃんにはないじゃない」


「はぁ!? アタシには、毒使いとしての自信が――」


「別に、学べばできるようになるでしょう? ユキちゃんは言わずもがな、私だってモモちゃんだって、軽くならできるのよ。初歩さえ分かってしまえば、あとは時間をかければイリエちゃんと同じ領域にはすぐに立てる……、

 普通はサブ程度なのよ、毒なんて。

 それをメイン武器として使っているところが、諦めよねえ……」


「……諦め、ですって……っ」


 イリエは自覚していながらも、言わないわけにはいかなかった。


「そうよ、諦め。ユキちゃんに敵わないから、あの子をサポートする戦法を優先して選び、突き詰めた――その選択は責めたりしないけどねえ、なら、大きな顔をするなって話」



「誰にでもできることを自慢して、仕切らないでくれるかしら?」



「アン、タ……ッッ」


「図星だから言い返せない? ふふ……、でも、イリエちゃんも思っていたんじゃないの? 

 もしも、ユキちゃんがいなければ……? イリエちゃんが、今も一位だったものねえ」


 レイが言う一位は、その年齢にしては、と注釈がつくが、実際に業界成績一位を取り続けた事実がある……、レイが下に見た発言をしたが、イリエの毒使いとしての技量は、そうそう追いつけるものでもなく、毒の脅威は腕力を活かした力技よりも充分に脅威だ。


 しかし今のイリエは、それを冷静に判断できる精神状態ではなかった。


 心の中を、抉られた気分だった。


 埋めていたはずの欲求を、掘り起こされている。



「ユキちゃんがいなければ。この業界に墜ちてこなければ――、

 過ぎたことに文句を言っても仕方ないわよねえ。なら、この手で始末できるなら?」


「…………」


「この状況、ユキちゃんであっても、逃げられないわよねえ? ……たぶん、ユキちゃんならもしかしたら……、でもまあ、無理でしょうね。

 ユキちゃんでそのレベルなの。なら、イリエちゃんは絶対に抜け出せない……、どうかしら。

 ユキちゃんに加勢するよりも、私についた方が賢いと思うけど?」


 つまりだ。


「ユキちゃんの首を差し出せば、イリエちゃんは助けてあげるわ。

 もちろん、せつなちゃんもね……、

 でも、邪魔をするならユキちゃんよりも優先して、二人を殺す――」


 白骨たちの意識がイリエとせつなに向いた。

 仮の姿を持つ悪魔も、一瞬だが、イリエを見た。


 殺害対象として、認識した。


 ……美味い話だ。


 もしもこの取引き自体が嘘だったとしても、イリエに選択肢はない。

 乗らなければ殺される。相手が意識してイリエを襲うまでもなく、強者と強者の間に挟まれてしまえば、気づかれなくとも巻き込まれてしまう。


 レイの言葉に乗り、ユキの首を差し出す道しか、生きる術はない――。


 分かっていたし、考えもした。

 ユキがいなければ、なんて、何百回と考えたことがある。


 彼女がいない世界で自分がどうなっているのか、想像したことがある――。


 その上で。



「ユキがいない世界に、意味なんてあるの?」



 越えるべきライバルとして見ることを諦めたイリエは、ユキを追いかけることで、彼女の役に立つことで、自分のこの業界での道を見つけた。

 それが苦しかったわけではない。


 ユキがいることが、この業界にとっては、大事なことだと思ったから――それに。


 ユキを越えることは、やはりできない……でも、越える必要があるのか? と思う。


 同じチームに、同じ道を歩く暗殺者は二人もいらない。

 違う道を進み、肩を並べる実力である方が、

 越えるよりも全然、彼女に追いつけるのではないか――と。


 ユキ一人に負担はかけさせない。


 これまではサポートだったが……、これからは、イリエが前に出ることも考える。


 ユキがサポートに回ったって、いいのだ。


 頼り過ぎていたのだろう、彼女に。

 頼ることが当たり前になっていたのだ。


 なんでもでき、なにも感じない、天災ではなかった。


 実力は天災であっても、彼女だって、女の子なのだから。



 ――アタシよりもつらい経験をたくさんしてきた、女の子なのよ。



 これまで堪えていたのが異常だ。いつ壊れてもおかしくはなかった――、

 それがたまたま、今だっただけの話だ。


 もしも、ユキが天災ではなく、年下で体も小さくて今にも泣きそうなほど弱っていたとしたら――、きっと守る。仲間だからではなく、たぶんきっと、それが人間だから。



「ユキはあげないわ」



 恩がある、好意がある、ユキは自覚していないが、積み上げてきた人徳がある。


 辞めると言って引き留めてくれる人がいる……、いくらユキの技術に価値を見出しているからと言って、扱いにくい暗殺者プレイヤーを引き留めるには躊躇うだろう。


 ……ユキだから。

 引き留めたいと思わせているのだ。


「今度は、アタシたちがあの子を守る番よ」


「――はい」


 イリエの背後から姿を見せ、イリエの横に並び立つ、せつな。

 彼女もまた、同じ意志だ。


 ユキの人生データを一通り見たからこそ分かる、組織から彼女への、依存。

 これ以上、ユキを使い、潰すわけにはいかない。


 そして――ルイ。


「ユキの笑った顔を、これからもずっと見続けたいんだ……っ」


 失うわけにはいかない記憶。

 積み重ねたい思い出のために――、死地の中で三人が立ち上がる。



 口だけで、根拠のある勝ち方なんて思いついていない、が、それでも。

 譲れない気持ちだけは、抑え込むことができなかった。



『ユキ(様)は、奪わせないッッ!!』


「ふうん」



 レイはそれだけ呟き――、目を細め、悪魔たちを顎で使う。


 それから、彼女は足下にいた、小さな悪魔に声をかける。


「グザファン、やっぱり契約するわあ――あの子たちを、この手で殺す」


 殺さないと気が済まない、と言いたげな口調だった。


「こっちは構わねえぜ……、願ったり叶ったりな展開だ」



 仮の姿を得た悪魔。


 白骨の群体。


 暗殺者――、


 シンデレラ・オーバー現象。



 役者は揃った。


 終幕まで、時間はない。

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